Drマサ非公認ブログ

SDGsなど信じない

 確か哲学者の中島義道が、「どこかに一人でも不幸な人間がいることを知ると、自分自身が幸せであるとは思えない」との趣旨のことを言っていたことがあった。僕自身もそう思う。

 最近はSDGs(Sustainable Development Goals)、持続可能な開発目標という言葉をよく目にする。Developmentとは、つまるところ経済成長である。環境負荷を低減しつつ経済成長を目指し、数値化によって指標を決めていこうという政策になったり、企業のPRにも使われている。

 なんか僕には欺瞞を感じてしまう。

 グローバル化において、経済成長は必ずグローバルノースGlobal NorthがグローバルサウGlobal Southを搾取するからである。前者は先進国、後者は発展途上国の国際関係論や経済学で最近使用される用語である。

 僕たちグローバルノースの人々が物質的な豊かなライフスタイルを享受すると、必然的にグローバルサウスの人々を搾取し、なおかつ自然を搾取するのである。ちなみにこの豊かなライフスタイル、大量生産し大量消費することを「帝国的生活様式」と言う。僕たちの豊かな生活の代償を他者に押し付ける構造になっているのだ。そして、この「帝国的生活様式」を維持するためには、収奪と搾取を続けることを意味する。

 だから、僕が豊かな生活をすると、目には見えないし、まったく意識さえすることもないわけだが、知らないところで、他者が過酷な生を送らなければならないことになる。彼らの資源を奪い、彼らに過酷な労働を強いるのである。

 自然からの収奪は、近代のこれまた必然。人間は自然に包摂されているはずなのに、自然を人間の所有物のように扱う。特に欧米の思想がそうではあるが、グローバルノースは誰のものでもない自然を我が物かのように扱い、畏れを知らない。もちろん日本もそうである。

 その事実を知った瞬間、僕の中にある幸福感が他者の不幸を土台にしていると考えざるを得ないので、先の中島の言葉が思い出されてしまうのである。

 代償を転嫁し、不可視化するのが、資本主義システムの必然であるわけだから、経済成長など、実にどうでもいいと思う。だからSDGsはおかしい。

 最近はこのようなSGDsに対する批判も散見するようになった。脱成長としてまとめられているようだ。考えてみればというか、事実であるが、普通に生活できればいいだけだと、殊更に思う。他者と自然との共生、コモンという考えに結びつくのだろう。

 

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