Drマサ非公認ブログ

マラソン札幌開催について一言だけ

 ご存知の通り、2020東京オリンピックのマラソンが札幌開催になった。

 何が最大の問題なのかといえば、商業主義である。アメリカのメジャースポーツとの関わりから8月開催と決まってしまっている。放映権料を主とする金儲けのためだ。

 だから、はじめからアスリート・ファーストなど嘘っぱちでしかなく、金儲けファーストを前面に出さないように運営しようとする矛盾の上で成立させるしかない。そうすると、結局嘘をつかなければならない局面が生じる。

 東京は「8月は温暖」であるとのプレゼンテーションをしたわけだが、当然嘘である。日本人なら誰もが知っている。東京で生活している人間なら酷暑であることは当然のことだ。そこで東京開催で経済的利益をあげようとするなら、当然のことのように嘘をつく。だから、「8月は温暖」ということを平気で主張する。いろんな暑さ緩和策があるにしても、限度はある。自然をなめてはいけない。

 このような金儲けファーストをとりあえず目をつむったとしても、東京でマラソンや競歩といった2時間以上も人間の限界を乗り越えようとする競技を行うとすれば、どのような結果が予測できるだろうか。そんなものは科学的に精緻な予測をするまでもなく、競技者は倒れる。最悪死ぬ。少なくともそういう確率が上がる。

 ドーハの結果を見ても予測できる。とすれば、最悪のことを想像すれば、東京開催はできない。確かに札幌でも、そういう可能性はある。しかしながら、これまでの経験から札幌で8月マラソンをしても、そういう不幸は起きていない。少なくとも確率は低い。私のような素人でもわかる。

 ちなみに真夏になる前から、テレビなどで「熱中症には気をつけましょう」とPRし続けている。にも関わらず、どれだけ熱中症で人が倒れているのか、救急車のお世話になっているのか?思い出してみればいい。クーラーがあっても熱中症になるとリスクを訴え続けているのに、肉体の極限で競い合う人間のリスクをなんとも思っていないのはなぜだろう。

 このような予測もある中で、東京開催を強行し、最悪の事態が生じた場合、誰がどのように責任を取るのだろうか。東京都や知事が責任を取るというのだろうか?もし人が死んだら、生き返るわけではないので、責任の取りようなどないではないか。

 「何かあってはいけない」と言いながら常にリスクを過剰に意識する日本人が、このケースでは手続きとか、主催者である東京都を外しているとか、都民の気持ちとか、これまで使ったお金がもったいないとか(つまり、コスト意識)を気にして、不満を言っている。酷いのでは、東京は見所があるが、札幌には全然ないとdisってさえいる。そもそも札幌、および北海道にとって青天の霹靂ではないか。

 最悪のケース、つまり競技者の死、あるいは観客の死や熱中症はどうでもいいのだろうか。これは少なくとも回避しなければならない問題である。そういう意識が全くない日本である。この精神性は台風や大雨被害に対して無責任な発言をする政治家の質とつなっがっているのではないかと疑念を持ってしまう。

 都知事はおそらく東京に戻すことはできないとわかっていたのではないかと思う。しかし、パフォーマンスをして抵抗しただけではないだろうか。そうすることによって、自分に責任はないし、最大限の努力をしたのだと。

 リスクを真に引き受ける者はいないし、責任を取る覚悟のある者もいない、なんとなく誰も責任を取ることのない社会、それが日本であると露呈した事例であったのではないか、そんなことを思ったりした。

 もし東京開催に翻った時、都知事は責任取る覚悟はあったのだろうか?人が死ぬことの責任を。

 おもてなしって??

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