南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

明日海外脱出

2006年12月26日 | ミクロネシアの生活
今日は、デジカメのバッテリーを入れ忘れて、画像なしです。
理由は、バッテリーを充電していたから。
それは、海外脱出のため。

明日から暫く海外に行きます。

日本から見れば海外ですが、ミクロネシア連邦国を脱出します。

東隣のマーシャルという国です。

もちろん島国です。

ここで新年を迎える予定です。

この島は、世界で一番早く新年を迎えます。他にもサモアなどたくさんありますが。ミクロネシア連邦国より1時間時差が早いので。

暫く(最近ずっと暫く更新していませんが)更新できません。

更新していなくてももちろん元気です。

この国にはないボーリングというものもあるそうなので、したいしダイビングも挑戦します。

マーシャルには訓練所時代の仲間もいるのでその再会も楽しみです。

自分へのクリスマスプレゼントとして楽しんできます。
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ポンペイのクリスマス

2006年12月25日 | ミクロネシアの生活
今日は、クリスマス
ちょっと、詞を書いてみました。

         ポンペイのクリスマス

まばゆいばかりのイルミネーションもブランド商品のプレゼントもない。
でも村の教会では、イエス様の誕生を祝って、たくさんの人が集う
そんなポンペイのクリスマス

クリスマスイブを祝うカップルも豪華なディナーもない。
でも、人と出会えば誰とでも「MERRY CHRISTMAS」と喜び合う人達。
そんなポンペイのクリスマス

ロマンチックな雪や肩を寄せ合う寒さを感じることもない。
でもみんなはお気に入りのアロハを着飾り、クリスマスを祝う人達。
そんなポンペイのクリスマス

イブの夜には教会に行き、みんなでイエスキリストが生まれた神聖な夜を
ただひたすら祈り、祝う。
他人がどんなクリスマスを祝ったのか?自分は1人で寂しいクリスマスなのか?と
心配することもない。
ただ、みんなが同じ思いで過ごせる日。

寒さから身を守るために、暖かいコートやマフラーで身を覆い隠す必要もない
余計なことなど何も考えず、ただ半袖シャツに汗を流し、暑い夜に熱い思いで、
素直な気持ちで過ごせるポンペイのクリスマス。
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熱い?クリスマスの近況

2006年12月24日 | ミクロネシアの生活
ポンペイはすっかりクリスマス一色。

ある隊員に家族から電話があり、隊員が「毎日クリスマスPARTYだよ」と話すと
「なんで冬でもないのにクリスマスなの?」言われたそうです。

こちらは毎日30度近い日々ですが、島はすっかりクリスマス一色。

お店はそれぞれ趣向を凝らしたイルミネーションを飾り、平日の昼間でも町は普段みることのない大渋滞。もちろん理由はみんなが町に繰り出して、クリスマスショッピングにいそしむため。

ポンペイでクリスマスが日本より活気があります。もちろんこちらは3万5千人、日本は1億2千万人なので規模は違いますが、明らかにクリスマスへの熱い思いはポンペイのほうが勝っていると思います。一人がクリスマスのプレゼントのために使うプレゼントの数も金額も、そして参加するPARTYの数も。

僕も20日の午前中に幼稚園と学校の子どもたちとクリスマスPARTYをし、午後はポンペイの幼稚園の先生全員とのPARTYに参加しました。

幼稚園の子どもたちは、プログラムの最初で歌を歌いました。いつもはぼくのキーボードとウクレレの音と一緒に歌っているのですが、今日は同僚にキーボードどうする?と聞くと、「いらないよ」といわれて、子どもは自分達の声だけで歌いましたが、やはりいつもと勝手が違うので、音が取りずらかったようです。
僕がやはり楽器をするといえばよかったのかもしれません。
1年生から8年生までの歌や劇では、どのクラスも先生の性格がはっきりと出ていて、面白かったです。イエス様のコメディータッチの劇では僕の家で最初に僕と一緒に暮らしてくれた家族の子どもが主役をしていて、なかなか頑張っていました。

幼稚園の部屋に戻って、先生たちから子どもたちへプレゼントを渡します。
同僚が「あなたがサンタになって」といわれて、一人ひとりの子どもたちに手渡しました。
いつも日本では、サンタさんの役割は校長先生など幼稚園の外部の人にお願いしていたので、初体験。

あとびっくりしたのは、子どもが個人的に僕にクリスマスプレゼントをくれました。
それも家に帰ってびっくり。新品のアロハシャツでした。きっと僕が幼稚園では正装のアロハがいいと思って毎日子どもたちの前で着ているので、家族の人がアロハが好きなんだと思って買ってくれたんだと思います。いつも来ているのは3ドルの古着なので、先生新品持っていないからと思ってくれたのかもしれません。
日本では、子どもから物をもらったらもちろんいけませんが、ここでは素直に「ありがとう」ともらいました。物をくれる、くれないで判断するのではないですが、形として感謝を表されるは、一人間として嬉しいなあと感じました。

21日からはクリスマスバケーション開始。
この日は、幼稚園のスタッフが11時集合って言うので、行ってみると誰もおらず、1時間以上してから、料理の準備をする先生が来て、豚を船で運ぶ(PARTYの場所は、島ではないのですが、海沿いでマングローブという木が邪魔をしているため、陸続きではいけないので、船に乗ってその場所に行きます)のを手伝いました。船といっても竹のいかだなので半分沈んでいるので、豚ももう少しで溺れそうでした。PARTYといえば、豚。
生きた豚を可愛そうだけど殺して、蒸し焼きにするのです。あとはサカオという前にも紹介したお酒を造ること。今回はサカオも作り、豚の命を絶つことも手伝ってしまいました。先生がそろい始めたのは4時。待つこと5時間以上。PARTYが始まったのは6時を過ぎてから。一日費やしてしまいました。

でも先生たちみんなの表情は、いつになく穏やかでした。やはり仕事が一区切りし、ほっとしたこと、クリスマスというみんなが楽しみにしている時期なので、自然と笑顔がでるのでしょう。

もうひとつPARTYの恒例は、プレゼント交換、20ドルくらいのプレゼントを買ってくるのですが、なんと僕は前日の幼稚園の先生たちとのPARTYでもらったプレゼントと全く同じものを小学校の先生たちとのPARTYでももらいました。ポンペイのプレゼントで大事なことは大きいこと。値段の札なんてつけっぱなしでかまいません。

この先生たちのPARTYの時に、仲間の隊員が5重になったタッパをもらいました。そのときはなんてものをくれるんだと思いましたが、それが幸運なプレゼントに変わりました。

話は少し前に戻ります。
実は前にブログで書いたように僕たちの村は、この島の野球大会で優勝しましたが、大人たちは「お祝いのPARTYしないとなあ」と言葉では言うものも、全く気配なし。

学校の子どもたちのPARTYの時に、隣の学校の子どもたちも遊びに来ていてその中に野球のメンバーがいたので、話をしていると「どうせPARTYなんてないんだ」というので、「それなら僕がPARTYをするよ」と話して、PARTYをすることにしました。

でも僕の家でPARTYをするには、おじいさんの許可を得ないといけないので、子どもとはその場では「たぶん金曜日のにするよ」とかしか言えないままで、準備をしていました。
PARTYの食事をどうしようかな?と思っていたところに

この仲間の隊員がもらったタッパの詰め合わせが、子どもたちのPARTYの食事の詰め合わせに変わりました。ポンペイでのPARTYは、持ち寄りですが、みんな食べきれないくらい持ってくるので、このチャンスをものにするしかありません。

PARTY当日は、子どもへの連絡のため、家族の力をかりて、電話攻撃。
さすがみんな友達の村なので、家族が子どもの名前を見て、親や親戚、近所の人に電話をしてくれて、連絡がつきましたが、来れた子どもは6名+終わり頃に2名の計8名。

かなり無理をしたので、来れなかったり連絡がつかない子ども、遅れてきた子どもには申し訳なかったです。でも大人もちゃんとお祝いをすることを伝えたかったのですが、その気持ちが伝わったかどうかは?

でも、まず子どものためにやってみるという気持ちはこれからも大切にしたいです。
今日はクリスマスイブ。

今からウクレレの練習そして教会の前でお祈りに来る人たちを対象にクリスマスの曲のウクレレをします。

教会の助祭であるおじいさんは、反対していたのですが、他の方がせっかく練習したのだからと教会の外ですることに。

気温も活動も心も熱いクリスマスになりそうです。

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野球チーム優勝 でも複雑な心境

2006年12月14日 | ミクロネシアの小学校
今日、午前中に急に電話があり、「明日予定だった決勝戦が今日に変更」。

急いで校長先生や校長代理の人、子どものいる各教室、バスの手配などばたばたして、用意をしました。
僕の一番重要な水を持って行くことも。

前に戦って勝った相手でしたが、今回はかなりの接戦で1点差で勝ちました。

やったー優勝だと言いたいところですが、子ども達の顔もあまりさえない。

今回は村対抗だったので、隣の小学校との合同チーム。今日は11人いるレギュラーのうち、僕の学校の子どもは、1人だけ。

いつもは2-3人出ているのですが、メンバーの書き間違えでいつもレギュラーだった子どもまでもでられなくなって、「変更してくれ」って隣の学校の先生に話したら「分かったそうする」と言いつつ最後まで変更なし。

隣の学校の方が、グランドも大きくて、練習もいつでも出来るし、上手な子が多いので、レギュラーが多いのはしょうがないけど、正直最後まで隣の学校の先生にはかなり不信感。
メンバーを決めるときもいつも「BEST OF BEST」といいつつ、決めようとすると「後から決めよう」とはぐらかされて、いつの間にか殆ど自分の学校。

「この子の方が上手いよ」と言っても「わかったいつでもメンバーは代えられるから」と言われつつそのまま。

今日は僕の学校の先生まで怒ってしまいとうとう切れてしまいました。優勝したはずの喜びのバスが先生達の怒りの渦。

それはコーチの名前を書く欄に7人も名前が書いてあるのですが、全員隣の学校の先生の名前。これって隣の学校だけでやったってこと?

僕はそれよりも心配なのは子ども達のこと。

確かに僕の指導不足や子ども達本来の力不足もあったけど、僕が学校の野球の責任車になったことで、本来試合に出られる子どもまで、試合に出られなかったのではないかということ。

つまり僕が日本人だからって向こうの先生に相手にされていなかったのではないだろうかということ。そしてそのことが子どもに影響していたら、凄く申し訳ない気持ちでいっぱいです。

子ども達も、「Hiroがコーチだから僕たちは試合に出られない」って感じているのではないかなと。

いつももっと小さな子どもを相手にしているので、大人の問題に直接影響することが少ないのですが(小さい子どもの方が敏感なのですが)、大きな子どもになると今日のように大人の人間関係が直接表面化してしまうので、難しい。

そして、試合に出る出ないにかかわらず喜びを分かち合えなかった子ども達をみて、大事なことを伝えられなかったなあと思いました。

自分なりに合同練習の手配をしたり、保護者の承諾書をもらったり、枚か入れsんしゅうするのに校長の許可をもらったり、男女一緒に出来るように同僚に助けをもらったり、手を尽くしたつもりだったのですが、まだまだ力不足だったなあと実感しました。

一生懸命したつもりが、逆の結果を生んでしまうこともあるのかな?と

難しいですが、でも現状維持ではなく、自分で出来ることをやってみながら答えを出していくしかないです。自分の力不足も含めて。
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教えるより自分やりたいポンペイの人たち

2006年12月13日 | ミクロネシアの小学校

金曜日に野球の決勝戦を控え、ドライバーのごたごたもあるので、隣の学校に行くことは難しく、でもモチベーションを保つためには練習しないと。

今日はいつも色々チェックされる校長先生も留守だし、子ども達に2時30分から練習するからねと各教室を廻って練習開始。

なぜだか選手じゃない子どもも混じっているけど「まあいいか?」って感じで、練習しました。

最初はキャッチボール・そしてノック、最後はバッティング練習。

そこで登場したのが、僕の同僚のセニータ。

「今日練習を一緒にしようよ」と声を掛けたけど、「あなたがすればいい」と言われたけど、僕たちの姿を見てやりたくって仕方なかったみたいです。

もうひとり司書でいつもボールは何個あるの?グローブは?とチェックするも彼女もいつのまにやら守備についていました。

自分が子どもに教えるより、自分が一緒に楽しみたい。
そして自分で野球を始めるのは、何かあったときに責任が生じるから嫌だけど、誰かがしてくれるなら参加したいっていうポンペイの方々の性格が非常にわかりやすくでていた一コマでした。

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ポンペイでの一風景

2006年12月13日 | ミクロネシアの生活
僕の家の庭では、見慣れた光景。

それはお祖父さんの末息子のイケナシさんが子ども達の髪の毛をバリカンで切ること。

切られているのは、イケナシさんの息子さんではなく、お祖父さんの長男の娘さんの子どもなので、なんていう関係なんだろう?

よくわかりませんが、誰でもイケナシさんは髪の毛を切ってくれます。
きっと僕が頼んでも快く。

ポンペイの子どもの髪の毛は基本的にはVERY SHOUTが基本です。
あの子ども長いなあって思っていて暫くすると超短くなっています。

僕の家出している子どもはいないけど、後ろの一部分だけをたまに残して、中国人みたいにするセンスは納得できないけど。

イケナシさんは、他にも色々なことが出来ます。
電気関係ならなんでもこいって感じです。

洗濯機は二層式ですが、両方ともたまに調子が悪くなりますが、どこからか中古部品を調達して、なおしてくれます。

彼が僕が最初に家に来たときに、食堂でパソコンしていたら「蚊に咬まれた大変だ」と自分の部屋に電話線を引いてくれたり、戸外にあるシャワーの部屋から出てくる僕を見て「これをつかったらいいよ」ってバスローブを貸してくれました。
(未だに使ったことはないけど・・・・)

彼は今空港の仕事を待っていて、その仕事に就けるとかなり良い仕事のようですが、今はとりあえず無職というか主夫です。奥さんはバリバリのオフィスウーマンで、ばりっとしたスーツで出かけます。

なので、彼は昼食・夕食を作ってくれたり、家の草刈りをしたり、まだ幼稚園に行く前の2人の子どもの面倒を見たりといろいろなことをしています。

でもさすがお祖父さんの息子さんです。無職だけど働き者です。
そしてとても気がいい人です。

洗濯機の脱水の方が壊れていて、僕が洗いだけをかけた服をかごの中に入れていると、脱水機が直ると、ちゃんと脱水機に入れてかごになおしておいてくれます。

少し日本語が話せて、僕が昼から野球の大会があるため、早く昼食を取るときも「ちょっとまってね」っていいながらご飯を作ってくれます。

次々にホストファミリー(お祖父さんの世話をする家族)は、変わりますがみんないい人で本当に感謝しています。

次はいつ家族が変わるんだろう?そして次は誰が来るんだろう?


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DIVERライセンス取ってしまいました。

2006年12月12日 | ミクロネシアの生活
この2週間以上ブログを更新していませんでしたが、元気だった証拠。

それはダイビングのライセンスを取得しました。

PADIのOPENWATERっていう初球のコースです。講習が5時間(5クール)?、あと海での実技が2日間。

最後は18メートルくらいまで潜りましたよ。

僕は左の耳が水を抜きにくくて、途中で痛くなることが何度かありましたが、だんだん慣れてきたような。

このライセンスを取ることになったのは、冬休みを利用して、同じミクロネシアの隣の島(州)のコスラエと隣国マーシャルに行くことにしたからです。

やはり南の島に来たからにはダイビングしないとねと。

どれだけするかはわかりませんが、折角来たんだからまず免許ってことで勢い余って取りました。

自動車、バイク(大型)、船舶、そしてダイビング、残すのはやはり空ですね。

飛行機は無理だけど、バラグライダーとかはしてみたいなあ。

せっかくの一度しかない人生だから、やりたいことはなんでもしたい。どん欲にいかなくてはね。
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2nd ステージで2連勝で全勝だけど優勝はしてませんでした。

2006年12月12日 | ミクロネシアの小学校
幼稚園教員での派遣なのですが、今はもっぱら野球隊員?

今日は朝から校長先生は親戚のお葬式で不在で、昨日からもめている学校に2人いるドライバー同士のもめ事?を上手く納めて、どうにか町まで子ども達を試合に連れて行ってもらわなくては・・・

どちらにも話をして、一応解決かな?

雨で試合は何度も中断し、一度は8点差くらい負けていたけど大量10点を取り、11-10で勝ちました。

これで有償化と思いきや、なんとこの2ndステージに勝ち残った4チームの全勝チームと僕たちに負けたチームがもう一度戦って勝った方がまた僕たちと対戦する模様?たぶん。
でも今度勝たないと優勝でないことだけは確かです。

幼稚園の仕事もこなしていますが、今は朝から試合に行くときなどは、ドライバーに交渉して、各生徒に集合時間を連絡して、子どもの担任の先生には「選手は早く家に帰してご飯を食べらられるようにしてください」っていわないといけないし、
雑事に追われています。
でもこの学校では、それをするのが僕の仕事でもあります。

正直技術移転には、ほど遠いですが、子ども達がベストで物事に挑めるように、大人の都合で子どもを少しでもあたふたさせたり、がっかりはさせたくないです。

本当にただそれだけでやっています。

まさしく自分で言うのも何ですが裏方そのものです。
一応これでも学校の野球のボスってことになっているのですが???

金曜日、勝敗にもこだわりたいですが、子どもが野球していて良かったと思えるようにドライバーの手配から道具運び、18リットルの水を用意したりとマネージャー業に精を出します。
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子どもの成長が見えるクリスマスツリー

2006年12月11日 | ミクロネシアの幼稚園
12月に入って、島はクリスマス一色。

そして幼稚園の子ども達の心の中も。

幼稚園の部屋に大きなクリスマスツリーの形をつくってそこに子ども達が切った(いやちぎった)紙を貼っていますが、今度はここの制作に挑戦。

日本のように1人1人の子どもに丁寧に準備することの伝えたいので、1人1人にクリスマスツリーの形を切った紙を用意して、そこに子ども達が絵の具を指型で押しました。

ただそれだけですが、子ども達はクリスマスツリーになることがうれしくてしかたないようです。

そしてその中でもこの写真の子どものように、いつもは集中力がなくてすぐに「もう出来ない」って言ってしまう子が、他の子どもが終わってもずっとクリスマスツリーの飾りの色を隙間がなくなるくらいに塗り続けていました。

「これが子どもの成長なんだ」って思うのですが、今の同僚に伝えても上手く伝わるはずもなく・・・・

こんな子どもの姿をみて子どもの成長が感じ取れるなあって先生が思える日が来ることを願っています。
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野球連戦連勝です。

2006年12月11日 | ミクロネシアの小学校
この写真が何で野球って感じですが、これは町の野球場に試合へ向かうためにトラックの荷台に乗っている写真。
一緒にいるのは、隣の小学校の子ども達。

この野球大会は、島の村対抗で、僕のウー村は2つの学校が一緒になって戦います。(村には2つしか学校がないので)

今日は、試合に行く為、学校のドライバーにお願いしていたのですが、何か手違いがあり、ドライバーは怒ってしまって僕を乗せてくれないので、隣の学校の子ども達と一緒に試合場へ。

この大会では色々勉強になりました。

僕は僕の学校の一応代表のコーチで、学校で練習するのも、合同で連取する手配をするのも、選手を決めるのも、子どもが参加できるように親に承諾を手紙でとるのも、道具を管理するのも全部僕の仕事です。これが本当に一筋縄ではいかないのです。この島の難しさを実感。一言で言えば、間際までしない、誰かに頼る、何かトラブルと僕の責任に何故かなるって感じです。

練習はもちろん、試合も子どもを集めて野球場に行ってさあ始めるぞって時になって、急遽中止になったりしたこともありました。

ここで思ったのが、こんな事をしていたら子どもは大人のことを信じなくなる、一生懸命してもどうせ駄目なんだってっていう気持ちに陥ってしまうと心配になりました。

まだまだ今回の野球のコーチでももっと僕が努力したら子ども達が練習する機会を持てたなあと反省していますが、いつも子どもの味方でいようと。

でも練習が上手くメイキング出来なかったときなどは、子どもはその背景になる様々な大人の理由は分からないので「HIROどうしてできないんだ」などなどかなりきついことも子どもに言われたこともありました。

決して現地の先生には言わないであろう言葉だと思います。
でもそれが彼らの本音なのだと思います。そして「練習したいんだ」という気持ちを僕にぶつけてくれることは今になって、彼らのまだまだもっている未知の可能性なのだと感じられるようになりました。

正直、一生懸命練習をしようとしても、周りの先生の了解が取られなかったり、一所懸命やってもからまわり、そして子どもは僕にいらだつという悪循環の時期もありました。

僕は幼稚園の先生なんだから、こんな小学校の仕事を頑張って子どもに当たられたのではあまりにもむなしすぎるって思ってしまったこともありました。

でも今は、不戦勝も含めて3連勝で明日はいよいよ決勝戦。

試合のメンバーも隣の学校の生徒がたくさん出て、僕の学校のメンバーはなかなか試合に出してもらえず、これって僕が日本人で、同じチームの隣の学校のコーチは現地人だからなのだ。「ごめんな僕の学校の子ども達」と思うこともありますが、
でもとりあえず今、彼らは勝つことの喜びを感じています。

また隣の学校の仲間と一緒に戦う喜びも。

僕がなにもしなくてももちろん実現したことでしょうが、頑張ったら頑張っただけの答えは返ってきたのかな?と自分では考えています。

隣の学校の子ども達とも仲良くなるなど、何かを始めると新たな出会いがあり、そこには必ず喜びや学びがあるのだと改めて感じています。

野球の試合のことを書くはずが、ここまで至る経過を事細かに書いてしまいました。

常に勉強。そのためには何事もやってみる。
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復活!UUCブラックコーラル合宿

2006年12月11日 | ミクロネシアの生活
2週間以上のご無沙汰でした。長い協力隊生活の中で、ちょっと日本の皆さんへ報告を滞ってしまいたくなることも時にはあるのかな?と曖昧な言い訳でブログ再開します。

身体は元気です。一度熱を1日だけ出しましたが、ここに来て初めてでした。
それ以外はずっと元気です。

この2週間以上を全て振り返るのは難しいので、全くのランダムに。

まず、写真のランタンの光のもとでUUC(ウー村・ウクレレ・クラブ)の合宿を離島のブラックコーラルで行いました。

クリスマスの曲を練習するためです。今の予定では村の教会に理解を得て、クリスマスイブのミサの前にウクレレのコンサートをさせていただく予定ですが、教会員の賛同が得られたのかが不明です。

ブラックコーラルとは、ポンペイの離島で、宿泊施設もあるとても小さな島です。

僕たちの首都?コロニアから車で40分、ボートで20分くらいかな?

ランタンをともして小屋でウクレレを弾いたり、星が降り注ぎそうな夜空を眺めたり、近くの海で潜って仲間が鮫に遭遇したりと本当に日本では味わえないことばかりです

仲間の4人で「こんな休日日本では味わえないんだろうなあ」と語り合いました。
それは、単にたくさんの自然に囲まれると言うだけでなく、このゆったりとした時間も含めて。

こう話すとどんなにのんびり過ごしているかと思われるかもしれませんが、そのことが時には活動する中で、いらだちになったり、この島の大きな問題ともなるのですが。

ウクレレのサークルも、ポンペイのウクレレ人気を繁栄して、若干揺れ動いていますが、僕たちは僕たちらしくやっていこうと思います。

人は人、自分自分、でも仲良く。が僕のモットーなので。

自然の中に囲まれると今僕がはまっている創作活動にも磨きがかかって?曲もできあがりました。

ブラックコーラルっていう曲まで作ってしまいました。

次々曲が出来ているけど、これもこの島で生活しているからこそだろうと思います。

もちろん活動で日々大変なことは山ほどありますが、そんなことをはねのけてくれるくらい豊かな自然、大切な仲間がここにはいます。

ウクレレもそんな気持ちを自分で確認する大切な活動の一つです。
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