Drマサ非公認ブログ

3年ぶりの京都

 昨日6月4日、約3年ぶりで京都に行った。

 コロナの中では、事情があり、実家に帰ったことはあったが、久しぶりの遠出である。まあ仕事の会合のようなもので、そこで僕が話をして、対話するという感じになった。ちょうどコロナになったその時の約束を3年ぶりに果たすことができたということだ。

 その後数人で飲み会となった。コロナのことを考えて飲み会は行わないことになっていた。が、一応公式には一次会ではなく、久しぶりに顔見知だけが自然発生的に食事の場を共有することになった。まあ皆いいオヤジなので、結局お酒が中心ではあった。

 まあ会合での話が続いたりもしたが、政治の話も出てくる。僕は聞き手という感じというか、一人頭の回転の速い人物がいて、彼が中心となって話が続いていた。

 そこで大阪維新の話も出てきたりして、「嫌いだ。れいわを支持している」という人物がいて、僕も「維新だけは認めてはいけないと思う」ということを話したが、その理由を突っ込んでくれたら、説明するのだけれど、そうはならず。回転の速い彼が中心で話が進んだ。

 僕はその会話を観察していたのだが、確かに政治のあれやこれたに詳しい。しかしながら、その話は誰が、あるいはどの政党が力を持っていて、誰が、あるいはどの政党が勝つ可能性が高いかという話に傾いていることに気づいた。

 マスコミュニケーションの理論に沈黙の螺旋というものがある。多数意見は時間の経過と共により多数となり、少数意見はより少数意見となるという説である。この時この説を思い出していた。

 関心が強いものに傾けば、必然的に強いものがより強くなる。事情通よろしく勝ち馬を想定してしまえば、勝ち馬に投票することになる。そして実際彼はこういう感じで語った。「自民党に入れるか、もしくは維新でしょう。それ以外あり得ないでしょうと」。ここが関西だと思い出したが、それぐらい維新が組み込まれているのだろう。

 彼はテレビ制作などに詳しい人物であるが、テレビで視聴率を取ることと選挙を同列に語っていたわけだ。視聴率が取れるコンテンツはこれまでの傾向から云々・・、よって選挙に勝つのはこれまでの傾向から云々・・、こんな思考方法なのだろう。こういう点で頭の回転が早いわけだ。

 そして、僕たちの社会はこのような思考方法で社会を見ているのではないかと思う。明らかにおかしな人物や政党であっても、それに対して批判的になるのではなく、勝ち馬の予想のように見ているだけで、その結果が端的に現れているのが政治状況であり、停滞する日本社会である。

 であるから、このような社会状況を前提としながらも、この社会で「勝ち組」、成功している人を賞賛するような志向になってしまう。彼の場合、テレビなどで成功している人物を無批判に認めていた。

 彼の批判をしたいのではない。あくまで目についたのだが、多くが同調していたわけであるから、同じような思考/志向なのだと思う。

 僕の頭の中では、日本人の同調傾向の強さと父権主義(パターナリズム)が渦巻いていた。

 そういえば、先の会合では、映画「ゼイリブ」(ジョン・カーペンター監督)の話も出ていたので、全く異なる思考/志向もあることは付け加えておこう。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る