南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島のクリスマスバケーション(予定)

2007年12月26日 | 僕のミクロネシア
明日からクリスマスバケーションに突入。

ミクロネシア連邦国の中で唯一行っていなかったチューク(旧トラック諸島)とグアムに行きます。

チュークでは、沈船ダイブと無人島のコテージに泊まる予定。

グアムでは、懐かし?の隊員と再会して、ダイブする予定。

予定はあくまで未定なので、帰ってきてからのお楽しみです。

まだまだ任国外旅行(協力隊の任期中に合計20日)の日数は残っていますが、(今回の旅行をしてもまだ9日残っています)もう使うことはないでしょう。

日本の有給と一緒でなかなか使い切るのは難しいです。
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南の島のリゾート型ローカル誕生会

2007年12月22日 | ミクロネシアの生活
今日は、ローカル式誕生会。

僕の村の幼稚園のバスドライバーの娘さんが1歳の誕生日を迎えました。

前から何度も「Hiro、娘の誕生日に来てくれよ」と念を押されていたので、
今日は他にも隊員の集まりがあったのですが、それより優先して出かけることに。

朝8時に迎えに行くからねと言われたので、日本人の僕は8時にスタンバイ。

9時10時と時間は過ぎ、10時30分にやっと迎えに来てくれました。

彼の車のトランクからは豚の鳴き声。

今日は子どもの誕生日といえもちろんカマテップ。

豚の丸焼きです。ついでに犬の丸焼きも。

今日の会場は、僕らの住む村よりもっとおくの村にできたローカルの人たちが使う
リゾート地。

海は内海なのですが、施設はできたばかりでかなり綺麗。

途中で殺すはずの豚が逃げ出して海を泳いだり、潮が満ちて、用意した石焼が水浸しになったりとハプニングも多々ありましたが。

ローカルのパーティーはいつも豚の丸焼きと持ち寄りのご馳走、そしてサカオとお決まりですが、ゆったり待ったりすごすローカルパーティーもこれから残り少ないなあって思うと一抹の寂しさも。

そして同僚の彼が前から頼んでいた写真を撮りました。

幼稚園の先生とは違う立場でいつも僕を支えてくれるドライバー。

「明日野球あるからおいでよ」といつも仕事以外のことでも気軽に声をかけてくれる好い人です。

残り少ない時間もこんなローカルの人々との付き合いを大切にしていきたいです。
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南の島のクリスマススケジュール

2007年12月21日 | 僕のミクロネシア
昨日から始まった僕のクリスマスシーズン。

20(Thu) 村の学校幼稚園の子どものクリスマス会~町の幼稚園のクリス         マス~村の幼稚園のクリスマス会食事会

21(Fri) 村の学校幼稚園の職員のクリスマス会(昼食&プレゼン交換ト)        ~町の学校の職員のクリスマス会(昼食&プレゼント交換)

22(Sat)   村の幼稚園のスクールバスドライバーの娘さんの誕生日で遠く         の村にピクニック~隊員や友達が集まるクリスマス会(持ち寄         り&「プレゼント交換」

23(Sun)   ウクレレ練習日

24(Mon)  クリスマスウクレレコンサート(病院&教会、現在調整中)
         村の教会のクリスマスミサにでる。
         おじいさんの子どもや孫が集まってクリスマス会をする
         (プレゼント多数用意必要)

25(TUE)  村の幼稚園の子どもの家にクリスマス会に行く(未定)

そして27(Tue)~ クリスマス旅行に出発します。


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南の島のクリスマスシーズンスタート

2007年12月20日 | ミクロネシアの生活
いよいよ南の島のクリスマスシーズンスタート。

こんな予定ならみなさんはどうですか?

9時に村の学校のクリスマス会が始まる。
幼稚園の出し物が10分、
去年体育を教えていた8年生の出し物が10分
去年幼稚園で教えていた子どもの歌が5分。

そしてタクシーで村から町まで15分。

10時から町の幼稚園のクリスマス会に出る。

かなりタイトですが、ぎりぎりセーフ?かな。

でも南の島ではアウト。

まず9時に始まるはずの村の学校のクリスマス会のスタートが1時間遅れる。
最初に南の島の人が大好きな挨拶がある。
そして8年生のダンスはCDがうまく流れなくて、何度も中断。

タクシーはお願いして早く来てもらって町の幼稚園のクリスマス会は終了していました。残念でしたが。
でも僕のためにもう一度子どもと日本語の歌のクリスマスソングを疲労させてくれました。

子どもたちに手作りのクリスマスカードを配りました。
僕のことを忘れないでほしいって願いもこめて、僕と一緒に写した写真も貼りました。

もちろんご馳走もいっぱい。

そして急いで村の学校に戻ります。

まだ昼前なので、子どもたちに手作りのカードが渡せるかもって。
また昼ごはんを一緒に食べるって、約束していたから。

村の幼稚園でもみんなで撮った写真をつけたカード。

この南の島にはものが溢れていますが、写真を手に入れるのはまだまだ珍しく、
貴重なので、非常に喜んでもらえます。

そして夕方からまたまた会議があるから町へ。

クリスマスは毎日急ぎます(南の島の言葉でチャガチャン)

今日は朝村の学校のクリスマス会に出て、途中で一度町の幼稚園のクリスマス会にでるためにタクシーに乗り、
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南の島での知名度UP

2007年12月19日 | 僕のミクロネシア
僕のすむ南の島は、人口3万5千人くらい。

広さは、兵庫県にある淡路島の3分の2くらい。

非常に説明しにくいのですが。

僕は村に住み、村で活動しているので、南の島での知名度はそんなに高くありません。

でも最近知名度がUPしてきたかも?

その1.
町のスーパーの買い物でお金がなかったら、つけで買い物をさせてくれた。

その2.
町を歩いていると僕が南の島で提唱?している手遊びをローカルが口ずさんでくれていた。多分僕に対して。

その3.
村のタクシーに乗ると、前から行き先を言わなくても寝ていても家で止まってくれる。

その4.
私と同じ村に住む隊員が村から30キロ以上はなれた村に遊びに行くと、その村で僕のウクレレのことが話題に上がった。

などなど。

帰国まで91日にして、確実に僕の知名度は上がってきているはずだ。
CDデビューで勢いつけたいところですが、もう学校もクリスマスバケーションに入るし、CDはきっと学校に眠ったままになるから、それは無理。

地道に目立つことを目指します。


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南の島でCDデビュー

2007年12月18日 | 僕のミクロネシア
念願の南の島でCDデビュー。

できたらいいなあって思っていたけどまさか?

しかも限定プレス。


前にも書きましたが、教育局限定の日本語クリスマスCDが教材用に全南の島の学校に歌詞付、CDラベル付で、そして僕の名前もしっかり刻んでくれています。

金曜日に木曜日に夜の幼稚園の教室で風が音に入らないように暑い南の島の部屋の窓を閉め切って録音した音源が今日早速CDに。

南の島のことだから、こんなに簡単にCD化が実現するとは思っていなかったけど、いくらハンドメイドとはいえ、自分の声とウクレレがCDになると嬉しい。

ワークショップの準備と並行してだったので、時間が十分にとれず、ばたばたしましたがよかったです。

あえて悔やまれるのは、スタンダードなクリスマスだけでなく、僕のオリジナル曲を入れておけばよかったと。
今まであれだけたくさん曲を作ってきたのに。

よし、今度は是非、オリジナル曲をCD化してもらうようにお願いしてみよう。

協力隊の一押し歌手の方のようにはいきませんが、これが少しでもコノ島の音楽教育に役立ってくれると嬉しいです。

着実に南の島の夢を実現している自分が怖いくらい。
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南の島での幸せは日本と同じ

2007年12月17日 | ミクロネシアの幼稚園
写真は、町の幼稚園の子どもたち。

僕にとって一番幸せなこと。それはやはり子どもと一緒にいること。

僕にとって幼稚園の仕事はまさに天職。

神様が僕に与えてくれた最高のプレゼントです。

もちろん、楽しいことばかりではないけど、日本にいても南の島にいても、幸せだっていう思い、充実感があるのは、幼稚園の教諭として子どもと向き合っている時。

もちろん、その分大変なこと、頭を悩ますことが多々ありますが、そんなことを忘れさせてくれる、そんなこと以上にたくさんの喜びを与えてくれるのが子どもであり、幼稚園教諭という仕事。

僕のモットーは、幼稚園の先生はその子どもの人生の進路相談をしているっていうこと。

人はそんな大そうなことではないって言うかもしれないけど。

でもやはり幸せ。

僕が幼稚園の教諭を目指したのは、人の心にいつまでも残る仕事をしたいって思ったから。

歴史で名を残すことなんてできないけど、歴史に名を残す人もお金をたくさんためた人ではなく、どれだけたくさん人の心を動かすことができたかだと思う。

日本でも南の島でも、これからも人の心に残る仕事をしたい。
そのためには、自分をしっかり磨いて、自分にできる限りの自信、そして子どもに胸を張っていきたい。

残り少ない時間も、目の前の子どもにとって何が大切かを何よりも大切にかんがえていきたい。
もちろん、日本に帰ってからも、そのきもちはずっと変わらない。
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南の島の疲れを癒す

2007年12月16日 | ミクロネシアの生活
ワークショップの疲れか、ソファーで寝たからか、扇風機がつけっぱなしになっていたかのか、風邪がうつったのか、まあいろいろなものが重なって、少し疲れが出たので、コンマル(南の島言葉で休む)をした休日でした。

本当は完全にコンマルすればいいのだけど、今週はずっと町に働きに行っていたということは、洗濯ができていないということ。

一度朝早くに洗濯機を回しましたが、週に3回は回さないと。

シーツもタオルケットも洗ってないし。

そんな風に書くとどれだけきれい好き?って思われますが、僕は身に着けるものと自分の体が綺麗だったらOK。

部屋が汚れていても大丈夫。

今忙しさにかまけて、かなり部屋が汚れていますから。

ワークショップは、準備が最後にならないとできない僕のキャラクターを反映して、最後にどたばた仕上げたので、少し寝不足ぎみでした。

日本ではいつも仕事速いって言われていたのが、過去の栄光のように。
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南の島の餅つき

2007年12月15日 | ミクロネシアの生活
南の島には日本人コミュニティーがあり、そこで年末にいつも餅つきが行われます。

昨年でもブログに書いたかもしれませんが、持ちつきは幼稚園の先生なのでお手の物。

いつもの日本の冬の中での餅つきなら、次々とつかないと、杵やもちがさめてしまうけど、この南の島では不要。

そして湿度も高いので、餅つきには完璧な状況?


みんなに持ちつき上手だねって言われつつ、そりゃずっとやってますからって感じで、つきたてのもちは、きな粉・小豆・雑煮・納豆につけて食べ放題。

さすがにきのうの疲れが出ていて、本領発揮とまではいきませんでした。

家のお餅をもって帰るとおじいさんが「なつかしいなあ、むかしは餅をついて、それをばら撒いて、子どもたちがひろったものだ」と日本時代のことを懐かしく語ってくれます。

餅つきからもいろいろなことを学んでいる毎日です。
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南の島のワークショップで訴える

2007年12月14日 | ミクロネシアの幼稚園
今日はワークショップ2日目。

昨日は幼稚園のメインティーチャーを対象にして、今日は幼稚園のアシスタントティーチャーを対象に行いました。

メインティーチャーに比べてモチベーションが低いかな?って思ったけれど、そうでもなく、温かい目で授業を見てくれました。

午後の授業のアクテビティーの紹介でも熱心にメモを取ってくれたり、僕のコメントにうなづく姿も。

昨日も言ったのですが、算数の問題以外にこの南の島には大きな問題があると提案しました。

それは1クラスに2人の先生がいるのに、多くの場合ティームティーチングが成立していないこと。片方の先生が子どもに教えていると、片方の先生は休憩したり、じっと見ていたり、保護者と話したり、事務仕事したり(個人的な事務仕事も含む)
。それってティームティーチングなのかな?って投げかけました。

それは違うという答え。

そうなんだ。僕たちの幼稚園はティームティーチングをするために、2人先生がいるんだよって力説しました。

そして僕がメインティーチャーになり、いつもメインティーチャーをしている先生が僕のアシスタントとして、理解のゆっくりな子どもや騒がしい子どものケアーをしてくれていたことを話しました。
今日みんなが見たことがティームティーチングだと。

それは、僕が今まで見て経験してきたことだから、僕と関連してきた先生には少し、いやかなり耳が痛かったことだと思います。

でも、いいことはいい、悪いことは悪いと名指しではないですが、はっきりと僕たちが南の島の人に伝えるのは大切なこと。

だって、僕たちは南の島に住んでいるけど、一緒住むわけではないから、変なしがらみがなく、いいこと悪いことを相手の立場に立ちながらも客観視して言える立場だし、そういえなければ意味がないと。

いい人間関係を築きたい、いい活動をしたい、そのためには相手を十分に理解しつつ、そのために日々の活動を怠らず、日々我慢強く接することが大切。

でも何も自分から発信しなければ、なかなか伝わらないのも事実。

今日はそういう意味では僕は思い切り言ったのかも?

後悔なんてしない。

自分の考えはこうだって自信を持って言えるものを今までこの南の島で培ってきたはずだから。(人にえらそうに言えるほどではないけれど)
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南の島の幸せ者

2007年12月13日 | ミクロネシアの幼稚園
それは今日の僕のこと。

今日、僕にとっても南の島にとっても初めてのオープンクラス型の幼稚園のワークショップが行われました。

オープンクラス形とは、実際に子どもがいる授業をしながらワークショップをするもので、今まで小学校の算数教育で仲間の隊員と実践してきました。
この算数教育のオープンクラス型ワークショップは、仲間と一緒に1から作り上げてきたものだと、僕は大きな誇りをもっています。

そんなワークショップを行いながら隊員や事務所に「よく手伝っていますね」って言われることがありました。
僕はこの協力隊は、自分の職種で力を発揮すべきだけど、大きな意味で教育として捉え、小学校だ、幼稚園だ、高校だという小さなカテゴリーにとらわれずに、この南の島の教育を少しでもよくしていきたいって思うことをすればいいと信じてきました。

でも僕の本業はもちろん、幼稚園の先生。
だから、決して小さな枠にとらわれるという意味ではなく、自分のやるべきことをしっかりとやり遂げるという意味において、幼稚園でも自分の持っているものをこの南の島に可能な限り、残していきたい。

その思いが幼稚園の日々での活動、隊員と力を合わせた算数ワークショップの中で沸々と湧き上がってきました。

そして、住んでいる村の幼稚園での仕事と並行しながら、町の幼稚園でも働きことにしました。
単に活動先を増やすこと言うことではなく、南の島で井の中の蛙になっていないかを確かめるため。今まで村で活動してきて、僕が感じたことが正しかったのか?南の島の幼稚園の先生が必要としているものはなになのかを自分なりにずっと考えて、幼稚園の授業という形で活動を通して表してきたけれど、それが正しかったのかを見極めるため。

そして町で今までの、村の先生とは違う子どもや教育に対して熱い思いを持っている先生に出会うことができ、この人と一緒にワークショップをして、南の島のみんなの先生に自分の持っているものを少しでも多く、そして確かなものとして伝えたいと改めて思いました。

今日まで、僕のレッスンプランやプレゼンの資料も彼女は一緒に考えてくれて、こんなに長い時間仕事のことをローカルの先生と話したことがないというくらい話しました。

僕一人が考えるのでは、僕の一人歩きになるから、やるならローカル教員と共に、考えをしっかりと共有してしたかったので。

一緒に仕事をしている人が受け入れてくれないものをワークショップとして提案することは僕にはできなかったから。だって、一番身近な人に分かってもらえないことが、ほんの一日で伝わるわけがないし、ローカルの先生がいいって思う確かなものが欲しかった。

その下地があるから、ローカル教員と一緒に力をあわせられるんだと。

そして今日そのワークショップがありました。

10時スタートと言ったのに、9時ごろから先生が集まりだして、予定以外の授業まで見てもらいました。

そして、近くの大学に勤める仲間の隊員、一緒にいつも活動している小学校隊員が応援に来てくれる中、ワークショップを開始。

今回、1時間20分にも及ぶ長い時間の授業展開。

正直無理がありますが、この南の島のワークショップは度々開催するわけにはいかない事情があるので、僕が今まで子どもと一緒に授業をしてきて、これは南の島の先生に伝えたいと思うことをたくさん詰め込みたいと。

合計9つの算数に関するアクテビティーを紹介しました。

いつも南の島では、子どもがいない中でのワークショップだし、理論ばかりが先走り、実践を学ぶ機会がない。それは、今一緒に働いている先生からも切実に言われました。

子どもたちは本当にがんばってくれました。

最高のできです。

やはり、この11月から週二回この町の幼稚園に通い、子どもとかかわってきたからこそできたものだと思います。
やはり幼児教育は子どもとの信頼関係が命。それは、日本でも南の島でも同じです。

子どもなりに今日は先生のためにがんばってやるぞって子どもは子どもなりにたくさんの人が来ていることを感じ取っています。
日本でも昔、園長先生から「研究会や発表会をするときに子どもとの信頼関係が明らかになる」と言われていました。

午後からは午前中の授業を理論的に、そしてより実践的に説明することにしました。

僕は理論は理論で大切だし、でも理論だけが先走らない、そしてまた実践だけが一人歩きしない、理論と実践がしっかりと絡み合ったものにしたかったので。

だから、POWER POINTを使って、思い切り理論や南の島の問題点をはっきり指摘しながら、一方でこうすればそれは解決できる、「じゃあ実際にしてみよう」と先生にも子供みたいになってもらい、体験してもらい「これは楽しい、やってみよう」って心と体で理解して欲しかったので。

そんな思い通りにできたかは、わかりませんが、参加者からじゃあこうすればいいの?って新たなアイデアが出たり、このアクテビティーを私の村の幼稚園に来て子どもに教えて欲しいなどなどうれしい言葉をもらいました。

ワークショップが終わってからも「村の幼稚園に一度で良いから来て欲しい、仕事の時間が無理なら土日でも良いから」ってそれって幼稚園の仕事ではないような気がするけど、お世辞とは分かっていてもそこまでいろいろなところに回って欲しいって思う気持ちを伝えてくれるのは本当に嬉しい。

このワークショップ開催まで計画を始めたのが実は4月。ハワイへのワークショップをまず手始めに、ポンペイの先生を集まるつもりが、なかなか進まず、僕の住む村の幼稚園の職員が病気になって、村の幼稚園から出るのが難しく、町にいくのものびのびになっていて、やっとここまでこぎつけられました。

本当に長い道のりでした。まだ歩いている途中だけど。

ある隊員に僕が「今、町の先生と凄くいい関係で仕事をしている」と話すとそれを聞いた隊員は「それだったら、もっと早くに出会っていたら、もっと活動が広がりましたね」って言われたけど、そのとおりだけど、ここまで時間をかけたからこそ今の喜びがある、そしてこの関係が築けたと思います。そしてそう信じたい。

ある歌に「投げ出さないこと逃げ出さないこと」って歌詞があるけど、ほんとうそう、
一番大切なことは信じぬくこと。

自分が南の島にいることに意味があり、自分の志を信じていれば、いつか願いが叶うって。

人から見れば、凄く小さな願いに見えるかもしれないけど、

そしてここまで僕を支えてくれた、事務所のスタッフ、仲間の隊員、そしていつも一緒に暮らしてくれている南の島の家族に感謝の気持ちでいっぱいです。

明日もワークショップ。

同じ成果を期待してはいけないけど、何かを掴み取りたい。

だって南の島には、あと98日しかいることができないんだから。

一日一日を大切にしないと。

今日は凄く長い文章、ご拝読ありがとうございました。
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南の島の幼稚園のクリスマス飾り 

2007年12月12日 | ミクロネシアの幼稚園
今日はいよいよ、ワークショップ前日。

子どもたちとクリスマス製作に勤しみました。

といっても非常に単純なもの。

僕が事前に切っておいた色画用紙のクリスマスツリーの形に、子どもが絵の具で指で飾りのようにペインティングするというもの。

日本の子どもと一緒で、手が汚れるからなのか躊躇する子もいて、南の島も町の子どもは特にたくましさに欠けるかも?

絵の具や画用紙が日本のように十分にないので、クリスマスという機会を使って、
このような製作に取り組むのは大事なこと。

この南の島にもクリスマスソングがあります。

内容は「今日はクリスマス、お父さんとお母さんは急いで町に行って、ケーキやきっキーを買ってこないとね」みたいな歌詞をジングルベルの歌にあわせて歌います。

南の島のスーパーなどはクリスマスイルミネーション。

他の南の島の人から言わせると、この南の島はクリスマスイルミネーションが派手みたい。

僕の家にもあります。今年は電気代が高いからまだしていないけど。

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南の島でパソコンとにらめっこ

2007年12月11日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、南の島の選挙の日。

この間選挙があったのですが、当選者が有効投票率に足りずに、最後1位と2位の人が争いました。

なので、学校は当然休み。

それはまさに神の恵み。

今日こそ、ワークショップのプレゼンを完成させないと。

町の幼稚園のカウンターパートは、僕のレッスンプランを丁寧に何度も見てくれて、細部にわたって練り直し。

本当にここまで懸命になってくれる彼女に感謝。

今までの僕のカウンターパートにはありえなかったことだから。

こうして仕事のことでここまで深く議論し合えることが嬉しい。

今日はまだ未完成。

明日こそ、ワークショップ前日。

完成させないと。

本当に間際にならないとできない。

南の島のぎりぎり生活が身について、怖い。
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南の島の音楽教材収録依頼?

2007年12月10日 | ミクロネシアの小学校
南の島の公立の学校には、ちゃんとした音楽の時間は存在していませんが、クリスマスになると各学級で歌を練習したり、歌の好きな先生は暑い昼からの授業の中に音楽を取り入れる先生もいます。

そして南の島の教育委員会にはキーボードが上手な音楽のスペシャリストがいます。

先日その音楽教育スペシャリストの方が、町の幼稚園で日本語のクリスマスの歌を指導している僕の姿を見て、「君たくさん日本語のクリスマスソング知っている?そしてそれをローマ字で書いてくれる、そして君が子どもに教えているようにウクレレでもキーボードでもいいから使いながら君が録音してくれる?」って。

「それをどうするのですか?」と聞くと来たるべくクリスマスに備えて来週早々にCDに焼いて学校に配布するとのこと。

今正直ワークショップ準備と町の幼稚園勤務でかなりタイトなので、「まあどうせ言うだけで本当に来ないだろう」って思っていると、今日も昼から音楽スペシャリストが来て「いつなら録音できる、忙しそうだね、それなら君が好きな時間に億音できるようにレコーダーを貸すから、できるだけ早く録音してきて」って。

「えー、本当に録音するんですか?」って感じです。それも今年のクリスマス用なんて。もっと時間があったら練習して僕のウクレレバンドの記念CDにするんだけど、今それだけの時間がない。

そしそれなら僕の日本語クリスマスソングをこの南の島で響き渡らせてやろう。
(きっと誰もそのCDを聞かないだろうけど)
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南の島の雨の中での教会

2007年12月09日 | ミクロネシアの生活
今日は、日曜日。

いつものように教会へ。

今日は朝から雨模様で、いつも満席になる教会のいすもかなりの空きがあります。

この南の島の僕の村の教会は、天気によって来る数がかなり左右されるのは紛れもない事実。

僕のように教会から家の近い人や車がある人はいいですが、遠方から歩いてくる人は、大変です。数キロ山道を歩いて教会まで来るわけですから。

だから、雨が降ってこないから、宗教心が薄いとか熱心でないと判断してしまうのはどうかな?と思います。

今日はこの南の島に大きな雨雲が居座り続け、礼拝中は日本で言う土砂降り。

教会の屋根はトタン屋根、そして広い空間なので、雨の音はかなり強烈です。

子どもの中には、あまりの雨の音の大きさに耳をふさぐ子どもまで。

助祭さんも雨の音があまりに凄いので、少し説教を待ちましたが、止みそうにないので、ほとんど声は届いていませんが、そのまま続行。

教会が終わっても雨は止まず、みんな教会で雨宿り。

いつもならぬれても平気な南の人が何故?

僕の予想
1、教会にはいい服を着ていっているので、服をぬらしたくない。
2、教会には男性は革靴をはいていっている人もいるので更にぬらしたくない。
3、教会には子どもも連れてきているので、子どもを濡らしたくない。
4、日曜日はいつも以上に時間がたっぷりあるので、別に濡れてまで歩く必要がな  い。などなど

家の横には川が流れていてかなりの勢いで水が流れていたので、これは浸水かあ?(今まで僕が留守中に3度も床下浸水を経験済み)と思いましたが、やはり僕が家にいるときには、浸水しないのかも?

昨日は久しぶりのきつい日差しで、僕はやはり南の島にいるんだなあって実感しましたが、今日は肌寒く、家族の多くもトレーナーなど着用。
僕も久しぶりに長袖シャツを着ました。

今日は、家でワークショップの準備がんばります。
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