フランス革命というのは、3つの主体があったと言える。それぞれ貴族、ブルジョア、民衆と農民。
で、ブルジョアを中心としながらも、このブルジョアが貴族側の立場に近いものと民衆や農民に近い立場のものと別れているともいる。当然貴族は反革命であり、フランス革命を市民革命とみなすのでブルジョアによる革命である。そこでブルジョアが立場の違いに大まかにいえば2手に別れている。
民衆と農民は基本的に「パンを買う」ということが問題なので、資本主義的な社会(資本主義と厳密にえるかどうかは疑問であるが)に反対している。貴族と貴族寄りのブルジョアは資本主義的な世界を望み、民衆と農民と彼らに近いブルジョアは資本主義の緩和であるから社会的デモクラシー(社会民主主義)的な考えで行動する。
補足的にいえば、貴族は反革命であるとはいえ、中には妥協的に民衆革命を認める者たちもいたのである。彼らはブルジョアともいわば手を結んでいる。ブルジョアは貴族ではないが、新興の富裕層は貴族的な価値を求めている。
民衆と農民はアンシャンレジーム(旧体制、王権)という点でブルジョア側につき、資本主義的発展には反対であった。ということを整理すると、農民と民衆はアンシャンレジームに反対するという点でブルジョアと手を結べますが、資本主義の発展という点んではブルジョアと敵対し、この敵対が社会的デモクラシーとして現れます。
そして民衆と農民寄りのブルジョアは民衆と農民の支持を背景にしながら、富裕なブルジョアを志向するという図式なっています。これをまた整理すると、ブルジョアは民衆と農民と手を切って妥協的に革命を遂行するのか、手を結んで全面的な革命を遂行するのかという選択の中にあります。後者が平等志向が強いわけです。
この階層図式を現代の日本社会に当てはめることはできるでしょうか。
まず資本主義は新自由主義の変貌しています。ですから新自由主義的な志向を重視する層があると考えると、日本では資本家階級でしょうか。そして彼らに追随する人たちは正規雇用などを想定できそうで、社会の中で安定的な給与を確保している層を想定できます。格差社会の勝ち組でしょうか。
では社会的デモクラシー(社会民主主義)を強化したい、生活保護などのセーフティネットや社会保障、福祉の充実を志向する層が想定できます。非正規雇用や子供老人などを含めた社会的弱者になると思います。ここには様々なマイノリティーなども組み込まれます。とすると、負け組です。
なんとも当たり前の話になっているのですが、フランンス革命の際の社会層の分布を参考にすれば、もう少し分析的になるやもしれません。
それにしても勝ち組負け組という言葉で巷に流通し始めた頃は、人をそのように分けることに違和感がったり、品のない見方という意識があったと思います。しかし現在では当然の認識で、若い人たちの社会や人を判断するデフォルトにさえなっていると感じます。
このような認識の時代的変化が進めば、勝ち組負け組と分ける認識自体が価値判断が含まれているという意識さえ失い、不動の真理のように見られるようになります。イヤなことです。
現在金を有する人たちはフランス革命の頃の富裕なブルジョアのような意識を持っているということになりそうです。彼らは金でなんでもできるかのような、金で人間を判断することをデフォルトとするでしょうし、すでにしているでしょう。