16日、早朝親父からの電話、えっこんな時間確かに思い当たるふしはある、まさか・・・
今月10日に病院に祖母さんを見舞いに行った。御年90歳長寿社会と言われる現在でも、
私の知りえる人間の中では、かなりの長寿の血縁者と言う事になる。
私の人生40年の中で、20年近く同居した。結構我儘なところがあり、
車を運転出来るようになると、当時流行りの「アッシー」の如く利用された。
まあ私も少々の小遣いが目当てでもあったが・・・、
その布石は考えてみれば、中学、小学生の頃あったのかもしれない。
ダイエットとは無縁の体は、膝に腰にストレスが来るのか、隣で就寝、
足を踏んだり・腰を揉んだりした時は、少々の小遣いを貰ったような気がする。
だだの優しいお婆ちゃんというより、自分勝手で我儘の場合によっては、
憎たらしい存在だったのかもしれない。だだし、彼女の血の一部は私にも流れている事になる。
10日に見舞った時、確かに祖母さんは弱くなっていた、それでも私が分かった、
話と言うか特異の愚痴をこぼしていた、「病院食は・・・、梅干しか食べられない・・」、
まあそんな事を言うなぁ、表情の変わった退院の見込みの無い、
祖母さんに愚痴を溢すな見たいな事を言ったような気がする、
そう言えば彼女は、私の子供の事も少し聞いてきた。元気にしている程度の返答をしたと思う、
覇気の無い顔には、若干の黄疸があった。それから間もなく病室が変わった。
その時、会話と言うか祖母さんとはもう話はできないのかなぁー、と漠然と思った。
喜寿の頃から、フットワークが悪くなり、テーブル代わりに夏でも出ているコタツの定位置で、
テレビを付けて寝ているのだが、テレビを消すと不思議と目を醒まして、
聞いているとか何とか言って付ける事を要求してきた。
生産活動を終えた楽しい生活を満喫していたのかもしれない、
苦労したのならその分楽しむのは当然の権利なのかもしれない。
今はそんな考えも出来るが、当時は寝ていてテレビを意味も無く見ている老人に疑問を感じていました。
別に希望して別居した訳ではないが、娘のお宮参りには祖母さんを呼びつけた。
家族写真に米寿の祖母さんを入れた。家内には長寿の縁起物だと言ったが、
ひとつの区切りとして一緒に写っておいて正解だと思う。
通夜の晩「黄色くなって寝ていたよ」と言う祖母さんの現在は“四角い箱の中”、
ただしお宮参りの写真を見るたび、娘は聞いてくるでしょう、この人誰?その時、
この時は米寿で90歳で沢山の孫・曾孫に見送られて逝った祖母さんの話をしようと思います。
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