Drマサ非公認ブログ

断片4:どうして韓国や中国から反省していないと思われるのか?

 エルサレムの旧市街地に「嘆きの壁」はある。廃墟のようにただ存在する。荒涼とした場所である。痛々しい残骸をさらしている壁である。

 ここにユダヤ教徒がやってきて祈りを捧げ続けている。神殿再興を願っているが、叶わぬ願いである。それでも彼らは祈り続ける。目と鼻の先にはイスラム教の立派な聖堂が存在している。だからユダヤ教のソロモンの神殿は再興しない。それでも祈る。だから「嘆き」なのである。

 それゆえ逆説的にユダヤの苦難の歴史が「嘆きの壁」に表れ、そこを訪れた者に感じさせる。ハイデガーが古代ギリシャの神殿の写真を芸術作品と言うが、同様ユダヤの歴史を保存しているのが「嘆きの壁」の意義である。3000年に及ぶ民族の絶望と悲しさを知るのである。

 ところが「原爆ドーム」には、民族の絶望と悲しみが保存されてはいない。人類史上最悪の悲惨が広島の地、「原爆ドーム」にあるはずなのに、その悲惨は希薄化し、平和への象徴としてある。悲惨と平和は異なる現実である。まず悲惨を認識しなければならない。その認識がないのならば、平和は空虚な言葉になる。そのような認識論の政治性、どうして、これほど違うのだろう。

 山折さんは「原爆ドーム」が「平和の公園」であることが廃墟性を感じさせない文化的仕掛けになっていると診断する。確かに井伏鱒二『黒い雨』などが民族的な悲劇と絶望の調べを書き記してはいるとしながらも、癒されることのない悲哀の声なき声を救いあげるようなことはないと言う。

 僕なりに極論を言うと、原爆の悲惨を引き受けることもなく、あたかも名所旧跡のひとつ、広島観光の目玉の一つに成り下がる可能性を危惧する。つまりは消費されるだけ。

 「原爆ドーム」の悲惨性は「広島平和記念資料館」の展示資料によって合わされて、どうにか薄ぼんやりと見えるような気がする。山折さんは廃墟としての「原爆ドーム」の吸引力や遠心力に期待をするのだが、「平和の公園」との命名を含めて、廃墟性、そしてその廃墟性が伏蔵する民族の歴史、その悲しみを希薄にしていると言う。そう清潔で綺麗すぎるのだ。そのため、歴史の悲惨を投影することを邪魔し、むなしいほどの安らぎが漂う。

 そのため「原爆ドーム」は戦後日本の平和の象徴になり、繰り返しだが、あの悲惨の意味を希薄化する文化的仕掛けになってしまう。この文化的仕掛けを可能にするのが、「革命のない日本」であると言う。先に指摘した通り、このままではこの平和は空語でしかない。

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