ちなみに結婚相手に求めるのは通常「恋愛感情」と「経済生活」の2大要素と言われます。欧米では前者を優先し、アジアでは後者を優先する傾向があります。
近代化が進めば、社会は豊かになりますので、「恋愛感情」を重視していくわけです。日本では「二兎追うもの一兎も得ず」状態でしょうか。
例えば非正規雇用は、結婚するのが難しい傾向があります。それは「経済生活」を考えれば、非正規雇用との結婚は、特に男性がそうである場合、不利な条件になります。
日本はご存知の通り、男性中心社会です。そのため、結婚に関して、男性が安定した「経済生活」を保証することが、結婚の重要な要件になってしまいます。という事情は、同時に「恋愛感情」を軽視して行くことに繋がります。
しかしながら、日本以外はどうでしょう。ヨーロッパ諸国などでは、非正規雇用であっても結婚を躊躇することはありません。フランスのような事実婚を制度的に結婚と同様に扱う国を含めて。
彼らは非正規雇用同士で結婚すれば、どうにかやっていけると考えています。弱者同士が結びつけば、強くなるというわけです。その背後には、教育や医療費の自己負担が非常に小さいという事情があります。無料という国も多いです。
そうすると、「経済生活」は気にする必要がなくなるわけです。ですから「恋愛感情」が結婚の要素として前景化します。
このような結婚の背景を見ると、日本は結婚の近代化に十分な成功をもたらしていないと考えることができそうです。「経済生活」を考慮しないと、結婚に踏み切れない社会なのです。
そうすると、男性は自身の経済的安定がなければ、結婚したいとしても、それが難しい。女性もまた、男性中心社会の中で生きていますから、結婚するときに、男性の経済的安定を重視せざるを得ない。
教育や医療の不安がなければ、このような状況は“改善”されるでしょう。ここで不安というのは、先立つお金を心配することです。僕はここで「日本は結婚の近代化に十分な成功をもたらしていない」としましたが、「結婚の近代化」ではなく、広い範囲での「近代化」がなされていないということです。
かつて経済は一流と言われた日本ですが、政治は二流というだけではなく、文化の近代化が不十分なのではないかと思います。
さて、日本の結婚難がはじまったのは、1970年代ぐらいからだったと記憶しています。理由は若年男性の収入がそろそろ不安定になりはじめました。経済成長でみんなが高収入に向かうのが、そろそろ終わり、格差がでるのが予想できるようになったという意味です。
同じ頃、自由恋愛が当然のこととして受け止められるようになり、異性の比較をするようになりました。つまり結婚で「恋愛感情」が重要とされる文化が一般化してきたのです。
しかし、同時に社会は豊かになっていながら、格差が予想される社会、「経済生活」は新たな形で温存して行く社会になったのです。
「恋愛感情」と「経済生活」が実はねじれてきたわけです。