地球儀と聞いてふと思い出しまた、ワンシーンがあるんです。
チャップリンの独裁者って言う映画なんです。
チャップリン=喜劇王と言う名称がぴったりなんです。
当時の最高技術と思うが、動きが硬くそれがまたそれが、シリアスなメッセージを
重く確実に伝えているように思う。
必ずしも重要な大切なメッセージは、高い技術力に裏付けられているとは限らない
良い例だと思う。
喜劇王のメッセージは兎に角、彼の主張・生き方には共感できる部分が多い。
但し、私は独裁者の中の、有名なあのシーンについては疑問を感じる。
茶化す・パロディとは決して、マイナスだけでなく社会に対して、プラスの要因もあると
信じている。でも、地球儀を弄びうっとりする姿は、何か一線を越えた演出だと思う。
実際、地球儀を弄ぶあのシーンは、映画全体での金字塔であり、太陽を納めた映画
以上のインパクトがあるかも知れない。あのシーンに於いて指導者は魔物であり、
十人中十人が彼を否定するだろう。
大差は無いかもしれないが、単なる地図上での、岩だの島だのと言うレベルを、
超えたメッセージがそこにはある。そう地球は人類でありそれを一方的に支配する
事はしてはいけない、人類が守るべき最後のモラルなのかもしれない。
私は、暴走した独裁者と言われる人間を擁護する気は全く無いが、一方的に魔物の如く
伝える姿勢に疑問を感じる。事件にはきっかけがあり背景がある、それらを双方の立場で
検証考察して、初めて全貌らしいものが見えてくると思う。
昔「マルコポーロ」と言う少し骨っぽい雑誌が発行されていたが、なぜか突然廃刊となった。
私たちが普段接している歴史は、中途半端なメディアの力によって捏造・歪曲されているのかもしれない。
実際、その国の推薦するマスコミによって私たちは、そうなんだろうと誘導されている気がする。
例えば、下関条約で突きつけられた賠償金が、国を疲弊させたと真剣に考えている人が居たとする。
確かに額も大きく一理あるが、それを払った現在の独自の民主主義をされている国じゃありません。
同じ頃、ポツダムにおいても現政権の代表者は呼ばれること無かったと思います。
大陸より撤退した軍隊の兵站基地の武器を持ち出し、使い古した上で処理しろと
施設・資金を要求する事を私は「たかり」と言いたい。
ご自身のちょっと利益に目がくらみ、魅力的な女性に懇意をもって、私たちが築いた
財産をどんどん放出した人を、なぜ先人として敬う必要があるのでしょうか?
神社や、島の話で、はたまたサッカーの試合で、大使館に対して行った行為で、
多角的に捉えた、総合的な判断をしているとは到底思えません。
あれ、横道に逸れだした。
私の知る過去の人々に、悪魔も居なければ、聖人も居ない。
容易に特定の人間を想像して、一方的に否定する映画に私は暴力を感じる。
弱者と思っていたものが、知らぬ間に絶大な勢力を手に入れて
メディアを通じて知らぬ間に、不思議なメッセージを吹き込んでいる様で、
怖さを感じる今日この頃です。
| Trackback ( 0 )
|
|