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幕末史跡めぐり・其之十八~長崎編Part.2

2009年02月14日 | 幕末~明治史跡めぐり
2月14日(土)2/4
さて、9時からだと思ってた『亀山社中資料展示場』が10時開門でした。
この1時間をムダにするワケにはいかない…ということで、

9:25『シーボルト宅跡』に着きました。

『シーボルト(1796-1866)』はドイツ人で江戸後期の「オランダ商館医」です。
1823年「長崎出島」に着任し、1824年「長崎」郊外に「鳴滝塾」を設けて「高野長英」「伊東玄朴」ら多くの門人を指導しました。
しかし、1828年『シーボルト事件』(5年の任期を終えた『シーボルト』が帰国の際、国禁の日本地図や葵の紋服の携行が発覚)を起こし、スパイ嫌疑を受けて糾問の末、翌年「国外追放」されました。
『シーボルト』は「長崎」に妻「タキ」と娘「イネ」を残して追放されており、帰国後もずっと妻と娘のいる日本を想っていました。
『シーボルト』は妻「タキ」を「オタクサ」と呼んでいました。
『シーボルト』は初めて見る美しい花(紫陽花)に出会い、その花に愛する人の名をとって「オタクサ」と名づけ著書「日本植物誌」に掲載しているのです。
そんな中「アメリカ」が武力を行使し日本開国に向けて動き出した情報を入手しました。
このままでは妻と娘がいる日本が危ない…『シーボルト』は『ペリー』に手紙を書き、日本開国は武力を行使せず、考える猶予を与えれば必ず日本は開国するでしょう…と忠告しました。
『ペリー』は、その忠告通りに武力を行使せず、猶予を与えて引き上げたのです。
いや~もし武力行使されてたら、地元「横須賀」は火の海になってたかもね。
その後「日蘭通商条約」締結後の1853年に再来日し、24年ぶりに妻と娘に再会することが出来たのです。

そして『シーボルト記念館』に入りました。(入場料¥100)

今回は展示物の隠し撮りは無し。

9:50『シーボルト記念館』を出ました。
この建物は「オランダ・ライデン市」にある「シーボルト旧宅」を、玄関は『シーボルト』の祖父「カール・カスパル宅」をそれぞれイメージ化したものだそうです。
さぁて再び『亀山社中』に行きます。

これは「新中川町」辺りの公園内にあった「長崎開港先覚者之碑」です。

また『龍馬通り』の下に自転車を置いて、石段を上がって行きました…
そして10:10ごろ『亀山社中資料展示場』に入りました。(入場無料)
(神社は近くの若宮稲荷神社です)

『展示場』内部の様子です。
小さな「資料館」なんでね…10分くらい見て出ました。

また石段を下り…近くの「晧台寺」に行ってみました。

ここの墓地には『海援隊』隊士「近藤長次郎墓」や『シーボルト』の娘「楠本イネ墓」があることを、ついさっき知って来たんだけど…何の案内図も無いんで捜索出来ませんでした。

これは「上野彦馬生誕之地」です。
「上野彦馬」は幕末~明治初期の写真師です。
あの『坂本龍馬』や『高杉晋作』の写真も「上野彦馬」が撮ったモノです。

そして10:45『眼鏡橋』に着きました。

近くにあった「シーボルトの桜」と「上野彦馬生誕地」碑です。

「長崎県庁」付近には『長崎海軍伝習所跡』が記されていました。

ここが昨日高速バスを降りた「大波止」です。

「長崎電気軌道(路面電車)」です。

11:00ごろ『出島(出島和蘭商館跡)』に着きました。

中に入ってみました。(入場料¥500)
1636年「江戸幕府」はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために約1万5千平方メートルの人工の島を築き、そこにポルトガル人を収容しました。
1639年「鎖国令」によってポルトガル船の来航が禁止され、『出島』は一時無人の島となりましたが、1641年「平戸」の「オランダ商館」が『出島』に移転し、それ以来1859年まで『出島』は西洋に開かれたわが国唯一の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
ざっと紹介します…

「オランダ商館長カピタンの部屋」や「蔵」などが復元されています。

これは「旧石倉」です。

中は「考古館」になっています。

これは「ミニ出島」です。

これは「シーボルト里帰りの植物」です。

これは「鉄製大砲」です。
昭和39年に「浦上川河口」付近から引き上げられた「オランダ船」に搭載されていた大砲らしいです。

「バドミントン伝来之地」だって~

これは「ケンペル・ツュンベリー記念碑」です。
出島オランダ商館医「シーボルト」が来日中、先任者である「ケンペル」「ツュンベリー」2人の学者の偉業を顕彰して建てた記念碑です。

これは「表門」です。
対岸の「江戸町」側から「表門橋」を渡ると、この「表門」があり、探番が出入りする人を改めていました。
そして11:35ごろ『出島』を出ました。

「長崎編」はまだまだ続きます…では“Part.3”を見てください。



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