Drマサ非公認ブログ

汚染水とマスコミの欺瞞

 野村農水大臣が福島のトリチウムを含むALPSで処理した海洋投棄する「水」を思わず「汚染水」と言って、問題になり謝罪したという。ちゃんと「処理水」と言え、ってことらしい。

 前回も触れたが、政府やマスコミが「処理水」とプロパガンダしているというのに、当の政府の一員が「汚染水」ということは、プロパガンダを弱めるではないかということだろうか。

 ここで、この「水」を「処理水」という言葉でマスメディアが情報の方向づけしてくれているのに・・・・。バカバカしい。「処理水」か?「汚染水」か?どちらを使うかによって、味方か敵かがわかるような仕掛けになっている。「処理水」だと政府や東電の味方、「汚染水」だと敵。

 政府はマスコミを利用して、敵を想定しているわけだ。マスメディアによる統制手段の典型。しかも日本らしくその敵は緩やかにというか、忍びやかにというか、「汚染水」なる言葉を使う人々になる。

 それにしても、マスコミがメディアとしてしなければならない「市民のため」というジャーナリズム精神の欠如が目に余る。マス・コミュニケーション研究には新強力効果説がある。読んだ通り、マスメディアの影響は非常に強いという説である。

 一応断っておくが、マスメディアの影響は相対/限定的であるとされる限定効果説があり、前者は認知、後者は考え方への影響である。限定効果であるためには、マスメディアからのメッセージが相対化されるためには、仲間や共同性(中間集団)が生きていることが必要だ。

 さて新強力効果説の中には、マスメディアのアジェンダセッティング機能がある。この社会で何が重要な課題となっているのかを決定する力はマスメディアが強いというものである。これはつまりマスメディアが適切な議題(アジェンダ)を設定して、それを人々が共有し、議論するならば、マスメディアは「市民のため」に機能するということでもある。

 ちょうどジャニー喜多川の性加害をマスメディアが報道しなかったことこそ、性加害を助長することになったわけで、この問題で適切なアジェンダセッティングできなかったという不作為こそ犯罪的であった。そういうことが明らかになったわけだ。もちろん、そこには人々の無関心や知らないふりという問題もある

 であるから、マスメディアの姿勢という点で、「汚染水」問題では、いまマスメディアでは取り上げられていない問題点(ネットで結構出ている問題)をアジェンダとして取り上げ、「市民のため」に市民が理解判断する素材を提供しなければならない。民主主義のためのマスメディアの役割である。

 Fukushimaの「汚染水」問題もジャニーズの問題も、マスメディアとしては同様の構造、あるいはマスメディアの機能を果たさないというジャーナリズム精神の欠如そのものである。だからあの大臣の発言を見事にミスリードして、不作為を続けているのだ。

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