Drマサ非公認ブログ

テレビでトロッコ問題(後半)

 結局、どのような選択をしても間接的には人を殺すことになる。ゆえに、何もしないというのが正解であるとの主張がなされている。

 レバーを触れば、何か責任が生じる。法的な問題まで生じる可能性があるので、何もしないというのが解答である。ただネットで見た所、「あくまで思考実験」「ただの遊びのようなもの」という程度の位置づけをしているので、ネタとしては受容できる。

 テレビでこの解答を取り上げていた時には、そういう雰囲気ではなかった。映像を確認してはいないので、誤っていたらご容赦いただきたいのと、あくまでこれも思考実験とみなして欲しいのだが、「日本人らしい」との反応であったと記憶している。

 つまり、日本人は何か問題が生じたとしても、自己に責任が及ぶか否かというのを判断基準として、行動原理が生じているとの一般化ができる。

 これは確かに日本人的なのかもしれない。自己に問題が生じないように予防的に行動を抑制する。

 しかしだ。僕たちはそこに何か生じている時、思わず身体が動くという事がある。惻隠の情を絶対視する気はないが、この解答に共感するということは、そういう人間の情より、功利的に自己を守ろうとする考え方が広まっているということになるだろう。

 トロッコ問題のような危機的状況を設定しなくても、他人のことは関係ないとする事が行動原理のような日本人は増えていると思う。電車の中で具合が悪い人がいて、それを認識しても、自分には関係ないこととして、素通りする、そんな状況は見たことぐらいあるのではないか。

 じつは「何もしない」「自分に迷惑がかからない」という行動は功利主義なのである。

 先のトロッコ問題では、5人か1人かということで5人を選択することを功利主義とした。少なくとも「私」が何かしようとするのである。ところが、「何もしない」というのは、「5人+1人」という他者と「私」を二分することによって、「私」のみの利益を優先することである。「私」のみに向かう功利主義である。

 自分のことだけ考える人たちによる社会、そのような人間心理に共感する社会、どうなんだろうねえ??

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