敬愛する生物学者池田清彦先生のtwitterを見ていたら、次のようなtweetが並んでいた。ちなみにどうして池田先生を敬愛するなどと、会った事もないのに、そんな風に思っているかというと、自由主義者であるからだ。
いわゆるリベラリズム(自由と寛容)を体現していると思う。自由はもちろんだが、その寛容の精神を感じてしまう。著書多数拝読している。ご自身リバタリアンと称しているが、完全自由な人程度とされるが、他者を侵害しないというのが前提であるから、ここが寛容の精神とつながる。実際他者を慮ること大である。
で、そのtwitter
ホンマにこれですね。
— 杉浦成史 (@ss0405ttda) May 9, 2023
日本政府は狂ってますね。 pic.twitter.com/FePcNHYzlt
海外ではマイナンバーが当たり前と喧伝をされていたが事実は違う
— Keisuke (@sunburstksk) May 9, 2023
ドイツ 違憲判決で廃案
フランス 国民の抵抗で導入せず
イギリス 運用後2006年-2010年廃止
オーストラリア 国民の猛反発で廃案
アメリカ 任意になり情報漏洩や不正が問題化
韓国 個人情報400万件が流出 https://t.co/IZuwNgL5WH
最初のtweetは政府が実施している政策がことごとく変であるという話。2つ目はその具体的例でマイナンバーの話。僕はどのように考えても、このような日本の状況、つまりは変な政策がことごとく実施される状況が腑に落ちない。なんでこんなことに従順なんだろうか、あるいは無関心なんだろうか。
もちろん、それなりの分析はあるのだけれど、ふと頭をもたげたのは、中国とロシアの政治体制を含めた権威主義国家という位置付けである。
そう実は日本もまた権威主義国家であり、そのちょっとした変種なのではないかと。
権威主義国家とは、全体主義にまでなっていなくとも、独裁的あるいは専制的な国家体制になっているということだが、それは説明するまでもなく、中国やロシアに見られる。国家に反すれば、権力は牙を向ける。非民主的反自由主義的なわけだが、東アジアの体制であるとみると、日本にも同様の性質が見られるのではないか。そんなことを感じてしまう。
日本の場合、多少の言論の自由があり、そのため民主的のように見えるが、その実、人民のための政治がおこなわれない。その例が先にあげたtweet。
選挙の時、「人民のため」と政策が掲げられるが、結局「人民のため」は後退する。だから民主主義の皮をかぶった権威主義的国家体制が本当のところ?文句をいう人は一応ガス抜き。そして従順と無関心こそ、権威主義を温存させているのだと・・・