調布トリエを後にする。自分のマンションまでは十数分である。歩いて帰ることにする。
しかしだ、3週間前は歩くこともままならず、空港を車椅子で移動していた“身分”だ。病院でもリハビリもしていたし、歩くことにもちろん不安は感じてはいない。ただ3週間前の歩けない状況を思い出し、その時の自身の身体の状況を自分なりに分析すると、そういう状況がまたないともいえない。まあ、心配しすぎではある。
また後で自分なりにこの病気の経験を総括しようとは思う。このブログでも書かせてもらおうとも思ってはいる。おそらく心不全の最大の要因は運動不足である。医療的、科学的に実証可能かどうかは知らない、私なりの理解である。ただ30歳程度までは非常に運動量の多い生活をしていたと思う。そこから4半世紀、およそ25年近くの間、運動どころか、常に怠惰な生活を続けてきたと思う。
高校までは野球をしていたし、大学でも草野球チームに入っていた。そのころの私は周りから体力自慢の男とみなされていた。実際には何もしていなかった。よく「一緒にジムに行こう」と誘われていたのだが、私が日頃から鍛えていると思われていたからだ。実際に腕も太いし、脚はあのタイガーマスクの佐山聡のように発達しているかのようだった。ちょっと大げさだが。元暴走族のバイト先の仲間から腿が太いのをいいことに“ビックフット”などといじられていた。“フット”は足であって、脚ではないけれど(笑)
20代後半には新聞配達をしていた。2歳下のマラソン自慢がいたのだが、同じ区域を自転車で配達すると、私の方が速かったくらいだ。おおよそ2時間。ちなみに彼はフルマラソンを3時間程度で完走する力を持っていたのだから、当時私の心臓も強かったに違いない。
30歳を境に生活が一変する。全く運動することがなくなってしまった。あえて運動しようという気もない。身体は元気なので、運動しなければならないなどとは頭の片隅にもなかった。いつの間にかそれから4半世紀。仕事でも机に向かってるだけ、人が見ているわけでもないことが多いので足を机に投げ出して楽な姿勢をとっている。
家ではソファーにいつも寝転がっているか、仕事先と同じような体勢。結婚以降は何でも妻がやってくれるので、家事もしない。私が家事をしようとすると、妻は専業主婦なので、自分がやると言って聞かない。その言葉に甘える。
そういえば、50歳を過ぎた頃、妻と娘と高尾山に行ったことがある。何度か登ったことがあるし、30過ぎの頃、ほぼ駆け足で登り切ったことさえある。今では信じられないが。
で、50歳過ぎの頃、頂上まで登り切るのがギリギリであった。すごい汗だくになり、何度もなんども休憩をとりながら、妻と娘に迷惑かけつつ、登ったことがあった。汗の量が尋常ではなく、胸に違和感があったくらいだ。考えて見たら、心不全の症状に近いものがあったのではないかと今になってみれば思う。当時は「年取ったなあ」程度にしか感じていなかったのだが、その見立てが誤っていたと思われる。
さて、駅近繁華街を歩き、そろそろ住宅街に入ってきた。少し下り坂になっている。8月27日以前、つまりカナダに行く以前にも当然だがよく通っていた道である。
思い返すと、当時すでに体調は壊れていたことを思い出す。いいとこ1キロ程度しかない距離を歩くのに難儀していたのである。足が重たくなり、足を前に出せなくなっていたのである。自宅に帰るまで3度ほど休みながら進んだのを思い出す。今考えれば、軽度の心不全の症状であったのかもしれない。まあ3週間もカナダでのんびりすれば、調子も良くなるだろうと高を括っていたものだ。
退院して歩いている今となっては、そんな不調を感じることもなく、妻とのんびり歩き切っていた。スイスイと。正直に調子がいいくらいだ。
ついに到着。部屋に入ると、どうしても言ってしまう。「やっぱり我が家が一番」。妻も「そうでしょう」と。