南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

There are three teachers

2006年09月16日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、色を遊びながら教えることにしました

この幼稚園では色を見せて何色か分かるようになるのも大切な勉強です。

いつもたくさんの色の中から「これは何色」と教えているので、まず「この色はウィチャチャ(赤)だよ」と色と名前に親しむことを実践してみることにしました。

赤(ウィチャチャ)・黄色(オーンゴーン・語源は黄金です)・緑(ポーンティープ)・青(メイ)の色の積み木があるので、それを一つ一つ説明し、みんなで言葉にしていった後に、それぞれの色の積み木を円の外側に置き、コーナーのようにして、それぞれ君は赤、君は黄色という風に一人ひとつずつ色を決めて、みているみんなに「OOくんは何色?」と確認しながら、円の中にそれぞれの色の積み木を5つずつ置いて、自分の決められた色をとってはこの中にいれるという遊びをしました。

ここで大切にしたかったことは、遊びながら学ぶこと、そして何より見ている皆が常に楽しんで参加していることが大切だということを分かってほしかったのですが。

今は、なにより子どもが楽しんでいる姿を見てもらうしかないです。

今日も発音の練習を文字で書くことを現地の先生が教えていると「泣き出す子ども」がでました。久しぶりにきた子どもでしたが、やはり子どもが不安になってしまうことに教師が「このやり方は、まずいのではないのか」と早く気づいてほしいです。

無理にさせようとする先生に「今はよくない、彼は久しぶりにきて、今考えているところだから、そっとしてあげるのがいい」と話すと、昨日帰りかけた子どももいたので、すぐに理解してくれました。

あと今日は少しだけ怒ってしまいました。

それは、僕が色積み木の遊びの後に、「HIRO、つぎこの発音のプリントを配ってよ。そして教えて」というので、「I am Finish、 There are Three Teaches in my school」と話しました。一瞬気まずくなりましたが、「日本人がやってくれるから楽だわ」という気持ちだけになってしまっては困るので。

もちろんこういってしまうと気まずさや明日からの仕事に影響があるのはやむを終えないのですが。
自分の思いを行動を中心にしながら時には、言うべきことはきっちり言いたいと思います。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

複雑な初の家庭訪問

2006年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は「子どもが泣いた日」所で話したように子どもが悲しくなり、家に途中で連れて帰りました。
夕方になり、迷ったあげくアブサレムの家に行ってみることにしました。
バスでしか行ったことがないのですが・・・・

彼の家は私の家より少しコロニア側の道を山へ向かってずっとあがっていきます。
途中からは、アスファルトはなく、地道を歩きます。

途中で何人かに声を掛けられ、おばあさんからも「どこから来たの?」と聞かれたので「日本から」と答えると「ああアワックの先生ね」と言ってもらいました。

かなり急な坂でしたが、彼の家はすぐに見つかりました。
周りは山々、竹や木々に囲まれています。そこで元気に走り回っていました。

アブサレムのお母さんが僕を見つけてくれて、すわって会いに来たことを伝えました。
「今日はこの子は給食食べたの?」など核心には触れずに。

アブサレムは僕が呼ぶとちょこんと僕の膝に座りました。
いつも保育室でするように。

丁度夕食準備で、外で薪を使ってご飯を炊かれていました。
親戚の方が「先生ご飯が炊けるから食べて言ってよ」と言ってくれました。

家族に何も言ってなかったので「家族が心配するから今日は帰ります」と伝えました。

正直私のホストファミリーの家とは比べられないくらいナチュラルな生活です。
いつもメインの道沿いしか目に入らないけど、山に登っていくとこのように暮らされている方がたくさんミクロネシアにはおられるし、僕は「こういう方々と肩寄せ合ったり、一緒に悩みを共有したりするために来たのだ」と改めて原点を見たように思います。

そして彼がいつもちょんちょんとはね回っているのは彼の普段のこうした竹や木々に囲まれた中で自然相手に暮らしているからなのだと思いました。
子どものバックグランドをしっかりと掴み、子どもの心に近づく、子どもを理解することの大切さを改めて感じました。

家に帰るとお祖父さんが「どこに行っていたの?」と聞かれたので、子どもの所に行ってきたことを告げました。

僕が「まだまだナチュラルな暮らしをしている方がたくさんいるんですね」と話すと「そうだよ」と話されました。

そして僕が今日心配だったこと、今日のようなことを機会に信頼関係を少しずつ作っていることの大切さを話しました。

アブサレムは元気そうで、安心しましたが、豊かで便利なこのポンペイの生活の中で自分が何をするためにここに来たのかを考えさせてくれる良い機会になりました。

やはり、迷ったときはとりあえず動いてから考えることが大切ですし、動けば何かが学べます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもが泣いた日。僕には何が出来るか?

2006年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
朝からうれしいこと。
それはいつも朝幼稚園に来ると僕が窓ガラスをあけるのですが、カリーナがそれをみて自分から窓を開けてくれたこと。
やはり、大人がしている姿をしっかりと子どもは見ていると改めて思いました。

あとうれしかったのは、歯磨きのとき、手伝ってくれたお母さんがいつもは「ブラシブラシ」というだけだったのに今日は「ooちゃん上手」とたくさん褒めてくれたことです。
もしかしてちょっと僕の影響受けてくれている?と勝手に自己満足していました。

今日は、僕は「3」という数字を子どもに教える日です。
その前にココナッツの実の殻に今日は貝殻を4つ入れて、ひとつずつ取り出して「これは1、これは2」と数えたり、また僕が「1」といって子どもがその数を聞いて貝殻を出す遊びをしました。

その後に好きな遊びになり、その後に「3」を教えることに。

日本人の発想で「そうだ、好きな遊びの前に机を子ども全員が黒板のほうを見れる風に配置しておくと時間が有効だ」と思いましたが、思い留まりました。

やはり子ども達が集中して遊ぶには、部屋に入ってからウォーミングアップが必要だと。
「はいこれをしますよ」といって子どもはすぐに集中することは難しいということをこちらの先生にも分かってほしいと思います。僕が地道に活動しながら。

教え方も大切ですが、子ども達に学ぶ準備が十分にできているかも大切であることを知ってほしいです。もちろん学ぶためだけにステップなどがあるわけでは当然ありませんが。

ステップは最近毎日しているので子どもたちも楽しみにしています。
要因のひとつには、それ以外に教室でアクティブな活動が行われないこともあります。

そして流れが分かって自分がどうしたいということが分かってきたことも大きな要因です。

友達がしていると手拍子をしたり、自分の番になることを楽しみにしたりしています。

今日は二人ずつギャロップをして次の人にタッチをしてかわるという遊びにしました。
「3」を教えるのはゆっくりまず、指文字で何度も書いて、その後配った紙の上に指でなぞってから鉛筆で書きました。
ゆっくりな子がいたり、点線の上はなぞれても、自由に書くと形が十分に認識できていない子どもいますが、とても集中して取り組んでいることがうれしかったです。

ほとんど終わりかけたとき、アブサレムといういつもなかなか気持ちが落ち着かない子どもが突然泣き出しました。

理由は、自分ではできたと思っていたプリントを先生にもう一度違う紙を使って書きなさいといわれ、泣いてもされられたことで外に出て「お母さん、お父さんに会いたい」と言って泣きやまなくなりました。

前から彼のことは気になっていました。きっと利発な子どもなのでしょうが、家でもじっっくりと抱かれたりする経験など不足しているようです。

そして彼はこの幼稚園一番の正直者なので、面白くないと寝転がったり部屋の中を動いたりします。僕は彼を見ながら、彼が保育、教えることのバロメーターなのだと感じています。彼が面白ければ多くのみんなも面白く感じているはずです。

これはほかの教育でも一緒です。もちろん全員の心を読み取っていくのですが、「この子どもが分かっていればみんなもわかっている」といった子どもがクラスには必ずいます。

しかし、その子どもは大抵クラスの先生からすれば「どうしてあの子どもはいうことを聞かないの」「あの子どもが悪い」「あの子どもの能力の問題」とだと位置づけます。

僕は日本で常に子どもに個性はあるが、保育がうまくいかないのは先生の責任だと常に教えてきてもらいました。なので、保育や授業がうまくいかないのは常に教師に責任があると思っています。理解できないのは子どもが悪いのではなく、教え方が悪いのだと。
だからそのために教師はもっと努力をして、どうしたら子どもが分かるか、楽しくなるかを常に考えなくてはならないと思っています。もちろんなかなかうまくはいきませんが


結局アブサレムは、給食を食べずに僕とドライバーと彼のお兄さんがバスに乗って送っていきました。
彼を怒った先生は、バスにも乗らないし、帰ってきても僕の方から彼の家に行ってきたことをつげなければなりませんでした。

なにかやりきれない気持ちでいっぱいになりました。

でもこれはECE全員の問題だし、今日のことが少しでも心に引っかかってくれればと期待したいです。

今はあまり気にしていないと思われる先生のことも非難する気持ちはありません。
何か物事が起こると誰かの責任にすることはとても簡単ですが。
きっと彼女も心の中で振り返っていることを願います。

数字や文字を教えることが大切ではなく、まず子どもの心を受け止めること、信頼関係なしに子どもに怒っても子どもには気持ちは伝わらず、何も解決しないこと、子どもと心と心で向かい合うこと、そしてその大切さを僕自身が保育で実践することが何より大切だと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

様々な提案を瞬時にしていく

2006年09月13日 | ミクロネシアの幼稚園
庭に咲く花々です。

今日は昼から部屋で記録を書いていると、シニータが「明日はどうしよう?」と聞いてきました。

今週のカリキュラムを細かく聞いていなかったので、彼女から説明をうけることに。
今週は村つまり家の近所がテーマです。
ポンペイ独自の習慣(挨拶)、いろいろな色を使った遊び、数字の1・2、鶏肉・豚肉・牛肉について、植物の匂いについて、大きさの大小についてなどなど本当にたくさんあります。

近所のことやお肉のことについては難しいので、お話をしたり聞いたりするだけでいいのではないかと提案しました。

他のカリキュラムについては
○ 挨拶については、ピアノを鳴らしてみんなで歩き、音楽がとまると二人組みになってそれぞれ先生が言った挨拶を二人組で行い、できたら座るというゲームにする。
○ 大きい小さいは具体物を使った後に、実際に子どもを使ってどちらの子どもが大きいかをみんなでみて違いを分かる。
○ 数字については今日に引き続き3を指でなぞってから、ワークシートをする。
○ 色の違いについては、緑・青・黄色・赤の積み木を使って、それぞれ一人ずつ色を決めて、4人でばら撒いた積み木での中から自分が決められた積み木を取る。

これらを決めて、ちゃんと説明して行うことにしました。
明日は、色と3を僕がすることになりそうです。

でも彼女から「色の歌があるから聞いてみて」とか、僕は色のポンペイ語が分からないから教えてというと「ちょっとまって」といって色画用紙に書いて教えてくれるなど彼女の心が開放されているのと同時にどうしたら伝えやすいかを彼女なりに考えてくれていることがうれしいです。
また色についてはよく、たくさんの色を教えて「これは何色」と子どもに聞いていたのですが、「それはサカナカン(よくない)」と言いました。

例えばね「今すぐに僕が日本語で1-10まで教えるからすぐに言える?」と聞きました。
(彼女は日本語を高校のときに習ったのですが、それでも言えませんが・・・)

彼女は1から順番に数えながら「言えない」と答えました。
そこで「そうでしょ、やはりたくさんのことを始めて習うと難しいんだよ」というと
「うんそうだ」と納得してくれました。

「子どもも同じだよ」
「でも1はなんていう」ってひとつずつ教えて聞くと彼女も日本語で1-10まで言えました。「ねえ一度に教えられたら困るけど、順番に教えると分かるでしょう?」と聞くと分かってくれました。そして「そんな風にちょっとずつしていこうよ」と。

これだけの会話で通じたとは思っていませんが、こうしていいコミュニケーションをとりながら、互いの気持ちや価値を尊重しながら、「ああそうか」と互いの気持ちが感じあえるようにしていくことが今の僕たちがすべきことではないかと思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1と2を書く

2006年09月13日 | ミクロネシアの幼稚園
今日の保育

今日は昨日何も打ち合わせをしていないので、どうなることか?と思っていましたが、経験豊富なサブティーチャーのジュディーがいないことで、メインティーチャーである若いシニータも「自分でやる楽しさ」を少し感じたように思います。

いつもなら朝の一時間のカレンダーなどの話は、ジュディーがするのですが、今日はたまたま?真ん中に座ったシニータが全部進めました。

もちろん、一人ひとりの子どもに今日は何月・何日・何年の何曜日(これがポンペイのカレンダーの順番)を聞いていきました。

でもいつもより子どもが落ち着いています。その理由は昨日にも書いたようにシニータがゆったりと構えていてリラックスしているから、そして子ども一人ひとりに「カッと怒ってしまうのではなく、落ち着いてかかわり、分からない子には「一月はね・・」と助け舟を出したり、嫌がっている子どもを無理にさせなかったことだと思います。
これは自己満足ですが、もし僕の今までの姿を見てくれて、それを意識してくれたのなら最高にうれしいですが・・・・

シニータには「今日はとってもよかったよ」「君が落ち着いて怒らずにいたら子どもたちはとてもリラックスした気持ちに慣れるよ。と

自由遊びの前に急に「今日はこれからどうする?」と話しかけてきました。
「えー、今日のこと決まってないの?」と僕が聞くとあっさり「うん」と答えました。
そして「でもカリキュラムですることがあるでしょう」と僕が聞くと「昨日した1・2・3の数字を書けるようにしないといけない」とのこと。
そこで「昨日の授業は、難しかったように僕は思う」と話しました。
そして「急に1・2・3と書いたら、どれが1でどれが2で、どれが3かがわからないし、ほとんどの子どもが戸惑っていたと思うよ」と話しました。
シニータが「じゃあどうすればいい」と聞くので、「もし今週の間に1・2・3を書かせたいとしても、あと3日あるんだから順番にしても十分に間に合うし、その方が子どももよく分かるよ」と。

「よしここで頼りになるところを見せなくては」と15分で準備できるものは?と考えてひらめいたのは。

まず、急に数字を描くのは難しいのでカウンティングをすること。
それも1・2・3のみに絞って。
そして、指だけでなく具体物(今日は教室にあった貝殻3つをココナッツの殻に入れました)を使って数える。
教師と一緒に1・2・3を数えた後、教師が「1」と言うとひとつだけ貝殻を出すといった風に。
きっとそんなの簡単だよと思われますが、間違える子もいます。
それに最初はできるだけ今から学ぶことに抵抗感が少なく「僕もできる」といった気持ちになれるものが大切だと思いました。
そして具体的にまず子どもが書きやすい「1」のみを教えること。それも最初は教師が黒板に書いて、指を使ってみんなで顔の前の空間を使って、指で字を書くだけにすること。
子どもを見ていると鉛筆はまだまだ不慣れで思った形がかけず、字を鉛筆で書くということだけで緊張している子もいる。また鉛筆を使うことに神経がいき、数字を書くところまで気持ちが行かない子もいるみたいでした。

何度も遊んで馴れてから、紙を渡すこと。また紙も昨日みたいにフリーの紙に急に1・2・3と書くのではなく、サンプルに「1」と書いて、点線でかける1を6つ(枠で囲んで分かりやすくする)そしてその後に自由に書ける枠を6つ作り「1」を描く紙を用意すること。

それができたら同じ要領で2を最初は指でその次に紙で教える。

数字の「1」は、線を縦に引くだけなので「僕もできる」という気持ちになりやすかったです。それでも紙を横向きにするなど、コンフュージングしている子どももいました。

数字の「2」は、形が難しく、指文字でなぞれても、実際に鉛筆で書くには、形がイメージできなかったり、鉛筆を扱うのが難しかったりして、できにくい子もいました。

また最後にみんなでもう一度「1」「2」の数字を指で書いて、最後に明日は「3」をするよと伝えました。これをしながら「カンターパートにこういう風に子どもがイメージもてるようにしてね」と祈りながら。

全員が終わった後に、子どもが自由に自分で指を使って数字を描いているのを見て、「これはうまくいった」と少し思ってしまいました。いつでも書けるし、形が残らないので子どもはリラックスしてできるようです。

ただ反省点は1のことはポンペイ語で「Ehu」といいますが、つい力が入り「エーウ」とウを強調してしまい、「それはポンペイ語ではない」と現地の先生に言われてしまったことです。

やはり、現地語をきっちり発音を正しく、常に上手に言えないですし、子ども伝えようという気持ちが高まると語尾に力が入ってしまいます。

でもどうにかシニータのリクエストに答えることができほっとしています。

最後の5分に子どもたちを集めて「明日は3をするよ、こう書くんだよ」と指文字で練習。子どもが自分なりに見通しや期待をもてるようにと思います。(単に明日の予定を言っているだけですが)

とにかくシニータが僕に相談してくれたことが何よりうれしい。
毎日が急なことや突然なことだらけですが、とにかくすぐに考えて実行し、子どもが楽しみながら分かるもの保育を目指します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は見守る保育

2006年09月12日 | ミクロネシアの幼稚園

今日は、経験があり年長者のジュディーが歯医者さんにいくのでお休みとの連絡があった。
3連休明けで子どもたちは少し落ち着きがないのではないだろうかと心配していたが、とても和やかな雰囲気で教室に入ってくる。

それは子どもたちにいい意味での久しぶりの緊張感があった上に、ジュディーがいないせいもあるのか、メインティーチャーのシニータがリラックスして子どもに望んでいたことが大きかったように思います。

どこの国でもやはり教師の心の持ち方が子どもにとって何にもまして大切なものだと実感しました。

自由遊びの前に急にシニータが黒板を使って、子ども123を書かせようとしました。
「私書ける」言って利発なメリアンが書きましたが多くの子どもがなにのことやら分かっていません。
そこで丁度好きな遊びになったので、シニータに「これはとても難しいので、まず説明が必要だと思うよ」と話すと「次のときは紙を用意してするから」という返事。「じゃあ紙に書かせる前に、どんな風に書くかを子どもたちに説明してね」とお願いしてみました。

ちゃんと最初に「こうして123って書くのよ」とみんなに説明してくれましたが、それを説明するとすぐにみんなに書かせ始めたのでほとんどの子どもがわからず、迷宮の世界に入ってしまいました。

人の教え方を「ああしたほうがいい」というのは簡単なので、とりあえずがんばって個別にサポート。123の意味が全くわかっていないので、見本を見せても真似をすることが難しい。

「なぜ今日は1だけさっと線引くようにして教えてくれないの?」って、正直思ってしまいましたが、あまり言い過ぎると、よくないので、今日は黙っておくことに。

心配なのは単に分からないではなく、こういうことを続けていくと子どもたちのやる気が失われていくのが目に見えて分かるからです。

教育とは、子どもの良さを見つけ伸ばしていく。子どもにはみんなよさがあり、時にはそれに気づいていない子もいる。教師は子どもに「それがいいことだよ」「君にはこんないいところがあるんだよ」と伝えることができれば十分だと思う。

そのためには、褒めること。正確に言うと認めること。
褒めるとはなんでもかんでも褒めるって感じがしますが、認めるとは、子どもが「僕はがんばった」と感じたことに対して「それでいいよ、そうだよ、それががんばったってことだよ」と伝えることだと思います。

褒めて(認めて)子どもを育てることは、叱って子供を育てることより10倍大変だが、子どもはそれ以上に学ぶ意欲を高めることができる。

教育とは文字や数字を教えることはあくまで手段であって、大事なことはもっと学びたいもっと知りたい、もっと友達と一緒に遊んで学びたいという気持ち、つまり意欲を高めることだと思っています。

ちょっと話が理想主義になってしまいましたが。

あと、やはり必要なのは、子ども一人ひとりを教えながら、全員が理解することを取り入れること。一人ひとりに「これはどうだった?」と24名に数字や曜日を確かめるために、ほとんどの子どもが待ち時間になってしまっていますし、友達のを見て感じる、学ぶということを先生は意識していないので、そういう流れにはなりません。

一人ひとりは大切にしていかなくてはなりませんが、保育や授業の中で1対1だけの関係では集団教育としては、難しいです。

でも今はちょっと待ちます。
今日はシニータが僕の体育の授業があったこともあってか、それか金曜日にシニータに「明日のことどうする」とジュディーの前で聞いたときにジュディーが「それはシニータが考えるわ」と言ったので、ちょっとまずい雰囲気だったことを感じました。

しばらくアドバイスをシニータは求めないのかもしれませんが、ちょっと様子を見ながら焦らずにじっくり行きたいと思います。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルールとは誰のためにあるのか?

2006年09月09日 | ミクロネシアの幼稚園
ミクロネシアは、ポンペイ・チュク・コスラエ・ヤップの4州からなっており、全くの別の習慣・文化を持った州(島)の集合体です。
それぞれに仲間が派遣されているので、その州ごとで州会議があります。
今日は第二土曜日なので州会議に出席します。
そのあと、ワールドティーチという集団で活動しているアメリカのボランティアと我々でナラップ島という島に出かける予定です。
雨がかなり強く降っていますが・・・・・

昨日は急いで書いたので詳しく書けなかったを書きます。

まず、朝一番にしたことは、子ども達の使う歯磨きに名前を書き直しました。
マジックで一昨日書いたのですが、もろくも一日で消えてしまい、再チャレンジ。
歯ブラシの両面に書いて、セロテープで止めました。

こちらは、子どもが生活の中で自分の名前を覚えたりすることがほとんどありません。
自分の持ち物も日本の子どものようにないですし、家でホームステイ生活でも子どもの名前はみかけませんだから自分の名前を生活で見たり、意識したりすることが非常に少ないのです。

ですので、保育の中で直接教えるだけではなく、やはり、子どもが生活の中で自然に触れられるようにしていくことが大切です。

これからもそんな直接教えるだけではなく、子どもが文字や数字などを自然と触れて生活の中に取り込める方法を考え、実行していきたいと思います。

今日感じたのは、こちらのルール、モラルについて
算数の話し合いで「日本のモラルは凄い」という話になりました。
そして、なぜポンペイの子どもはモラルが守りにくいのか?
一つには悲しいですが、先生がきっちり守れない人がいるので子どもがそれをみていること。
それと「モラルやルールで決まっているでしょう」というだけで、子どもが守りたくなうような取り組みが成されていないこと。

そしてそのルールやモラルを守ることが大切で、子どもが困っていてもルールやモラルが優先される、つまり柔軟性に少し欠けているところが見られます。

例えば昨日子ども一人に黒板に数字を書かせる時間があり、他の子ども達は座る位置から見ないといけません。

しかし、そこからは見えないので自然と子ども達は前に前に来ますが、先生は「座りなさい。座るルールでしょ」と子どもが心地よく過ごす為にルール作りになりきれていないのです。

毎日いろいろなことを感じます。しかしそれを批判にとどめてしまうのではなく、「どうしたらいいだろう」一緒に現地の人と考え、時には「こうしてみるのはどう?」と押しつけではなく提案しながら、彼女たちが納得した形で少しずつ少しずつ地道に子どものことを第一に考えていくことが出来ればと思っています。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たくさんの疲労感の中にも喜びを

2006年09月08日 | ミクロネシアの幼稚園

今日はBIG WEEKEND。                                   なぜなら9月11日はポンペイ島は休日なので3連休のスタートです。           

一週間フルで働き、カウンターパートとの仕事も増えてきて、一気に疲れが出てきたような気がします。                                                                           ですが、止まることはできない?                                 昼からECEのオフィスに行き、今度出す報告書の項目にあるECE予算について訪ねました。 そして教育委員会へ なぜなら、今、算数教員の仲間とこちらの算数専門家と合同でポンペイの算数強化に取り組もうとしています。                   

昨日日本人だけで集まり、共通確認したのですが、今日は現地の人とのすりあわせ。 正直疲れました。

 そんな中でもECEのオフィスに行ったとき、カウンターパートに偶然会いました。彼女は毎週金曜日にオフィスにいかなけらばならない仕事があるのです。 その時「Hiro 今から一緒にスクールバスで帰ろう」と言ってくれました。用事があって帰れなかったのですが、その言葉がなんだかの少しですが、仲間として近づいたのかな?と思わせてくれる瞬間でした。

 明日からワールドティーチというグループとナラップという島に行きます。 前に一度日本の小学生といったことのある島です。前に凄く蚊に咬まれたので、今度は咬まれないように気をつけます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンティング大成功?でも伝えるのは難しい

2006年09月07日 | ミクロネシアの幼稚園
今日のメインは、数のカウンティング。
現地の先生に自分の教え方がいいと思ってもらうには、時にはこういう現地の先生がうまくいかないことをこうやったらうまくいくという成果としてあらわす意気込みが必要です。

昨日1-5までのポンペイ語のカウントを数字の紙を使いながらしたので、今日は1-8まで。
そして指導上の留意点は、まずゆっくりすること、くりかえし、同じ部分をなぞりながら新たな数字を増やしていくこと、途中で何度も子どもと確認していくこと。
一番大切なことは、子どもが楽しく、自信を持って答えること。

こちらでは教えることにそしてできるようになってほしいという気持ちから、子どもに対して詰問するようになってしまい、子どもが答えを言うことに不安を覚えるという場面があります。それを自分の時間には払拭したかったのです。

一人ずつ聞いていくときには、言えないときには口の形で伝え、1-8の間にひとつでも答えがいえたら「ララコング(えらい)」と認めると子どもは安心したようで、今までなかなか答えるのが難しかった子どもも答えることができました。

また1-10の数字の書いた紙を地面に置き、教師が言った数を子どもが一人ずつ見つけるという遊びもしました。全く分からない子どもには10枚のカードを5枚や3枚にして選びやすくしたり、子どもが当たっているカードを見つけるとみんなでそのカードをみて数を言ったりと単純なことですが、子どもを試すではなく子どもがもっとやってみたい、次には数字を覚えようと思えるように。

最後はカウンターパートのシニータの出番。
自分の名前を一文字ずつ点線で書いてある紙を配りました。
いつもは、無造作にぽんと投げてしまうところを、一人ずつ名前を呼んで鉛筆まで渡してあげるところはとてもよかったです。
惜しかったのは、紙を渡すと「さあしましょう」と何の説明もなく子どもにさせてしまったこと。
「その部分が大事です」子どもは、自分の頭文字ばかりを先に書いてしまうなど、ひとも字ずつ書く目的が分かりません。
そこで一度ストップして、黒板を使って自分の名前をんひとつずつ書いていくこと。
(例えばKIMOだったら最初はk、次はki その次はKIM そしてKIMOという順番に点線の文字をなぞっていく)

そして、今日したかったので子どもによって指導法をかえるということ。

一枚目は今説明した名前を点線で一文字ずつ書いていくのですが、自分で名前がすでに書ける子どもは、次には紙の一番上に名前を書いてあるだけの紙を渡して自分で名前を書く。でもまだうまくかけない子どもは、もう一度一枚目と同じ紙を渡して、繰り返し練習する。

昨日の打ち合わせでは伝えたつもりでしたが、違う紙を子どもに渡すと「これはもう終わったから違う紙を渡して」と同僚に言われてしまいました。

文字の理解力によって2枚目の紙は異なるようにして指導しようと話していたのですが、
語学力不足と理解の違いでうまくいきませんでした。

「うーん」やはり、難しいですが、それは急な変化を私が求めているから。
もっともっと子どもに指導するとき同様にゆっくり進みましょう。
子どももカウターパートも確実に分かってもらうことが大切なのですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンティング大成功?でも伝えるのは難しい

2006年09月07日 | ミクロネシアの幼稚園
今日のメインの保育は、数のカウンティング。
現地の先生に自分の教え方がいいと思ってもらうには、時にはこういう現地の先生がうまくいかないことをこうやったらうまくいくという成果としてあらわす意気込みが必要です。

昨日1-5までのポンペイ語のカウントを数字の紙を使いながらしたので、今日は1-8まで。
そして指導上の留意点は、まずゆっくりすること、くりかえし、同じ部分をなぞりながら新たな数字を増やしていくこと、途中で何度も子どもと確認していくこと。
一番大切なことは、子どもが楽しく、自信を持って答えること。

こちらでは教えることにそしてできるようになってほしいという気持ちから、子どもに対して詰問するようになってしまい、子どもが答えを言うことに不安を覚えるという場面があります。それを自分の時間には払拭したかったのです。

一人ずつ聞いていくときには、言えないときには口の形で伝え、1-8の間にひとつでも答えがいえたら「ララコング(えらい)」と認めると子どもは安心したようで、今までなかなか答えるのが難しかった子どもも答えることができました。

また1-10の数字の書いた紙を地面に置き、教師が言った数を子どもが一人ずつ見つけるという遊びもしました。全く分からない子どもには10枚のカードを5枚や3枚にして選びやすくしたり、子どもが当たっているカードを見つけるとみんなでそのカードをみて数を言ったりと単純なことですが、子どもを試すではなく子どもがもっとやってみたい、次には数字を覚えようと思えるように。

最後はカウンターパートのシニータの出番。
自分の名前を一文字ずつ点線で書いてある紙を配りました。
いつもは、無造作にぽんと投げてしまうところを、一人ずつ名前を呼んで鉛筆まで渡してあげるところはとてもよかったです。
惜しかったのは、紙を渡すと「さあしましょう」と何の説明もなく子どもにさせてしまったこと。
「その部分が大事です」子どもは、自分の頭文字ばかりを先に書いてしまうなど、ひとも字ずつ書く目的が分かりません。
そこで一度ストップして、黒板を使って自分の名前をんひとつずつ書いていくこと。
(例えばKIMOだったら最初はk、次はki その次はKIM そしてKIMOという順番に点線の文字をなぞっていく)

そして、今日したかったので子どもによって指導法をかえるということ。

一枚目は今説明した名前を点線で一文字ずつ書いていくのですが、自分で名前がすでに書ける子どもは、次には紙の一番上に名前を書いてあるだけの紙を渡して自分で名前を書く。でもまだうまくかけない子どもは、もう一度一枚目と同じ紙を渡して、繰り返し練習する。

昨日の打ち合わせでは伝えたつもりでしたが、違う紙を子どもに渡すと「これはもう終わったから違う紙を渡して」と同僚に言われてしまいました。

文字の理解力によって2枚目の紙は異なるようにして指導しようと話していたのですが、
語学力不足と理解の違いでうまくいきませんでした。

「うーん」やはり、難しいですが、それは急な変化を私が求めているから。
もっともっと子どもに指導するとき同様にゆっくり進みましょう。
子どももカウターパートも確実に分かってもらうことが大切なのですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念願かなって机を並べて。人数カウンティングは難しい。

2006年09月06日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は3部構成です。これは午後からの明日の準備編。

興味のある方時間のある方は、他の二つも見てください。

教育委員会への提言と今日の保育についてです。

今日も昼から「明日はどうすればいい」とシニータが聞いてきてくれました。

まず今日僕がなぜ1-10までのカウンティングをせずに1-5までにしたかについて話をしました。
子どもには今日教えてみて、今はまだ難しいこと、それをすることで子どもが自信をなくしていることなどを伝えました。

まだ深く話したりするほど信頼関係もないですし、彼女の保育を否定してはいけないので、自分の考えという程度に。

ただこどもがわかっていないと思ったら、無理に教えないと言うことを知って欲しいです。

またシニータがした名前を隠して自分の名前をさがすアイデアを認めて、「こうしてみたら、いいのでは?」ということはどんどんして欲しいと思いました。

「明日はどうしたらいいの?」とやはり気になるのは明日の進め方。なかなか今日の保育を振り返る話は、難しいです。(僕の英語力の問題もありますが)

そして明日は自分の名前を書くことが目標とのこと。

今日使った、一人一人のプレートを使って遊び感覚を取り入れること。
ゲームのように10人ずつ一斉に探すなど。時間は今日みたいに長くしなくて良いので、
遊び感覚ではじめることが大切だと伝えました。

そして、鉛筆を使うと子どもはうまく使いこなせず、そのことばかりに意識がいくので、プレートの上を何度も指でなぞってみると良いのではと言いました。

そして、自分の名前を紙に書いてもらうと分かって書ける子どもとその意味が分からず戸惑う子など差が激しいこと、また名前が2文字の子ども、10文字以上ある子どもなどもいて、難易度もさまざまであることを共通確認しました。

また、名前を自分でかける子ども、まだまだ自分では書きに行く子ども、書くこと自体に抵抗がある子どもなどわけて、それぞれの指導法があることも伝えました。

そして、今まで点線で子どもの名前を書いていたのをなぞるだけで不十分なので、Cobyなら
最初に紙にCOBY(はっきり文字で書き、以下は点線で
C
CO
COB
COBY
と1文字ずつ順番で書けるようにプリントを作ることにしました。

もちろんとても大変なので「ハードワーク」といってシニータは他の部屋に行ってしまいました。ここからが本領発揮。
25名分自分で書く意気込みでチャレンジしました。2-3時間はかかる覚悟で。
でもきっとそれを彼女はどこかで見ていてくれるだろうという期待を持ちつつ。

半分以上終わったところで「どこまでしたの?」と聞いてきました。
「半分くらいだよ」というと机を持ってきて子どもの文字を書き始めました。

実はここでも少し工夫を。
もし彼女が手伝ってくれるときに途中で辞められるのが一番困るので、長い名前は僕が先に済ませておきました。結構スムーズに机を並べて作業が進行。

作ったのは学校にコピーがあるのでそれを使って複写しました。

すぐに書ける子には自由な紙を分からない子には何度もしてもらえるように。

その後に人魚を使って教えた人数の数え方は、今子どもが1-10までちゃんと言えないので、あまり向きに教えると子どもが戸惑うので、あまりしつこく教えないことを確認しました。1-10までがわかることが基本だと。

私もこのように数字や文字を教えるのはほとんど初体験。
いつも勉強です。でも彼女が「hiroは頼りになる」と思ってもらえるように毅然と「こうしてみよう」と具体的な手だてをいつでも言えるようにまた保育で出来るようにしておきたいと思います。

明日も何が起こるか分からないけど頑張ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名前探し&人数カウンティング

2006年09月06日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は朝から保育が楽しみでした。
それは、昨日カウンターパートのシニーターと念蜜に準備したことがどのように保育として子どもたちと作り出せるかということが。

私の保育としては、10時からの自由遊びの前に10分ほど時間があいたので、ケンケンをしました。両足をついたり、足を代えたりしたらケンケンは終了で、誰が最後まで終了せずにケンケンをするかというルールにしました。昨日は二人でしたので今日は三人一緒に。最後にクラスの皆で一斉にすると、混雑して分からなくなってしまいました。少し欲張りすぎました。

好きな遊びのあと、シニータが1-10までの数字の書いた紙を一枚ずつ見せながら、子どもにいえるかどうか一人ずつ確かめ始めました。
案の定、ほとんどの子どもが棒立ちで、ぜんぜん言えません。数人のとても賢い子は、言えますが。そこで少しでしゃばっていると思いましたが、思い切って「僕に代わってください」と頼みました。

もっとゆっくりカウントし、1-10まで急にするのではなく、まず1、次に1と2と、ゆっくり、そして教師だけがカウントするのではなく、数えることに終始せず、立ち止まって子どもに聞いたりしていきました。そして子どもの様子から、今日は1-5までが限界だと思い、一人ずつ1-5までを聞いていきました。

それも聞く子だけに集中しないように、何人かが終わったらみんなでまた1-5までカウントするなど全員が参加するように。
どうにかほとんど子が1-5まで戸惑いながらも言えました。

私の中では、今までのような自信なげになったり、教師が詰問してしまうのではなく、落ち着いて考えられること、また間違っても大丈夫という感覚を大切にしたかったのです。

次は昨日準備した「人数を数えるカウント」
用意した人形には興味津々でしたが、少し楽しすぎて興奮してカウントする子がいます。
また現地の先生とは微妙に発音が異なるので、その部分は現地の先生の力を借りながら行いました。

1人から10人までがカリキュラムの課題と聞いていたのですが、とても無理。1人から3人を中心に少しだけ5人までの数え方をやりました。
机の上に人形を置いたり、人形が「カセレリア」と話しかけたりしながら。

また「アマ(かなづち)トントン、エーウ(1)トントン」を「プチャック(男の子)トントン、エウシック(一人)トントン」と歌の歌詞を変えて楽しみながら。
全部代えるのではなく、親しみのあるものを使いながら子どもが安心感を持って、毎日の課題に取り組めるようにすることが大切だと少しでも伝わればと思います。

いよいよシニータの番。やることは、こどもが自分の名前を覚えて書くことですが、今日はたくさんある名前のプレートから、自分の名前を書いたプレートを探す遊びです。

最初にすぐに全員分をばら撒いたので、「最初は子どもに手渡して、これが僕のってわかるようにしてからって言ったのに・・」と思いつつ様子を見ていると、なんと全部を裏がえして白くして、カルタのようにシニータがし始めました。
こんな難しいことをして大丈夫と思いましたが、見守ることに。

分からない子には自分がいつも座る時につかうシートに書いてある名前を使って、どれが一緒か探せるようにすることにしました。

そんな風に分からない子どもにも、分かるにはどうすればいいかを一人ひとりに応じて援助する大切さをより分かってもらえればと思います。

今日は僕の心が晴れやかなせいか、子どもも食事の後の歯磨きでもとても落ち着いていました。なんだか教室全体がほんわかしたムードになりました。

こんな雰囲気をいつも子どもが感じられるようにしたいとおもいますし、先生たちが「今日はうまくいった」という思いを持てるように少しでも支えたり一緒に考えて生きたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だんだんカウターパートらしく

2006年09月05日 | ミクロネシアの幼稚園
昼、食事の後部屋に戻ると、シニータが今まで子どもが書いた文字などを一人ずつわけていました。昨日、子ども一人ひとりがファイリングできるノートが届いたからです。

しかし、穴を開ける機械もないので、ファイルの表紙の裏にある数枚入れられる袋のみを使うとのこと。これではファイルを使う意味が正直ありません。

それに数えてみると22冊しかなく、25人いる子どもには不十分です。

そこで、厚紙かダンボールを下敷きのようにして、クリップで今まで書いた紙を個人ごとにとめて、ダンボールを大きめにしてそこに名前を書いて、教室でも飾ることができるようにしてはどうかと提案すると、「飾れる」という部分に惹かれたようで「それならそれがいい」とOKしてくれました。22冊のファイルの行方が若干不安でもあります。

カウンターパートが何に興味を持ち、どんなことをしたいのかなども普段の会話やしぐさから感じ取りながら、自分の考えや保育の仕方を伝えていかなくてはいけないと思います。

あと、今日は今まで以上に詳しく、カリキュラムのことを説明してくれました。
カリキュラムはポンペイ語で書いてあるので、十分に意味がわからなかったのですが、シニータは自分から項目ごとに「これはこういうことなんだ」と英語と絵などを交えて僕に伝えてくれました。

そして、今週は学校という大きなテーマをがあり、たくさんのそれにまつわる具体的な活動があります。
そのひとつとして、自分の名前を文字としてわかるこという課題がありました。

子ども達にゲーム感覚で楽しませる必要性を話し、一人一人の名前を厚紙に書いて、それぞれに手渡す、そして指でその名前の書いた紙をなぞったりと自分の名前に親しんだ後、
最初は数枚バラバラにして自分のを探す、だんだん難しくして全員の紙の中から自分のをすと言ったアイデアを出すとやってみると言うことで、厚紙をきって彼女に名前を書いてもらいました。(僕のポリシーで少しでも良いから必ず教材作りや準備に彼女が参加することを大切にしています)

また、日本語が単に数の時は1-10と数えるのに対して、人間を数えるときは1人から10人という数え方になるようにポンペイ語も異なります。
今週は一人から十人までの数を数えられるようにしたいということなので、「ONE LITTLE インディアン」の歌がポンペイ語でもあるので、それを使うこと。
そして単にカウンティングにならないように、以前に僕が作った紙人形を竹を使ってたてるようにして、歌いながらお話のように示していくことを提案。また歌も「アブサレム(ワンリトル)・エイジェイ(トゥリトル)・アーカングル(スリーリトル)」というように子どもの名前を呼んでそれに併せて子どもを立たせること。わからないときに先生が子どもに近づいてジェスチャーやタッチをしてわからせると良いと話しました。

それを聞くと一緒に紙人形を竹につけたり、子どもの名前を歌にする練習をしてくれました。

今は、彼女が相談してくれることが嬉しいです。
そしてそれに的確に必ず答えを見いだすことが必要だと思います。
本当に頭をフル回転させて、アイディアを絞り出しています。

それが彼女からの信頼を得ることですし、子どもを通してカウンターパートにささやかな技術移転ができることに繋がるのだと思います。

朝からずっと保育をして、昼からずっと打ち合わせ・アイディアを考える・教材をつくると忙しいですが、嬉しい悲鳴です。

今はいろいろなことを急に伝えるのは難しいので、現地の先生が、いろいろなマテリアルを使いながら、子どもに伝えることがしやすいようにサポートすること。
そのためには、まず積極的に準備物を作っていくことだと思います。

これからもフル回転で頑張るしかないです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー保育&学校の絵

2006年09月05日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、昨日考えて作ったカレンダーを使って子どもたちに「今日は何月何日」という保育を現地の先生がしてくれました。

正直、昨日に先生から「カレンダー」を作ってほしいと言われるまで、朝数字と月をいっているけど???とちゃんと内容を把握しておらずに聞いていました。

自分でもこれからカレンダーの指導ができるようにしないといけません。

しかし、日本の子どもと違うのは、曜日や日にちの感覚です。
子どもの生活の中に曜日や日にちを考える必要性がないように思われます。
そういう意味では、やはりECEでその感覚を養う必要があります。
しかし、それはあくまで楽しく、遊びを通してというのが僕の考えです。

また、学校というテーマで絵を描きました。
今まで子どもたちは、「丸を描きましょう、四角に色を塗りましょう」という絵の描き方はしてきましたが、今回のように「学校」というテーマはあるものの、自由に描くのは初めてです。

少し戸惑いもありましたが、顔を描いたり、こちらが「太陽もあるね、木も生えているね」と伝えていくと自分のイメージを膨らませている子もいました。

日本とのやり方とは正直異なりますが、ある程度描きやすくして、描くことへの抵抗感をなくして、描く楽しさを積極的に伝えていくことが必要なのではと思っています。

また、途中でたくさん友達を描いている子がいると「見てみて、エーウ(1)・リアウ(2)」という風に数を数えながらたくさんいることを伝えていきました。

また終わった子は自分の名前を書くという次の課題を与えられていましたが、それも終わった子はすることがなく、「座っていなさい」と怒られることが多いので、本を出して自由に見ていいことにしました。

最初は「え、今は絵本を見せるときではない」という表情を先生はしていましたが、静かに楽しく見ている子どもをみて、「それならいいかな」と、終わった子に絵本を自由に見ることを許してくれました。

これも今のECEの大きな課題です。
待ち時間が多いのですが、その間、子どもはじっと座っていることしかできないので、どうしても立ち歩いて怒られるという悪循環。

急に勝手なことをすると先生の意図とは異なるので、こういう風に少しずつ様子を見て、こどもにとってこの方がいいということを感じてもらえればと思います。
なかなか思うようにはいきませんが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと近づいたかな? カレンダー作り

2006年09月04日 | ミクロネシアの幼稚園
昼からのお話。
家に昼食を食べに行く前に、同僚のシニーターから、「月ごとの文字を表にしてほしい」と言われました。何に使うのかとよく聞いてみると、「毎日、今日は何月何日と子どもに言うときに使うとのこと」。それでは365日分書かないといけないし、毎日続けることにしないとあまり効果的ではないので、日めくりカレンダーをすることを提案しました。

最初シニータは、日にち、月、年が分かればいいとこと。
そこで前から考えていた、生活に数字や曜日を組み入れて、子どもが数や曜日を実感できるようにするように提案しました。

毎日のようにポンペイ語で「月曜・火曜・・・」と連呼していますが、なかなか子どもたちが覚えないのは、単に言葉として理解しているだけで曜日の実感がないからだと思っていました。

そこで、たとえば、「今日は月曜日だよ。明日は火曜日だね。この絵は水曜日に描くことにしようね。昨日は日曜日で幼稚園はお休みだったけど何をしていた?」など、自分の生活に曜日感覚が入るようにしなければいけないと。

家に帰って、ダンボールを物色。フライパンが入っていた四角のダンボールがあったので、それに月・日にち・年度・曜日ごとにクリップをとめられるのではと考え作り始めました。

午後から同じ小学校の先輩隊員と一緒にしゃべりながら作っていると、シニータも見に来て、3人で会話が弾みました。
やはり異性だし、年も違うので、小学校隊員でシニータと同じくらいの年の人がくると彼女もリラックスするようです。

出来上がって月や日にちの文字を書くのは、彼女の仕事。

今の僕の考えは、僕は何でもするけれど、どの部分かを彼女にしてもらい、彼女自身が自分でしたという喜びや意識を持ってもらいたいとささやかながら思っています。

また月や日にち、曜日もそれぞれ紙の形を換えて作りました。
それは彼女たちが形の概念をおしえているので、そういうことも自然と視覚から訴えるのが良いのでは考えました。
できるだけ自分が作るものに、彼女たちの保育に生かされるように、また彼女たちがしようとする保育を理解するためにも。

すると彼女が今日中に作らないといけないといいます。珍しいなあと思っていると「明日校長先生が授業を見にくるんだ」といいます。

そして、「明日の授業どうしよう」と相談してきました。
今週は「学校」という大きなテーマとしてあり、それに乗っ取ったことがしたいとのこと。
そこで、僕が色のついた画用紙を学校の形にかたどったのを全員分作り、それを子どもがそれぞれ自分で白い紙にはって、学校をイメージして自分の顔や友達など学校に関することを自由に描いてはどうかと提案しました。

すると「それはいい。学校の形作ってくれる?」と聞くので、全員分作りました。

彼女に「なんでもこのように聞いてくれたら、二人で考えていいアイデアがでるから、これからもなんでも話をしてね」と話すとうなづいてくれました。

職員会議後、部屋に戻ると散らかったまま。
でもそこには「hiro ごめんなさい。いまから郵便局に行かないといけないので、先に帰ります。掃除をしておいてください」という置手紙。

僕の中では「おいおい」ではなく、そんな風に手紙で気持ちやしてほしいことを伝えてくれたことがうれしかったです。

今日のような事ばかりを期待してはいけませんが、今はまずカウンターパートに「もしかしたら、この人は自分に役立つことを教えてくれる、何でも聞いてみよう」という存在になれるために努力をおしまいこと、そのためには、何を今すればいいかを考えて行動したいと思います。

写真は2006年9月5日火曜日と読みます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする