南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

大移動

2006年11月23日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は朝同僚二人週始めの儀式のように今週の予定について話していると思うと、子どもの朝食が済むと、急に教室全体の大移動を始めました。

「汚い」といって。いつもそりゃこれだけほったらかしにしていたら汚れるよと思ったけど、かなり今日は本格的です。

僕が算数の棚を整理して自分のものをうまくおいているのをみて、自分も自分のオフィスのようにしたくなったようです。僕の棚まで触るので、自分で戻したけど。

でもやはり一言言ってあげないといけないです。
「部屋を片付けるのはとても良いことだし、とてもよくなった、でもこの仕事を昼から始めたらもっと良かったね」と。

きっと彼女の中にそんな悪意はないのでしょうが、僕たちの仕事はまず目の前の子どもことを考えることです。

今日は彼女が片づけをしている間、子どもたちに1-5の数が書かれたものと数字をあわせる遊びをしました。

そして、日本で言う「1本・2本・3本・・・」と木やビンなどの数え方の練習をして、作っていたワークシートに木の絵を塗っていく活動をしました。

僕の職場は、同僚の気分がとても左右するする職場です。
教室も一緒だし、教えるのもずっと一緒。でも教科書とか共通すべき情報が少ないので、他の職場以上に同僚とは力をあわせていかなくてはいけませんが、なかなか難しいのが現状です。

注意ばかりされるのはいやだろうし、僕も同僚の欠点ばかりを見つけていては何も生まれないし。でもこれは子どものためになっているかな?ということは、改善していかないといけないですが、本当に難しいです。

同僚は現地の人が二人で僕は一人なので、僕は完全にアウェー状態です。

そんな中で自分がどのようにしていけば良いのか?
そんな試行錯誤がきっと自分を高めてくれると信じて諦めず、焦らずでも一生懸命にしていくしかないのだと自分に言い聞かせながら。



車から大声で

今日、学校の1時間半にも及ぶ長い現地語の職員会議でぐったりしていた後、道を歩いていると僕の名前を呼ぶ声がトラックから。

そう僕の生徒で友達に何か言われるとすぐ涙ぐむCOBEYの姿が見えました。
何度も僕の名前を幼稚園では見せない大声で言っていました。

僕の姿が遠くに見えなくなりそうになってもトラックでおかあさんに僕の名前を何度も行っているのが聞こえました。

日々活動を送りながら、なかなか同僚に上手く技術移転はもちろん、気持ちが上手く繋がらずに「空回りしているなあ」「いったい何が悪いんだろう」と悩むことも多いですが、子ども達は僕のことをしっかりと受け止めてくれているのだなと嬉しくなりました。

最終目的は現地の子どもではなく、同僚の先生への技術移転ですが、それを支えてくれるのは間違いなく子どもたちです。
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久しぶりのカウンターパートと。

2006年11月13日 | ミクロネシアの幼稚園
写真は好きな遊びの時間に園庭横の海の魚を見る子ども達です。
何を言っているのか分からないけど、わくわくしている様子が伝わってきます。
今日は、直接授業をすることはなかったけれど、こんな子ども達の様子を見ることが出来て、こんな意欲をもっと授業で引き出したいなあと思いました。

今日は昼からひとりでカウンターパートに頼まれた子どもの新しい歯磨きに名前を書き終え、さて次は明日の算数の準備をしようかな?と思っていると、隣のナースで談笑しているはずのカンターパートのひとりが部屋に入ってきて、なにしているの?と聞き、僕が頼んだ仕事を終えるのを知ると、「こんな事をしてみようと思う」と1-10までを子どもに書かせるワークシートを持ってきました。
そこで僕は「シニータは10まではやくやりたいんだね。でもまだ子どもは明日9を習うから、10までを習ってからにしない?」「それに急に1-10まで書きなさいって言っても分からない子どもがいるから、9と10を教える間にもう一度1-10までの数字を書く練習をしようよ」と僕が用意していた1-10までの練習用のワークシートを見せると「うーん」と考えながら「わかった」と納得してくれました。

あと今週は木がテーマなので、木の絵を書きたいと固形絵の具を取り出しました。絵の具はクレパスで模様を描くと水が混ざらないことなどを伝えました。そしてもしこの素材を使うならきっちりと使い方を説明しないと子どもは混乱してしまうことも。

そして5つしかないから、全員が書くのに5回×5人の時間が必要なことも伝えると、それは時間がかかりすぎるといって中断。
今回は、彼女が考えていたものを少し変更して、僕が描いた木の模様に色を塗ることで落ち着いたような感じがしますが、当日になってみないとわかりません。

あと彼女が力を入れている文字についても発音の文字全て約20文字を全て書かせてみたいと提案がありました。
僕は「それ今子どもに出来るとシニータは思う?」というと「出来ないと思う」と答えました。「教えるだけで子どもが分からなかったらどうだろう?」「うーん」と少し考えてじゃあもう少し文字を減らすことに。

僕は本当は一日一文字にしてゆっくり学ぶのが良いと思うと言いましたが、それは却下されて「そんなに時間は掛けられない」という返事。

内心は「時間をかけずに教えるから結局子どもがなにも分からないまま授業が進むんじゃないか!」と思いつつも、ここは堪えて、「じゃあシニータはどれくらいならいいの?」と彼女の考えを聞いてみることに。

結局まず彼女がやりたいようにやってみて、子どもがどれくらい分かるかを考えてみようということになりました。ワークシートも僕が「こんなふうにしたら」と提案したものより「私はこうしたい」というものが彼女にあったので「じゃあそれでやってみよう」ということに。

自分の考えを押しつけるのは簡単だけど、それでは彼女の心を動かすことは出来ないし、
もっと時間を掛けてじっくりじっくりしていくのがいいのではと思っています。

でもこんなに具体的に授業の準備を2人でするのは久しぶりです。
出来るだけこんな時間を持てるように僕が強制ではなく、受け入れる器をもっと広げていく日頃の努力がいるなあと思いました。

まだまだじっくりじっくりいきます。いや、じっくりいかないと何もかもうまくいかなくなってしまうように思います。成果は出したいし、自分の考えを受け入れて欲しいのは山々ですが。

焦る気持ちを押さえつつ。
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のんびり?かけっこ

2006年11月09日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、朝からなんだかのんびりモードが漂う我が幼稚園&小学校。

理由は、いつも厳しい校長先生が出張でハワイに行っているために留守のため。
これは日本でも他に国でも全世界共通なのかもしれません。

さて今日も頑張ろうかと思っていると、全生徒運動場に集合。
なんと今日はスポーツアクティビティー(ポンペイ島の村5つが対抗でバスケット・バレーボール・野球などを競う大会)の陸上競技の選手を決めるためとのこと。

幼稚園から8年生までを一斉にする意味がもうひとつわかりませんが。

小学1年生2年生とした後に大雨が降ってきて中断。もう中止だなと思って、幼稚園は保護者と女の子が昨日から始めたハワイアンダンスの練習を開始。

すると雨がやんで再開しました。
芝生とはいえ、かなり水たまりのある中、幼稚園の子どもも走りました。

決め方は、同じ歳の男女別で一斉に走って1-4位までを決めます。
ポンペイ落第したり、入学年齢が一定ではないので、同じ歳の子どもが走ると言うことは、違う学年の子どもと走ることになります。

ですので、そろうのにとても時間がかかります。

順位を決めたのは僕です。
他の先生では、親戚の子どもや自分の子どもを選手に選んでもらおうとしたり、「あの子が早いはず」と勝手な思いこみをしてしまう傾向があるような・・・

僕が選んでいても「この子の方が速いなどなど」途中でクレームが来ますが、「僕が見ていたから」「きみと僕は見ている場所が違う、僕の場所からみるのが一番正確だから」といって突っぱねてしまいました。

やっと終わったと思ったら今日の授業は終了とのこと。
今日はこれだけ?と思ってしまいましたが、僕もこの国に来て打つべきA・B型ワクチンをうっていなかったのでコロニアに行って打ってもらうことにしました。

明日はコロニアで僕の村で行うBBQの用意があるので、コロニアに泊まりたかったのですが、今週は祝日続きで家を留守にしているので、夕方家に帰りました。

明日が休みという村の家での生活は久しぶりです。
窓の外のは虫の声、気持ちの良い風、僕の部屋とガラス一枚隔てた隣の部屋では、子ども達がDVDをがんがんにかけて映画見ています。

やはり、ポンペイは平和です。
そんな平和な村で隊員が集まって初めて村でBBQします。
都会に住む?仲間に村ののんびりした良さを分かってもらえると良いなあと思います。
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11月は、クリスマス

2006年11月08日 | ミクロネシアの幼稚園
幼稚園もクリスマス
10時の好きな遊びの時間に保護者が女の子を集めています。
何をするのかなと思うと、ラジカセをもってきて、音楽をかけ始めると保護者の一人が踊りだして、それに合わせて子どもたちも腰を振って踊りだしました。
音楽はどうやらハワイアンのよう。
なにをしているの?と聞くと「クリスマスに向けて練習をしている」とのこと。

やはり「11月になると急にクリスマスが始まるというのは本当だったんだ」と思いました。
授業も早めに切り上げて、男の子はじっと座ったまま、女の子の練習に付き合わされていました。

クリスマスの歌も、もうそろそろ教えていいそうなので、ここは出番かなって思っています。

ポンペイのクリスマスは家庭でも教会でもかなり暑いいや、熱いクリスマスになるらしいので、今から楽しみです。
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アクティビティーな活動

2006年11月08日 | ミクロネシアの幼稚園
昨日の幼稚園は、かなりアクティビティーでした。
今週のカリキュラムのテーマは「身近な虫」だったのですが、同僚が「外に行こう」といい子ども達に園庭で虫を探させるばかりが、学校の校舎の裏側に行ってもバッタなどを探すことが出来ました。特に蜘蛛を見つけると皆を呼び集めて、一生懸命に説明をしていました。先輩の同僚がいないので、彼女も生き生きしていたのかもしれません。
最近年配の同僚は体調が悪いらしく、「途中で病院にいく」といってそのまま帰ってこないこともあるの。

紙の上に手を置いて、それを縁取ってはさみで切って、くもを作るなど、かなり今日は遊びの要素が入っています。
昼食前も外に行こうって外で、ボールを使ってノックをしたり、僕と同僚で子どもを挟んでボールが当たると子どもがランチルームに行くようにしたりとかなり子どもも楽しんでいました。

こんな楽しい遊びから学べることがたくさんあること、こんな遊びや教師が子どもと一緒になって虫を探すことが子どもにとって大きな喜びと感動につながることを感じてもらいたいと思います。
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予防接種

2006年11月08日 | ミクロネシアの幼稚園
予防接種

昨日はみんな出席。なぜかそれは予防接種があるから。
ポリオや三種混合など3種類の注射や飲み薬をもらいます。

保険担当の人が来て、効果や数値がどれくらいまで上がるといいのかを説明して、保護者にサインをしてもらいます。

写真のマイクはかなり怖がっていて大泣きでした。
でも注射をする先生はのんびり注射を用意して、おいおいそんなゆっくりしたら余計に恐怖心が増すだろうって思いましたが。

他の子どもはなかずに頑張っていましたが・・・・・

ミクロネシアの幼稚園は、給食、そして医療保険衛生とかなり充実しています。
ほんとうにあとは、教育内容だけです。
それが最も難しいのですが・・・

自分が出来ることを毎日こつこつ、自分を信じてそして周りを見ながらかめの遠足という歌があるように「のんびりいこう、のんびりいこう」と自分に言い聞かせて頑張ります。
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1st QURTER 終了

2006年11月03日 | ミクロネシアの幼稚園


ポンペイの学校は4学期制。だから1学期は 1ST QURTER。
先週終了して、その表彰式が木曜日にありました。(授業はありません)

ECEの子ども達も1時間半にも及ぶ長い式典に耐えて?座って頑張っていました。
優秀生徒、偉かった生徒、ずっと制服を着ていた生徒等々色々な項目があって、ECEは何らかの賞に子どもが該当し、全員の子どもが賞状と景品をもらうことが出来ました。

景品は本来、鉛筆とかだけだったのですが、前日の先生2人60ドルを出して、塗り絵やゴムバンド、お菓子などを買ってきて全員に配ってくれました。

この国のシェアー(分け合う)精神には、本当に頭が下がります。
何か、日本人は凄くお金を人のために出すことをためらうことがあるけど、こちらの人は本当に人が良いというか、純粋な気持ちを持っていて、利己的なところが無いのだろうなあって思います。経済的には日本の方が豊かだけど、心はポンペイの方がやはり豊かなのではないか?と感じます。

式の後は、保護者に1人1人成績表を見てもらいます。言語、算数、歌、芸術などの科目ごとの評価に、態度などの評価もあり、かなり詳しく記述しています。今回、僕は成績をつけることにはノータッチだったのですが。そして今まで子ども達がこなしてきたワークシート(多い子で50枚くらい)も見てもらいます。

普段会えないお母さんも来るので「OOちゃんは、凄く真面目だし、一生懸命に話を聞いてますよ」「最初より自信がついてきましたよ」などワークシートなども交えて話をしました。

「家の子どもはできていない」と悩んでいたお父さんに「これは教え方が難しすぎるからわかりにくいですから、出来なくても大丈夫ですよ」と言いそうになりましたが、「それを先生の僕が言ってしまったらだめだ」と口をつぐみましたが・・・・

でも、子ども達の成績に一喜一憂している保護者を見て、今僕はこの国のカリキュラムに疑問を持っていますが、それは揺るぎないものだと確信しました。

一外人である僕が、いくら「勉強して知識を詰め込むことより、遊びながら学ぶことが大切」と力説しても、先生も保護者も勉強して少しでも賢くなって欲しいと思っているんだから・・・
でも決して今のままで良いとは思っていません。知識を教える形は変えられないですが、そこで子どもが楽しみながら出来たり、遊び要素を盛り込んだり、子ども1人1人にわかりやすいようにするなど、カリキュラムを変えることは出来なくても改善点はたくさんあります。

逆に自分がやるべき事が少しずつ焦点化されてきているように思います。

2nd Qurterは、スポーツアクティビティーで野球の試合もあるし、前向きにでも、現地の人の考えや思いを尊重しながら、一緒に考えてできるようになりたいと思います。まだまだ道は険しいですが・・・・

あと、自分の中で納得しないといけないことが、今の活動について
朝8時15分から12時まで授業時間。毎日自分の授業時間が保障されていないこと。

でもここは我慢のしどころです。今自分が授業の中で自分の時間を確保してしまうと、その時間は「あなたに任せるね」と教室から同僚が出てしまい、単に分担して仕事をするだけになってしまうからです。
僕たち隊員の目的は、技術移転。つまり現地の先生に僕たちがもっているノウハウを現地のニーズに合わせて伝えていくこと。

子どもに教えることは、現地の先生に具体的な方法を伝える方法の一つに過ぎません。

僕は子どもに教えるのが大好きだから、今の現地の先生の授業を見続けることや、時に急に一日を任されることは、決して心地よいものではないですが、少しでも技術移転できるように日々どうなるかわからない、授業展開に甘んじます。

そして現地の先生が僕の数少ない良さを取り入れてもらえるように頑張りたいと思います。

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良さを見出し、共通点を見出し、少しずつ少しずつ

2006年10月12日 | ミクロネシアの幼稚園
交信が途絶えてすいません。忙しくて(言い訳ですが)ブログを書く時間がなかなかありません。書き出すと長く成らざる終えないので。
少し前に書いたものを載せます。
メールなどで心配してくださった皆さんありがとうございます。
元気ですのでご安心下さい。

最近、ミクシーからこのブログを見てくださっている方や昔の教え子と再会したりと楽しい出会いがありました。

幼稚園の方は、ここ2日ほど、自分がメインになって教える機会が少なく、ちょっと、いやかなりしんどいかもしれません。
教師って教えて、子どもに接してこそなので、それを周りで見ているだけ、それも「おいおいこれでいいのか?」という気持ちで見ていることが多いと、気分が滅入ります。

そんなの気にせず、自分の好きなことをすればとか、やり方がおかしいなら「おかしい」って言うべきだという意見の方もいると思います。

僕たちが求められている形は、僕がこの国で子どもたちにいい保育を提供することではなく、技術移転、つまり現地の先生に日本のつまり僕の保育を取り入れてもらうことが目的です。

しかし、知識を詰め込むことが中心のこの国の保育と、僕が今までしてきた遊びや経験を通して子ども自らが力をつけていくことを求める保育とではおおきく異なります。

だから、今は同僚に僕がいることの必要性を、そして僕がもしかしたら役に立つ人かもしれないと感じてもらうところから始めています。

僕がアクティビティーのある保育をすることもありますが、今はできるだけじっとして、現地の先生がカリキュラムに沿ってしたいこと、しなければならないことを尊重しています。
僕は、現地の先生が助けを求めにきたときに「こうしてみよう」「僕が明日やってみるからみてて」と常にアイディアを出すことに出来るだけ専念しようと思っています。そして、その保育が子どもたちにとってたのしく、そして確実に知識がついていることを目指しています。
(なかなかうまくはいきませんが)

あとはサブの先生として、一人一人の子供に応じた指導をすること。
すぐに席を立つ子、友達にちょっかいを出す子などさまざまです。
指導するのはメインの先生だけでなく、みんなで指導していくこともこの2年間で少しでも根付いてほしいと思います。

それらを理解しているつもりでも、「もっと子どもに自分から楽しいこと、子どもが求めているものをしたい」という気持ちに駆られます。また人のしている保育を見ていて「そんなことしていたら、子どもの意欲がなくなってしまう」と思ったりもします。でもやはり今は我慢。

そして自分ひとりで現地語で指導できるだけの語学力を身につけないといけないとも。

なかなか現実は厳しいですが。

でも「今目の前にいる子どもたちにとっていい先生でいる」ことをだけは、忘れないようにしたいと思います。

僕はせっかちなので、待つことが苦手なので、これもきっと大切な学びとなる日が来ると信じて。
待つ・すぐに結果を求めない・相手の気持ちを察するなどなど、我慢をする意味を見出して生きたいと思います。
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伝えることは、なかなか難しい

2006年09月28日 | ミクロネシアの幼稚園
今日はほとんどメインで授業をすることなく終了しました。

今、子どもに教えているのは「げんこつ山のたぬきさん」です。
こちらでも日本語でそのまま歌われています。
ただ最後の「また明日」の部分が「またくれよ」という歌詞になっていて、「それはサカナカン(よくない)ので、ちゃんとまた明日」と歌っています。

今日は2人組になってジャンケンをすることを楽しもうと思いましたが、2人組という言葉は「パートナー」という英語しかなく、ポンペイ語には存在しませんでした。

もちろん、子ども達にとって2人組になることは、初めての経験でなかなか上手くくめないこともありました。今日は2人組になること自体を楽しめるようにすれば良かったのだと反省しました。

目の前の子どもを見て、常に自分のしていることが子どもにどう感じたかを確認していかないといけないと思います。

自分自身がしっかりと反省しないと、同僚に「こうした方がいいよ」とは言えませんから。

今日、げんこつ山をしたのは、子どもが待ちの状態だったので。
今日は用意が十分に出来ていなかったようです。
昨日は、給料日で「早く帰る」と言って、僕以外の人は先に家に帰ってしまったので。

そして、黒板に1・2・3・4と書き、白紙紙を配って、これを書きなさいとはじめました。そして数人がどうにか理解して書く以外は、お手上げ状態です。

やはり、もっと教材プリントを作る段階で伝えていかないといけないと思いました。
後で聞くと「準備ができていなかったから」と話してくれたので、「なんで準備していないの?」と言いたいところを「そうか準備していないと難しいね」と話しました。

今は僕が「それはだめでしょう」と言ってしまうのではなく、本人が「準備しないといけないなあ」と少しでも感じてもらうことを期待したいと思います。

終わってから、やはりせめて紙に線を引いておいて、子どもがどこに書くか分かるようにするとどんなときも便利で子どもにとって良いことだと話しました。

そこで「じゃあ僕が作っておくよ」とは決して言わず、彼女が作ろうとするのを待ちたいと思います。

いつも思うことは、自分でやれば、すぐにできると思うことでいっぱいです。
でもそこでいかに自分だけでせずに、同僚に興味を持ってもらって自分自身からやろうと思ってもらえるかです。

昨日、数字の書き方の英語の本を見せてもらうと、筆順のことが載っていたので、最初にどこから書けばいいかをわかりやすいように1・2・3・4が書けるプリントを作りました。
明日は1・2・3・4を中心にやります。そこに子どもの実感が伴うようにしていきながら。

昼から職員会議。議題はスポーツアクティビティーでどの競技に参加するということ。
校長先生は「野球はグローブを持っていないからだめかな」というので、僕は「子どもと夕方に練習するときたくさんの子どもが自分のグローブを持っていますよ」というと、「それならできるかな」と野球も出来ることになりました。もちろん担当コーチは僕です。

実は日本で可愛い甥っ子のために小学校の野球チームのコーチをしていたので、一番教えやすいですし、最も好きなスポーツなので。

人選などまだ分からないことがありますが、小学校の子ども達と楽しく一緒に過ごせる機会になればと思っています。

24人全員がそろったので、記念に写真を撮りました。
カラカル(暑い)ので子どもも大変でしたが、後ろは海と離島です。
24の瞳ならぬ、48の瞳、今の僕にとって一番大切な子ども達です。

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参観日?

2006年09月28日 | ミクロネシアの幼稚園
参観日?

昨日は、スタッフの方、教育局に勤めている先輩隊員が僕の幼稚園(ECE)に授業の様子を見に来てくれました。
子供たちに「日本人が二人来るよ」と話していると、「違うよ、3人だよ」というので、「なんで」と聞くと「車から降りる日本人3人の姿」。
なんとスタッフのトップの方まで来てくださいました。

毎日ECEで僕が教える時間は決まっていませんが、朝一番の出席やカレンダーのカウントはしたことがなかったので、緊張しました。

いつも他の先生が教える今日のカレンダーと僕が判子を押す出席カードのタイミングがずれるのですが、今日は両方自分でしたので、子供の意識の中でも今日という日は、自分が幼稚園に来た日だということがわかりやすかったように思います。

その後はステップ。昨日コロニアで延長コードを仕入れて、子供の真ん中でキーボードが弾けるようになり、断然子供の姿が見やすくなりました。

ステップはやっとスキップができるようになってきました。
まだまだギャロップになっている子供もいますが、だんだんとスキップのリズムがつかめてくる子供を見ると嬉しくなってきます。

授業が終わって、給食を食べに行くときに思わずスキップをしている子供を見ると、大げさですが、その子供に新たな楽しさが伝えることが出来た喜びを持つことができます。

そして、見てもらおうと思ったカウンティング。ECEでたくさんの勉強をしている現状を参観した仲間に知ってもらうためにも。

今週は4(パーヨ)です。何度も貝を使いながら4を数えました。子供はカウンティングのみを訓練されている部分もあるので、最後の数はエイシック(10)という癖がつきかけている子供もいて、改めてたくさん詰め込んで教える弊害が出ているなあと思います。
やはり、じっくりじっくり一つのことを教えていかなければならないと感じました。

貝は自分で数を数えるだけでなく、たくさんある貝の中から見つけてくる遊びなども取り入れてみました。一斉に狭い貝入れに取りに行くと、どうなるだろうと思って子供にさせてみると案の定。とんでもない数を取ってくる子供がいて、少し子供を使って遊んでしまいました。

そして、朝食をとり、歯ブラシをして、今日は「4」という数字を書くことと、「4」は、ものが4つあるという概念を伝えるため、先ほどの貝に続いて、「4」と書いた横に丸を4つ書くことにしました。

子供は一昨日から見違えるほど、数字を書くのがうまくなっています。
それは、同じ敷地にある小学校に勤める仲間から「シュタイナーを読んだのですが、子供には鉛筆よりクレパスの方がいいのでは?」と教えてもらったのです。

子供が鉛筆を使うことで書きにくいことは理解していたのですが、「こうして使い慣れていくしかないのかな?」という思いとまた使う道具のことで同僚と衝突したくないという気持ちがあったことも事実です。

でも仲間が後押しをしてくれました。本当にありがたいです。

終わったら、やはり汗が諾々。長年やっていてもこの程度?って思われたかもしれませんが、自分が伝えたいことを(今の段階で)こどもと一緒に遊びながら伝えることはやはり気持ちいいです。

やはり先生は、子供と生でぶつかってこそだと改めて思いしました。

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楽園をみつけた&HAPPYBIRTHDAYに思う

2006年09月23日 | ミクロネシアの幼稚園
うれしいこと1
朝カウンターパートのシニータが保育を進めました。内容は、今まで子どもたちが覚えてきた1月~12月までを一人ずつ言うこと。
このことについても、シニータには「こういう風にすればいい、子どもが自信を持てるように」と伝えてきましたし、僕がするときには子ども一人ひとりによって言葉賭がけをかえてきました。
一人ひとりににこやかに聞いていたし、分かった子を褒めることはもちろん、最初かたつまづく子には「じゃあ歌ってみるよ」と1月からの歌を歌ったり、まだまだ理解がおぼつかない子には「先生と一緒に言おう」と言葉を添えたり、途中で5月の次に8月とかをいってしまうなど言うべき月を抜かしてしまう子にも「うんうん」といいながら、聞いたりと本当に一人ひとりに合わせてすごいと思いました。そして何より、子どもがシニータを受けてじっくりと話を聞くことを感じ取って、しっくりと話を聞いていたことが嬉しかったです。シニータも自分が保育をして子どもに向き合うことで、子どもが興味を感じてくれることを実感できたように思います。
保育の後に「今日の保育はとてもよかったよ。パーフェクトだよ」と話すと「本当にパーフェクト」とうれしそうにしていました。
これからも、日々の中で「今日はここがよかったよ」と彼女なりのがんばりをしっかりと見つけて、もっとがんばりたいと思えるようにしたいと思います。

うれしいこと2
 今日はジュンのHAPPYBIRTHDAY。みんなで歌を歌いました。誕生日が僕は大好きです。でもびっくりしたことは、そのあと、先生が何か話しかけると、子どもが数人ジュンの前に近づき、お金を渡しています。なんと個人的にプレゼントをするみたいです。そしてなんと、先生までも1ドル渡していました。
その後もすごい、いつもは11時30分から始まる昼食が11時に変更。なぜならジュンのバースディーをみんなで祝うためです。
前回誕生日だったダニーシャのお母さんが大きなケーキを2つ作ってきてくれました。
それから、誕生日の子どもの保護者が自分でケーキを作ってくるのが、恒例のようになりつつあります。ケーキは20-30-ドル、アイスクリームもバケツのようなのを買ってくるので20ドルくらいするような、つまり幼稚園で自分の子どもを祝ってもらうために50ドル近いお金が必要だということです。

こんなに大金をかけるのはどうなのかな?という気持ちが浮かびました。
でも、みんなで同じようにケーキとアイスクリームを食べて祝えることは、純粋に子どもたちにとって幸せなことだと。

日本ではきっとそんなこと、できる家族とできない家族があるから「子どもが可哀想だ」という意見が出て、即中止になるはずです。
確かにそういう考えももっともだと思いますが、それって子どもより大人が傷つくからではないでしょうか?

そして、すごく冷たい言い方ですが、できる家庭とできない家庭があるのも事実だし、そう行くことを子供たちも少しずつ目の当たりにしていくのかもしれないと。

誕生日だからみんなで楽しく祝おう。みんなで私の子どもの誕生日を祝って頂戴。そしてその喜びをみんなで分け合いましょうというとてもシンプルな考え方だと思い、このポンペイならではのよさを感じ取りたいと思いました。

うれしいこと3
今日は金曜日なのでコロニアに行きました。
タクシーの運転手はとてもアクティブな子どものお父さん。前に一度先生に怒られて、言えに帰るといった子どもです。その運転手が怒る先生はよくない。あなたはとてもいい先生だ。「母親とも日本の先生がとてもいいよと話しているんだ」と言っていました。
そんなことを言ってくれて本当にうれしかったです。少しでも僕のことを信頼してくれている人がいることは、これから活動して良く大きな支えです。

そして、いつも幼稚園に来てくれている保護者、特に今回運転手をいている奥さん、つまりアクティブな子どものお母さんには子どものことについて話をしてきたので、その思いが通じたことがうれしいです。

そんな信頼してくれる保護者や子どもたちが一人でも増え続けることができるように、やはり目の前の子どもにとって何が大切かを考え続けて行動したいと思います。

うれしいこと4
おじいさんとの話。
今日は昼間におじいさんと「ポンペイは自然に恵まれているから食べるものにはこまらない」という話をしました。そこから日本人が統治時代に来たときに「なぜポンペイの人は働かないんだとおじいさんは聞かれて、食べるものに困らないからと答えたという話を聞きました。

そして、パラダイスという話をしました。
昔おじいさんの住む村のある人が日本人と結婚をしました。その結婚した日本人は、日本からきた人で、その人は来る前にお父さんやお母さんから「世界にはパラダイスというすばらしい楽園があるよ。それを探し続けなさいと」という話を聞かされていたそうです。
そしてその日本人は、ある時ポンペイを歩いて一周することを計画したそうです。でも旅をするのにどれくらいお金を持っていくといいか悩んだそうです。

すると周りの人は「お金なんて要らないよ、ポンペイでは、知り合いでなくても、誰に対しても「ご飯を食べていきなさい」とみんながいう習慣があるから、お金を持っていなくても食べるところや寝るところには困らないよ。そしてその人は2週間かけて歩いて旅をして、日本にいる両親に手紙でこう書いたそうです。
「お父さんお母さん私は楽園を見つける必要はもうありません。パラダイスは私の住むポンペイでした。ここではお金がなくいてもみんなが優しく迎えてご飯を食べさせてくれます。こここそ楽園です」と。
そんな素敵な話を聞けるここはぼくにとっても楽園ですし、自分で楽園だと思える努力を日々していきたいと思います。
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頼りになる存在

2006年09月21日 | ミクロネシアの幼稚園
頼りになる存在

幼稚園にはいつもたくさんの大人がいます。
まず職員が僕とメインティーチャーのシニーターとサブティーチャーのジュディー、そして給食を作る       ドライバーのジョン。
他にもいっぱいそれは保護者です。

毎日ほとんどきまった保護者が幼稚園に来て、子供のそばにいてくれたり、給食作りを手伝ってくれたり、掃除をしてくれたりします。
最初は「えー、ずっといるんですか?」という感じでしたが、今では逆にありがたいです。

それは、やはり教師の3人だけでは、うまくコミュニケーションが取れずに、3人いることでいらだってしまうことがあるのですが、保護者がいることでいい意味で緊張感が生まれたり、中和されたりします。

また、保護者がいる子供限定ですが、保護者にダイレクトに話が出来るということ。
ステップをしなかった子がいるとすると、「お母さん、大丈夫だからね」と励ましたり、「今日はがんばっていたね」と一緒に成長を喜ぶことが出来ます。

そして何よりありがたいのは、僕の保育のときに通訳をしてくれることです。

今、朝の9時ぐらいから30分ぐらい(その日によって異なりますが)3人の先生が6-7人の子供をそれぞれ別のカリキュラムで指導しています。

例えば僕は数字のカウンティング、シニータは発音、ジュディーはライティングといった具合に。

そんな時に横にお母さんがいてくださると「先生は今こういっているのよ」とポンペイ語で子供達に話をしてくれます。

また、今日は途中から昔からあるお話をお母さんが子供たちにしてくださいました。

ライリーのお母さんはとても明るく、穏やかで、僕ととても話があいます。
現地の先生より話が合うかも、というか子供に対して温かくすごく先生に向いている人です。

日本では、保護者が見ているとすごく構えてしまうことがありますが、こちらのそんな保護者に助けられながらの保育にも少しずつ慣れてきています。



今日は早く目が覚めたので、食堂でお湯を沸かしながら、食堂の掃き掃除の後、モップで拭きました。今食堂などの部屋はとてもよく汚れます。

なぜなら、最近芝生を刈り込んだので、切った芝生が足の裏などについて、部屋に上がりこむからです。

そして、子供たちが「漢字で名前をつけて」というリクエストに答えて考えた漢字を習字の筆ペンで書いてみました。

するとお孫さんのコスタンさんがやってきて、日本語の話になり、カタカナ表を作りながら、お勉強タイムになってしまいました。

今、このスローな朝食がとても気に入っています。
コスタンさんも今は仕事が休み(長期休暇)なので、時間がたっぷりあります。
夜はお祖父さん以外の大人の人とはあまり話すことがないので、この時間も大切です。

今の段階では仕事を家に持って帰ってすることがないので、家で過ごす時間はゆったりしています。
その原因を考えると、やはりテレビのような気がします。
僕の家にはテレビがありますが、僕はちゃんと見たことがいまだかつてありません。

おじいさんはや子供たちはよくDVDを見ていますが、僕はあまり映画とかが隙ではないので。

日本とポンペイの違いのほうが大きいでしょうが、テレビを見るか否かもかなり生活のゆとりが違ったものになるように思います。

ふと頭をよぎるのは「日本に帰ってもテレビを見ない生活を続けてもいいかもしれない」ということです。
なかなか現実は難しいでしょうが、そんな気持ちにさせてくれます。

決して怠けたり、だらだらしたりして、過ごすという意味ではなく、ゆったりと過ごせる今の環境を、ゆったり時間が感じられる時を享受したいと思っています。
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教師は子どものいつも鏡だ。反対という意味でも

2006年09月20日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、コロニアの私立の小学校で隊員をしている仲間が休日のため、(我々は平日です)授業風景を見に来てくれました。

ステップを最初にしました。ステップとはスキップとかギャロップといって子供がリズムを取ってそれにあわせてピアノなどでリズムを弾いて遊ぶことです。

子供たちはギャロップにかなりなれてきて、勢いもついてきました。
本当は「弾んで、気持ちいいね、広い場所見つけたね」などなど、認めの言葉をいっぱい言いたいのですが、なかなか出てきません。

一人ずつは久しぶりだったので、緊張してできない子もいたので、次は5人ずつでギャロップをしました。ちょっと乱雑になったように思います。

その後、貝をつかったカウンティング。1-5までをゆっくりしました。
最初は私と一緒に貝を一つずつ出して数を数えて、そのあと私が言う数の貝を子供が自分で数えて出しました。そのあと、みんなの輪の真ん中に貝をたくさんおいて、僕が言った数だけ取りにいく遊びをしました。
静かにする遊びと動く遊びをうまく取り入れていくことができればと思っています。

1から順番に2、3と僕が言った数をとりに言っているのに、同僚のシニータが「HIRO次は10って言って」というので、「それは難しいと思うよ」といいましたが、今日やってみて、子供が順序だててしないと分からないことを知ってもらういい機会なので、「10」と言うと案の定、分かりませんでした。

昼からのシニータの話で、「今日の数字で急に10って言うと難しいでしょ」というと、言葉では「そうだったね」と言ってくれたのですが。

今日少し、怒ってしまったことがあります。
今、話した授業の前に、1・2・3の数字の書き方の指導をしました。
紙を使わずに指で文字を書いて。そのとき子供の前に僕が座っています。
そして子供は僕を見ながら数字を書きます。

こういうときは、私は子どもが本来する動きの反対の動きをします。
例えば「2」という数字を書くとき、裏から見た「2」の数字を私が書くと子供には「2」と分かります。

そうしていつものように指導していると、シニータとジュディーが「hiro、あなたの教え方は間違っている」と急に言い出しました。「僕がなんで?」と聞くと、「書き方が違う」というのです。いい機会だったので「いいや、これが正しい、君が子供になってみて、君から見てこれは「2」に見えるでしょう。でもあなたの言う風にしたら「2」って見える?」と。すると「ああそうか、わからない、あなたの方があっている」と言ってくれました。

そうです。これがすべてを物語っています。
先生たちの人柄は決して悪くありません。

でも、常に自分が中心で、子供が分かるか、子供がどう感じているという視点に立って、教えることが出来ないのです。

教え方の基本が身につかずに、自分のやり方でずっとだれからも注意されずにしてきてしまっています。

ここにポンペイの教育の問題の原点があります。
このことはこれからも他のポンペイの人に感じてもらういい具体例だと思います。

仲間には家を案内して、彼女はもう一つ違う仲間の隊員の学校に行きました。

学校に戻ると、同僚のシニータが子供をつれてきています。
彼女は結婚していませんが、2歳の子供がいます。(ポンペイではよくあることです)

周りの授業の終わった先生も幼稚園に来て「かわいいねえ」といって見ています。
いろいろとポンペイの教育には「こうあってほしい」というものはありますが、ポンペイの人の子供好きさを見ると、これだけ子供を愛せるのだから、きっともっといい教育ができるはずだという勇気を与えてくれます。

昼からシニータは、明日HとKを二つ教えたいと言って来ました。
そこには大きな問題があります。
実は2つといいながら、4つ教えないといけません。
つまり、今まで大文字と小文字の両方、例えば「A・a」を一度に教えていたのです。

前からこの教え方に疑問があったのですが、いい機会なので、聞いて見ることにしました。「大文字と小文字って子供はわかっているのかな」と聞くと難しいかもしれないと答えます。「そうだよね」これってもっと大きくなってから習うのであって、今はAかaのどちらか一つがAだと分かれば十分じゃない?」と聞きました。そしてどちらかに決めないと結局どちらも分からず、「Aa」という字がAという意味だと思いかねないことも言いました。するとシニータも納得して、「そうだね、一つにして見る」と素直に聞いてくれました。

明日は「k」の文字だけに絞って教えること、また何度も指で文字を書いてからすること、「K」を書くときも一本ずつ特長を言って書くことなどに留意し、教えてようにお願いしました。

その後、シニータが「これ、どう思う」と子供それぞれの名前の上に糊でなぞり、砂をかけてデコレートすることを提案しました。
「それはきれいだね、用意したらいいよ」というと、「Hiroが作ってくれたプリントが2つあるから、それをしてから時間が余ったらするよ」とのこと。でもそれって準備したほうがいいと思うよといいながら、僕はコピー室へ行きました。すると僕が戻ってくるとなんとシニータが子供一人一人の名前を書いて準備をしていました。

そういう風に自分からやって見ようと思う気持ちが大切だよと思いました。

そしてそのあと、「もっとアクティビティーをいれたい。そうしないと子供は退屈がっている」とシニータから言ってくれました。「よくぞいってくれた」という心境です。

子どもが退屈だと感じているとは、凄い進歩です。
それを感じることが出来れば、大丈夫だと思いました。

そして、他にもっといろいろな教え方や活動を知りたいと思えることこそが進歩だと。

もちろん、彼女は今明日の保育のことで手一杯で、僕に何かして欲しいという気持ちがいっぱいあることもわかっていますが、僕が保育をして、はいおしまいではなく、まねをしてみよう、他にもあるのかな?と思ってもらったら、本当に嬉しいです。

そして、今行っている僕のアクティビティー(ステップ)について説明しました。
今、ギャロップをしていますが、このギャロップがこれからスキップへとつながること、他にも他のステップがあることなどを伝えて、アクティビティーが広がっていくことを理解してもらいました。

まだまだ道は険しいですし、僕の教え方、新たなアイデアもなかなか新しく次々浮かびませんが、いろいろ子供を見ながら感じ、そこから生み出す日本でしていた保育で培ったものを大切にしていきたいと思いました。
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誕生日で考える

2006年09月19日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、いや今日も?アシスタントティーチャーのジュディーが休みなので、二人で子供を見ることに。考えてみれば、2人で25人を見ることは、日本では恵まれて、とても幸せなことなのですが、それを忘れてしまいそうです。

朝は、昨日から始めた帳面を配りました。こちらには子供がプリントなどを順番に取りに来ることがないので、自分で意識して取りに行くということも大切にしたいです。まだうまく今日は何日で・・・というのが話せないのですが。子供に「今日は何日だよ」と教えながら判子を押していくとみんなが笑顔でした。ラカップ(明日)20(リエイシック)というと、ちょっとわかったような、わからないような。でも間違いなく、幼稚園に来たら、判子がもらえるということはわかったようです。

ジュディーがいなくて、前にも言いましたが、シニータは生き生きしているような・・・
朝食も早めに子供に取らせて、あとは僕とシニータで子供を半分ずつに分けて、シニータは発音を、僕は貝を使って1-5の数を数えたり、僕が言う数の貝を子供がカップからだしたり、最後には僕が言った数(1-5まで)をたくさん貝が入っているかごから取ってくる遊びをしました。カップから貝を出す、しまうという単語がうまく伝わらなかった時は近くにいいる保護者が「先生がこう言っているよ」と子供たちにろロカヤンポンペイ(ポンペイ言語)で教えてくれます。もちろん多くの子供ができますが、時々間違えたり、ふざけて友達の貝を取ってしまったりすることもあります。トラブルについてはジェスチャーが中心という情けない状態ですが、途中で友達の貝をふざけて取った子供には「サカナカン(よくない)」とはっきり話し、「マーク(ごめん)」と日本では「そんなの教育的でないよ」と言われるような指導をしています。でも今までよりもっと自信を持ってしっかりと子供に伝え、一つ一つのことに立ち止まるようにしています。「この先生は、人に迷惑をかけたら凄く怒るんだ」ということを知らせ、人に迷惑をかけてはいけないということをしっかりと心にとどめることが出来る子供になってほしいと思います。それが保育、そして集団教育の基本ですから。

今、子供たちに数字を通して大切にしていることは、言葉を覚えるのではなく、実感すること、つまり具体物を使って「これがエーウ(1)、リアウ(2)と感じること」。いくら言葉でいえても、本当の実感がなかったり、生活で活かせたりしなければ意味がありませんので。

また、必ず基本からスタートして、前にしたことをなぞる、つまり復習をして今までこうしたよねと確認しつつ、することです。

なかなかすぐに根付くのは難しいですが、日本人が得意の根気強さやこつこつしたところをしっかり活かさなければと思います。

あと10時からの好きな遊び。
今はやっているのは、ブランコのサイドにある支えの棒に登ること。
それも子供だけでは登れないので、僕に「登らせて」といって抱っこされて登るのが楽しいようです。
今は、この遊びも大切にしています。
なぜなら、今子供に大切なのは僕との信頼関係、そして先生に自分の気持ちを伝えようとする気持ちです。
今、保育室で数字などを使って楽しくなるように遊んでいますが、それだけでは子供との真の関係は築けないと考えます。

子供は「この先生は僕のことを本気になって考えてくれているか」を五感を使ってしっかり見ています。その子供たちに「僕は君の気持ちに近づきたいと思っているよ」としっかり行動し、楽しさを共感して伝えたいです。

また、子供を見ていて気になることは、子供の自信がないこと。特に集団の中や先生の前では萎縮してしまう姿が気になります。

今の時期だからこそ、しっかり子供に先生に自信を持って話すことの大切さも感じてほしいです。

それがこれからの学びの場で活かされると信じています。

今日は給食が終わってから子ども達が帰らないと思ったら、みんなでダニーシャのHAPPY BIRTHDAYのお祝い。ダニーシャのお母さんが大きなケーキを2つとバケツのようなアイスクリームをもってきて、みんなでダニーシャを祝いました。

こうしてみると、本当に日本と同じ、それ以上かと思ってしまいます。
それが南の島特有の我々が抱える問題です。

ここに来る意味は何か?十分ではないだろうか?自分に出来ることはないのでは?
多くの先輩がこの壁にぶち当たるそうです。
今日はこれくらいにして、またこの問題については考えていきながら、自分の活動を確かなものにしたいと思います。

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帳面開始

2006年09月18日 | ミクロネシアの幼稚園
お帳面開始
今日からお帳面(子供出席ノート)をスタートさせました。
日本の保育を形取り入れることはできるだけやめておこうと思いました。
お帳面を使うことにしたきっかけは、こちらでは子どもが「今何月何日何曜日」ということを覚えることがとても大切だからです。
でも今は毎日「今日はセプテンバーで・・・・」と教え続けることには抵抗がありました。

子供自身が「今日は20日なんだ。すると明日は21日か、今日は月曜日だから昨日は幼稚園がお休みで日曜日か。そうか20日の前は19日なんだ」といった興味や生活の中に取り入れることこそが大切だと思っていました。

そこでお帳面。これなら一石五鳥。なんせ「名前が覚えられて、日にちがわかって、曜日がわかって、月も年もわかります」それを現地の先生に説明するとそれはいいことだということで、金曜日に作成しました。

シールとか判子とかがなかったので、僕の名前の判子を使いました。
現地語ではうまく説明しきれずに今日はなんとなく、判子を押しただけになりましたが、「なんだろう、どうやら毎日押してくれるらしい、今日は18のところに押したなあ、これが18って数なんだ」などなど、毎日同じものを見て変化すること、そしてそれは自分が幼稚園に来ることで達成できること、増えていくこと、朝の恒例行事になることなど、プラス要素を大切に毎日こつこつ続ける教育があることがうまく伝わればと思います。
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