2018年刊、新潮文庫。75年、長野生まれ。川名壮志著。
解説が麻生久美子の夫、スタイリストの伊賀大介、家族が
教えてくれた。うちの近くに住んでいる。
この事件はうっすら記憶にあり、殺された父が毎日の記者だったことも
覚えている。
日本では初か?小学生Aが同窓友人Sを、校内であっけなく殺害した。
wikiを見た。
この10年後、同じ佐世保で高校生女生徒が、
同窓女生徒を殺害、かなり残忍な方法だった。
二つ似たような殺人があったんだ。
家族の友人が転勤で長崎在住。
学校は2つの事件からか、カウンセラーを配置など
力を入れていると聞いた。下記、wikiから。
当時、川名は、殺害された娘の父、佐世保支局長の部下で
初任地だった。
ビル、3階が支局長の自宅、下が新聞局だった。
すぐに行けるので、何回も家族と遊んだり、食事をとった。
14年経過、著者が記憶にある事件の捜査、報道、犯人Aのことなど
淡々と気持ちを自然に入れ書かれたノンフィクション。
被害者の父の、兄の語り(これが一番わかりやすかった)
そして、加害者Aの父へも事件後半年以上経過し、
川名一人で取材をしている。
04年6月。朝出て行った一人娘Sが、午後には殺された。
それも同窓友人に。父は長く記者仕事から離れた。
記者という職から、当日夜、ギリギリの心で会見を開いた。
メディアが押しかけていて、兄に取材がいかないようにの
思いもあった。自分も仕事で事件を追った経験からもある。
180センチを超える体躯、シャイなタイプ。愛称は大人。たいじん。
この4年位前に、妻がガンで亡くなった不幸もある。
それまでは単身で長崎付近で仕事。妻が闘病5年、
祖母の助けを借り子育てをした。
妻がなくなり3人で佐世保に越し、
職場の上に住み、家事をこなしていた。
長男は大学で家から離れ、3人家族だった。
事件発生後、各支局などから応援が20人きて、
支局の部屋は、コンセントの取り合いなど、大混乱。
ベテラン記者も来てくれた。
川名はまだ新人、何をどう書いたらいいのか、
考え葛藤しつつ、夕刊に200字の記事を書いた。
何日もSちゃんがいないことが信じられなかった。
20歳未満の少年は少年法が適用されるが
犯人は11歳。14歳未満は児童福祉法が最優先される。
加害者でも、子供なので被害者でもある。
この辺りは詳しく書かれている。初めて知ったことも多い。
何をしても被害者にもなるということになる。
初めAは児童相談所で聞き取りされたが、うまくいかない。
その後少年鑑別所へ送られた。
少年法のレールに乗ったことになった。
Aには弁護士ではなく付添人が3人ついた。
会い、話しおかしいところはないが、二人は年齢より
幼い感じはするという。
むごい事件だが少女は初犯、わからない、話さない、
殺害を具体的に語らない。
期限もある。精神鑑定へ持ち込もう(時間稼ぎもあった)
半年後、家裁で審判がくだる。
遺族への謝罪手紙も書かなかった。
2年、国内唯一の児童自立支援施設
きぬ川学院へ翌日、収容された。これが、関係者がAを見た最後となった。
大人はAが何故、いきなり刺したかを最後まで解明できなかった。
PCが得意でSとは、仲間でもあった。
「バトルロワイアル」が大好き。
兄への取材では、トラブルがAと春からとある。
SはAにPCのPWを教えてしまい、勝手に書き換えられたなど
悩んでいたという。
母が生きていたら、母になんでも話しただろう。
兄は直観的に、殺害を知った時、Aの顔が浮かんだという。
事件から半年後、川名はAの父に会いにいった。
怖い気持ちもあったが、何とか2回会え取材ができた。
事件後Aの家族のもとには、メディア、多数の宗教関係もきた。
救済を餌にちらつかせた。
父はAが2歳頃、脳梗塞で麻痺が出て障がい者となった。
貧しいが妻が頑張り佐世保で10年。
妻が暮らしを守った。父が障害者。
これはSの母がガンで他界と
やや似ている。Sの母、Aの父が健康でなかった。
事件で仕事も解雇された。
Aの父は一人家に残った。窓を閉め切り、食品は夜中に買いにいった。
妻とAの姉を別の場所に住まわせた。
Aの家は学校から3キロ以上、バス通学。
夜は怖いような集落の中にあった。
この辺り、もしかして在日か?と。
父もSをAの友人と知っていた。
家に遊びにいったこともAから聞いていた。
Sの兄、次男。中学2年。
当日、教師に呼ばれた。
数人の教師の中に座り、ヤフーの事件記事コピーを
読んでみて、と言われただけ。
妹が!教師は誰も口を開かない。泣いている教師もいた。
彼は泣けなかった。長い間泣くことはなかった。
誰もカウンセリングをしてくれず、
精神的にまいったと語る。
高校受験があるので、勉強へ逃げた。
父ともSの事は話せない。2人のだけの生活。
高校に入学したが、夏前にやめた。
心がまいっている。幾つか精神科で治療をうけ、
やっと気持ちが落ち着いてきた。
1年遅れで別の高校に入った。
またダメになりそうだったが、何とか過ごした。
大学へ入りもう事件は考えまいと決意。
18年経っても、まだ立ち直れてはいないと語る。
この兄は思春期。皆が気をつかってくれたはわかったが
誰もしっかり話を聞いてくれなかった事が大きかったと。
Aはカッターで殺害。これは大人でも、場所が違えば、
殺害できない。事前に場所を調べていたのか・・
もう何もわからない。Aは32歳位。どこかで暮らしているだろう。
父の記者は、娘の殺害だが報道する立場も考え、対処していた。
妻を亡くし娘までも殺害。数年位で二人がいなくなった。
重い日々だろう。もう定年になっているか・・
下記、wikiから。
2004年6月1日。
正午過ぎ、長崎県佐世保市立大久保小学校において小学6年生の女児(当時12歳)が
同級生の女児(当時11歳)にカッターナイフで切り付けられて死亡した。
事件を発見した担任は止血を試み、教頭は119番通報をした。
駆けつけた救急隊員が教師に対し現場状況について尋ねたところ、
教師が現場付近にいた女児を連れてきた。
隊員が被害者がなぜ怪我をしているのか尋ねると「私がカッターで切りました」と
答えたため、警察は女児を佐世保警察署に移動させ事情聴取を行った。
6月8日、長崎家庭裁判所佐世保支部が少年審判を開くことを決定。
14日に精神鑑定留置を認め、8月14日までの61日間鑑定留置された。
9月15日、長崎家庭裁判所佐世保支部で最後の少年審判が開かれ、
加害者を児童自立支援施設送致とし、2004年9月15日から向こう2年間の
強制的措置を取れる保護処分を決定した。
〇当事件の10年後、同じく佐世保市で佐世保女子高生殺害事件が起こる。
お互いに社会の耳目を集めた事件であるため、似た事件としてウェブサイト上で混同されることがある。