最寄りの駅に行き、ホームに上ると、若い男性がいた。20代と思われる。独りだ。
ベンチを独り占めして、自撮り棒でずっと撮影している。そのまま電車の同じ車両に乗ることになった。まだやっている。そのまま配信でもしているのだろうかと思いながら、少しばかり観察していた。
やっていることは、まさに自撮りなのだろう。いつも髪の毛を気にして、いじっている。なんでこんなことをやっているのかなと、なんとなく思っていた。
人生は暇つぶしである。ハイデガーほか哲学者がそう言っているのを思い出した。人生の意味を問うと、最後にたどり着くのは暗闇虚無である。
だから人生に意味などありはしないのだから、人間が生きて死ぬまで行っている行為はすべからず、暇つぶしにすぎない、そんな感じだったろうか。
いわゆるニヒリズというやつだが、そこからそのように虚無まで考えてもなお、人生を与えられていることを問うていくのである。そこに存在の意味があるとか、そういう世界が開けてくるという哲学である。
そこで僕が遭遇した若者。彼は人生を暇つぶしなどとも思わず、スマホ自撮りし配信して、自己をアピールして、それを他者に見てもらったり、「いいね」を貰うことを喜びとしているのだろうか、などと考えてしまった。
彼の人生はスマホで自撮りして配信することが人生そのものなんだろうか、と考えが進んでいくと、まさにそこに虚無しか待っていない。ただ気づかないだけだろうなどと思いを巡らせた。
これからの人間の人生って、こんな感じかなと思うと、考えちゃうよ。
人類学でヘアーインディアンが、しばらくの間瞑想をすることで、人生の意味、それは彼らの信仰を深める行為を必ずしたという。そうしないと、人生から離れてしまうからだとも。とすると、人生を信じている。
あの若者、人生はあるのだろうか?信じられるものだろうか?
あるといえば、あるが、ないといえば、ない。ヘアーインディアンの人生は間違いなくある。
でも、こんなブログだって暇つぶしじゃないかって?
そういえばそうかも。