退院は10月5日(土)である。入院して20日。
その前3日ぐらいは何も予定がない。夕方4時のリハビリだけだ。せいぜい30分時間を取られるだけ。暇でしょうがない。
朝起きて、飯食って、薬飲んで、暇つぶして、昼飯食って、薬飲んで、暇つぶして、たまに看護師が血圧測りに来て、リハビリして、晩飯食って、薬飲んで、暇つぶして、寝るだけだ。読書は少しできるが、妻が来てくれなければ、バカになりそうだ。
この頃はこのブログ「はじめて入院した」を書き始めていたが、理由は暇つぶしだ。とすると、随分と続いている。
この頃は正直何のために入院しているのか不明だと思っていた。医者に聞いたときも、納得できる答えはなかった。「念のため」「外で何かあったら」こんな程度である。家で静養するのと何が違うのだろう。というより、家の方が自由であり、病院はただ管理下に置かれているだけだ。
ある行程が事前に決定している。それをただ実行する。私の病状は血液検査やレントゲンなどのデータが解釈され方針が決定されるのではなく、ただ行程が実行されているような気がする。データは解釈され、そこで医者の知識や経験から、その都度何がなされるのかが決定されているという見かけを取るが、じつははじめからコースが決定され、そのコースを辿っているのか否かが問題とされる。
ここであまり説明することはないが、医療化について考えさせられ、フーコーのパノプチコン、イタリアのバザーリアの脱施設化に思いをはせていた。
ちなみにバザーリアはイタリアの精神病院を廃止にする運動をした人物だが、彼は「最大の治療は自由だ」と主張している。これは精神疾患の人々に対する治療のことだが、私のような病気にも当てはまるような気がしていたものだし、社会全体へのメッセージにもなるかと思う。じっくり考えてみたいテーマだ。
さて、退院の日だ。妻と退院したら、何を食べようかなどと話をしていた。後で何を食べたか報告させていただきたいと思う(笑)
朝7時。採血に看護師が来る。5日ぶりである。相変わらず上手である。何も痛みを感じない。看護師が「ちょっとチクっとしますよ」と言うが、そう言われる方がちょっとチクっとするぐらいだ。
8時朝食、朝の薬。そこで看護師がレントゲンの受付票を持って来る。9時を過ぎたら、自らレントゲン室に行くだけだ。9時になったら、速攻で行く。放射線技師が思わず「よくなったなあ」とつぶやく。もう顔見知りといえば顔見知りだ。「これで退院だなあ」と思い、部屋に戻る。妻がやって来る。
最終的な退院決定はこの検査結果次第ということになっている。すぐにもわかるかと思っていたが、甘かった。
看護師に「昼食はいらない」と伝えていたが、看護師は「まだ医者から決定の連絡は来ていないけど、大丈夫ですよね」などと言っていたので、問題ないと思っていた。
病院での退院は通常午前中というイメージであったし、この病室で退院していく者もそうであった。そこで午前中にも退院かと思っていたが甘かった。ここからがまた長かった。
(つづく)