僕がなんとなく手をブラブラさせていたら、花瓶に手が当たってしまい、花瓶が割れてしまったとする。この時、誰の責任だろう。「手を当てる気などなかったから、僕のせいではない」と主張したら、僕がおかしなやつと思われるのが関の山だ。
意識があるないに関わらず、僕には責任が生じる。帰責があるという。そういうものである。ただ花瓶の持ち主も「わざとやったわけじゃあないからねえ」などと情状酌量の余地を与える。それで、僕は「申し訳ない。弁償します」などと言いながら、落とし所がおのずと決まる。まあ両者に共通感覚が共有されているわけだ。
ホリエモンが餃子店でトラブった結果、餃子店の店主やその家族が困った状態になっているらしい。イタズラ電話がひどいとのこと。ネットでは良く取り上げられている。結局店は営業できず、再開のめどは立っていないという。ご家族も憔悴しているようだ。
さて、誰に帰責があるのでしょう?
少なくともこの騒動が、この家族を追いつめた原因の一端であることは明らかだ。どんな低く見積もっても、帰責の一端はある。なんせSNSに書いて広げたんだから。
そんなつもりはなかったし、そんなイタズラ電話を頼んだ訳でもないし、SNSなんかではひどい書かれようはよくあることだろう。と言ったところで、少なくとも、店が休業し、家族にも影響を与えたのは、自分のせいでもあるなあと感じるものではないだろうか。
法的な事は一旦置いておき、人の心があれば、そんなことを感じてしまうのではないだろうか。頭ではない、心である。
ホリエモンは頭がいいのだろう。イタ電した人間が悪くて、そいつらが悪いし、未必の故意にはならないと言っているらしい。多分そうだろう。法的な事だ。
それでもなお、故意にやったことではないけれども、花瓶に手は当たってしまったのだと思う。それだというのに「自分は悪くない」としつつ、餃子店が窮地に落ちっているのだから、ハラスメントだ。