2011年10月6日午前ジョブズ氏の訃報をネットニュースで知りました。
8月に体調不良によりCEOを辞任しており、予期されたこととはいえ、
心にぽっかりと穴があき、それが日増しに大きくなっていくのを感じました。
ウォズ氏も言ってましたが、自分にとっても、
ジョン・レノンやジョージ・ハリスン死去と同じ感覚でした。
喪失感を紛らすためにしたことは、各種メディア(TV、雑誌、書籍)を
チェックしまくることでした。穴を埋める(Fixing a Hole)ですかね。
日本では、ありがちなIT業界でiPhoneの会社の創業者が墜つ的な報道で、
知る人ぞ知る存在だったので無理からぬところでしょうが、
オバマ大統領が、ゲイツ氏が、あの誰々が、追悼の辞を述べた・・と
間接的に偉大さを計る形が目立ちました。
欧米ではそれぞれの悲しみや思いを共有する形で表現
AppleStore=Strawberry Fieldにそれぞれの思いをそれぞれの表現で伝えるなど
それもジョブズに相応しいミニマルな美しさ、気品が漂っていました。
appleサイトへの夥しい追悼メールも氏の影響力と親和感を物語っていました。
その後、日本では、創業者が自らの会社を追放され、復帰し大ヒットを連発する
やがて病に冒されながらも最期まで素晴らしい製品を送り出し続けた・・
という波瀾万丈伝、ステロタイプに納められていきました。
浪曲ジョブズ物語(ウォズが坊主になってました)もありましたが、
appleの業績は何でもジョブズが行ったかのような虚像で、
ジョンレノン追悼番組でイエスタディやヘイジュードが流れたような
違和感がありました。
それから、ワイドショーから一般の方へ、既発のプレゼン・ビジネス本から
ビジネスマンへと偉人やヒーローとして祭り上げられると、
決定的な伝記発売され、むしろ日本の方が売れる爆発的なブームとなり
奇行や変人ぶりも知られることになったわけですが、
50万人(、で100万部なので)にどのように受け止められているのでしょうか。
スタンフォード大卒業式講演をはじめ様々の場面で、
そしてジョブズ氏の信念が結晶されたアップルの製品から発せられた
言霊 Across the Universeを各人が各様に噛みしめているのではないでしょうか。
というのも、氏が日本人に瞬く間に膾炙したのは、禅や東洋思想への傾倒、
美として日本食、左甚五郎のような職人気質、日本語のようなオブジェクト指向
(Dos動詞+目的語でなく対象を選んでから命令する)への親和性などなど、
我々現代の一般人に外形的にはいささか無縁であっても、どこか深層に通底し憧憬する
胎内の記憶に似たものを感じ取っているからかも知れません。