結局こういう感覚なんだろうな。
激論!クロスファイア
— あらかわ (@kazu10233147) December 27, 2020
「ステーキ会食」について、
二階⇒8人で会っただけで会食と言うことを特にやったわけではない。
本間智恵アナウンサー⇒若い人は忘年会を我慢しようと思っているのに国のトップが言ってることとやってることが違う。
二階⇒会食を目的に出会っているわけではない。 pic.twitter.com/zdRk1jUSdb
自分がやっていることの意味を理解できない。
そして自分の都合というか世間では言い訳にしかならないことでも、それが通ると思っている。いや通ってきたんだろう。
この偉い人はお爺さんだから、「世間がどういうものか」わかっていると思うのだが、そうではないようだ。
こんな話がある。昔の人の世間感覚だ。老婆が百姓の息子に「村の衆が見ているから、みっともないから掃除でもしていなさい」と。これは勤勉という道徳だけでなく、世間にどう見られるのがいいのかという日本人の道徳というか美意識がある。ごまかしではない。自分がどう見られるかという美意識の問題だ。
なんの本で読んだか忘れたのはご愛嬌。お許しを。
「会食ではない」と強弁しているが、「村の衆」からは会食だと見られる。だから「会食ではない」はごまかしにすぎない。そもそも「村の衆」は知っている。つまり国民は知っている。
このようなごまかしの”作法”を東大話法とかご飯論法とか言っていたと思うが、もうそれらを乗り越えている。
老婆がなぜ息子にそう言ったのか、それは世間の目を気にするということもあるだろうが、老婆が持つ生活を規定する日本的な美意識が内面化しているからでもある。
安倍から日本人のこういった美意識も失われたのだ。
美しい日本???