前回のブログで、コロナウィルス の対応で岩田健太郎さんに対して厚生省副大臣の橋下岳が反応したことを取り上げた。ちょっとネットニュースなんかを見るだけで、僕と同様の思いを抱いた人がいたのを知り、まともな人もいると感じたりした。まあ僕がまともだとして・・・
僕はそこで「気が狂っているのではないか」とあえて指摘した。そうしたら、やっぱり狂っているとしかないような話がまたぞろ出て来た。
見つけた記事を引用させてもらう。分脈を割愛するのを許していただきたいのだが、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広さんの意見である。
「スイスの製薬会社『ロシュ』が開発した遺伝子検査キットで、喉の粘膜をとればいいだけの簡単なものもすでに実用化されています。しかし、日本政府はなぜか頑なに導入していません。理由は、厚労省が検査方法を独自開発するために予算をつけ、公共事業にしたからです。最初からロシュの検査キットを使っていれば、クルーズ船の感染拡大をもう少し抑えられたかもしれません」(article.auone.jpより引用)
この指摘が事実だとすれば、厚労省は人の命より利権を重視したということになる。感染パニックを危惧する中、金儲けを優先して、政策を企て実行しているというのである。やっぱり気が狂っている。
僕はコロナウィルスに感染したとして1件1件報道する必要もないだろうと考えている。そもそもインフルエンザは年間1000万人もの人々がかかっている。まさかその1件1件報道するわけもないし、その必要もない。コロナの方も同程度の悪さをするということにすぎないので、新しく着目すべき事実があればニュースにする意義はある。しかし、北海道で、沖縄で、どこどこに感染者がいましたとシラミ潰しに報道したところで、1000万人に達するまで報道し続けるわけでもあるまい。
しかしながら、それでも国民の健康を守らなければならない国家が人々の不安を無視し、利権を作り出し、金儲けをすることに向かうというのは狂気の沙汰だ。そして、これが僕たちの社会の実態だ。
確かライヒだったと思うが、我々の正気こそが集団的狂気なのだと指摘している。近代化、産業化、科学的意識は自己を世界から疎外するという。どういうことかというと、本来世界の中に存在する人間、世界と融合している人間が、世界を観察できる特別な存在となったとして、世界から離脱してしまうような意識を持ってしまう。本来的におかしなことになっている人間のありようを当然とするという問題である。ただそのような意識は自明になるので、それがおかしいこと、ここでは気が狂っているということには皆気づかないのだ。
そうすると、このような意識によって作られる性格、あるいは人格はその意味でまさに仮面(ペルソナ)である。しかし、仮面をこそ、真の自己とするので、それ自体が神経症に他ならないわけだ。そういう性格に閉じ込められている人は自らの無意識、ここでは説明を省くが、本来的な自己を手放してしまう。そこで外部にある産業化された世界がもつ価値観にのみ適合するのみである。そうすると生そのものを否定することに疑問が生じないのだ。
非常に短い要約で恐縮するが、ここで取り上げたコロナウィルスの事例に当てはめれば、問題はコロナウィルス による生命への危機などより利権確保や金儲けが重要だとして行動していることである。常識さえわきまえれば、誰もが理解できることでしかないが、そうとはなっていない。よって気が狂っているということになる。
実は中国の知人からSNSで日本の現状を憂うメールが来た。大阪の病院の職員のTwitterで「コロナ陽性→病院閉鎖→数億円の損害」になるので検査をしない方針で、病院の保身を優先している内容を添付して来て、「日本ダメだよ」と。保身や金を優先しているという病院はやっぱり気が狂っている。
いやそれでも病院経営の問題とか病院倒産の問題があるからと言い訳するかもしれないが、そういう構造自体を問題とすることができないという点で、そういう問題意識を遠ざけ、現状を肯定する論理を是とするなら神経症的だし、やっぱり気が狂っているとしか言いようがない。
でも、このような指摘が届くかというと・・・
そういえば「はじめて入院した」シリーズも終わりそうなので、「気が狂ってる」シリーズでもはじめてみようかなあ(笑)