雑誌「Number」1055号で、プロレスが特集された。プロレスファンの僕としては、嬉しいことだ。
インタビューが多いのだが、武藤と高田の対談に気になるところがあったので引用させてもらう。そういえば、高田はプロレスと少し距離をとっている感じがしていたので、高田がプロレス特集に登場することも嬉しい。ん〜〜、日本唯一と言っていいスポーツ・クオリティ雑誌だからかななどと邪推もしてしまうが。
武藤 プロレスは”格闘芸術”だから、基本的な格闘技術は必要不可欠。腕の取り方も知らねえ奴が闘いをどう表現するのか。お客さんを感情移入させられるわけねえよって思いますからね。
高田 たまにテレビでタレントとかが「お前、プロレスやってんじゃねよ!」みたいなことを言ったりするでしょ!俺はもうプロレスから離れた人間だけど、プロレスという言葉が「お約束」や「出来レース」みたいな、いい意味じゃない使われ方をするのを観ると悔しいのよ。
武藤 高田さんがそう言ってくれるのは、すごくうれしいです。気持ちはプロレスを守る側にいてくれているというのが。
高田 ああいうプロレスを馬鹿にするような言葉に対しては、今の若いコたちだって敏感にならなきゃ。試合スタイルは変わってもプロレスラーとしての気概だけは継承してほしいね。
新聞やテレビも、あるいはブログのようなSNSも、プロレスを「お約束」「出来レース」程度の比喩として使うのを見る。僕がよく読むブログでも、そのような表現がある場合を散見する。そうすると、プロレスファンの僕はそんなブログを読む気が失せてしまう。せっかく学べる内容であるのも関わらず。
プロレスは複雑なスポーツであり、エンターテイメントである。その内実を鑑みないで、ステレオタイプ的な理解を当然のように使うのに腹がたつ。武藤と高田が持つプロレスの気概は、このステレオタイプ的な認識に組み込まれることはない。ここで、僕はプロレスで文化の政治を行っているのである。
「お前。プロレスやってるんじゃないよ」という言葉を皮肉を込めて、使わせてもらうなら、自民党と旧統一教会は、バレバレなのに「出来レース」を進めるなよと。
ついでに自民党と公明党も同様。そもそも創価学会は世界各地でカルト認定されているのに、日本では政府の一員だ。これが現日本政治の「お約束」でしょ。