南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

初!路上ウクレレライブ 

2006年10月31日 | ミクロネシアの生活
僕たちの私的な活動として最も重要なのがUUC。(ウー村ウクレレサークル)

今回今日のハロウィンにかこつけて、路上ライブを敢行する計画を立てました。

まず聴衆に「あれ」と思ってもらうためには英語の曲がいるということで、BEATLESのオブラディ・オブラダをレパートリーに加えました。

あとは、今までやってきた「少年時代」「夏色」「島人ちゅね宝」「夢をあきらめないで」「贈る言葉ーウー村編」に加えて、個人的にしてきた「世界に一つだけの花」「チェリー」「なごり雪」「涙そうそう」を加えることにしました。

そして昨日は僕の家に集まって練習。

そのあと、一回外の暗い中でやってみるかと「アワックの橋」でやってみると、知っている小学生などがあつまって、興味津々出来てくれました。だんだん人が増えて最後は10人くらいになりました。

やはり受けたのは「オブラディオブラダ」。じっくりハモる「少年時代」でした。

もっと英語、そしてポンペイ語の曲をしていかないとなかなか難しいなあという感じです。
でも、日本人に発表するのとはまた違い、もっとリラックスして聞いている人の感覚が伝わってくるので、楽しいです。

今日は、ハロウィン。コロニアに繰り出して、お店などの前で路上ライブを敢行します。

どんな結果になるのやら。

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初!路上ウクレレライブ 

2006年10月31日 | ミクロネシアの生活
僕たちの私的な活動として最も重要なのがUUC。(ウー村ウクレレサークル)

今回今日のハロウィンにかこつけて、路上ライブを敢行する計画を立てました。

まず聴衆に「あれ」と思ってもらうためには英語の曲がいるということで、BEATLESのオブラディ・オブラダをレパートリーに加えました。

あとは、今までやってきた「少年時代」「夏色」「島人ちゅね宝」「夢をあきらめないで」「贈る言葉ーウー村編」に加えて、個人的にしてきた「世界に一つだけの花」「チェリー」「なごり雪」「涙そうそう」を加えることにしました。

そして昨日は僕の家に集まって練習。

そのあと、一回外の暗い中でやってみるかと「アワックの橋」でやってみると、知っている小学生などがあつまって、興味津々出来てくれました。だんだん人が増えて最後は10人くらいになりました。

やはり受けたのは「オブラディオブラダ」。じっくりハモる「少年時代」でした。

もっと英語、そしてポンペイ語の曲をしていかないとなかなか難しいなあという感じです。
でも、日本人に発表するのとはまた違い、もっとリラックスして聞いている人の感覚が伝わってくるので、楽しいです。

今日は、ハロウィン。コロニアに繰り出して、お店などの前で路上ライブを敢行します。

どんな結果になるのやら。

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合気道&マラソン&テニス めいっぱい動く

2006年10月30日 | ミクロネシアの生活
めいっぱい、動く一日。

ワークショップが終了し、ほっと一息ではなく、怒涛の土曜日。
朝5時に起床。
コロニアで5キロを走るFUNマラソンが開催されるので、仲間と出ました。
6時集合だったのに始まったのは7時過ぎ。
5キロも走れるのかな?とかなり不安でしたが、とりあえず走ってみようと。

仲間の隊員は大学時代からマラソンをずっとしているので先頭集団であっという間に見えなくなってしまいました。

最初は、ゆっくりゆっくり亀のように走っていました。
雨が降ってきたので、暑くなく、あまり汗もかかずに走れました。

これはもっと速く走れるし、速く走ったほうが楽かもしれないと思って途中でスピードをあげました。
5キロなんて短いのかも知れませんが、マラソンなんて出たことがないので、ペースが全く分かりませんでした。
終盤で給水の水を飲むと、どっと疲れが出てしまいました。

このマラソンで一番気をつけたこと。
それは、怪我をしないこと。

なんといっても訓練終盤でフリスビーをしていて、肉離れになり派遣延期になりかけたので、こんなことで怪我をするわけにはいきません。

そしてどうにか一度も休むことなくゴールまでたどり着きました。
5キロを20分台で走れたので、かなりいいペースらしいです。(仲間が言うには)

僕はこつこつ努力するのが苦手なので、マラソンはかなり苦手ですが、この国では時々こういう大会が開かれるので、これからも参加しようかなと思います。

そして、少し疲れたので昼寝をして、今度は今日あるチャリティーコンサートで実演する合気道の練習をしました。

子宮がんのためのチャリティーコンサートでした。仲間の隊員がそこでピアノとバイオリンのジョイントをすることになり、他にも何か出れるものはないか?とみんなで頭をしぼって?隊員が活動している合気道を実演することにしました。

「本当はウクレレで出たいなあ」とも思ったのですが、今回は諸事情があり次回に見送り。
(次回があるかどうかは知りませんが・・・・)

合気道の隊員は女性です。僕らは投げられ役専門。

受身を練習しました。一応柔道をしていたので、受身はもちろんできるのですが、足を下げて後ろで交差するのがちょっと違うところありましたが、どうにか。

練習後にテニスコートを見るとスタッフの方がテニスをされていたので、仲間と一緒にいって参加させてもらい、2試合しました。

正直、マラソン・合気道で体というより、集中力がきれてしまっていました。

そして午後6時半からチャリティーコンサートがスタート。

仲間の音楽隊員のピアノ演奏。かなり聴きごたえがありました。

ながなが続く、抽選やお話にかなり待ちくたびれましが、やっと本番。
道着に着替えて、マットを引いて、受身やミクロネシアのポリスが技をかける役になってぼくらが技をかけられて受身で倒れます。

ポリスが思い切り力を入れるので、思わず「あいてて」と言ってしまいました。
すると聴衆がかなり笑って受けてくれました。

そうそうなぜポリスかというと、合気道は隊員が警察官の訓練のために技術指導しているため、ポリスで熱心な人は合気道ができます。

後でビデオで見ましたが、まあにわか合気道では、上出来だったと思います。

合気道隊員は、この日のために合気道を現地の人に広めようと一所懸命に英語と格闘していました。

そして打ち上げをかねて少しのみに行きました。ビリヤードは完敗でしたが。
マラソン・合気道・テニス、それもワークショップの次の日にこれだけいろいろなことをするってことは、日本では考えられません。
でもなんだかここなら、とりあえずできること、やりたいと思ったことはやってみてから考えようと不思議に思えます。

日本ならちゃんとひとつするのに万全に準備をして望むので、このような参加の仕方は、恥をかくって気持ちが働くかも知れません。
(もちろん合気道は合計3回練習しましたが)

気楽に参加する、やってみる、それはともすればいい加減だと人の目に映ったりするかもしれません。でもそれが良いかどうかを決めるのは本人以外の誰でもないなあと思います。

人に迷惑をかけたり、嫌な思いをさせてさえいなければ。

南の島は、本当にのんびりしています。
そして、待ったり、こんないい加減なことでいいの?と日本人の感覚では思ってしまいます。
でも自由な雰囲気で気負わずに参加したり、素直に物事に楽しめるよさがあります。

どっちがいいのか?それは僕にはわかりませんが・・・

あとマラソンは現地の人がかなり参加していましたが、それでもスタッフはフィリピン人が中心だったり、速く走る人は現地の人だったりします。
また参加者の割合もやはりアメリカ人など欧米の方が多いような。

そしてチャリティーコンサートは、それ以上に現地の人ではなく、欧米・フィリピンなどの方が中心でした。
それがこの国の今の現状だと思います。

もちろん主役は現地の方々ですが、欧米の人や資本、フィリピン人の労働力などがこの国の大きな力として支えているのもまた事実です。

今日は、そんなことも感じた一日でした。

これからも現地の人と膝を交えること。そして全く違う現地の世界にも(このようなチャリティー)触れ、一方向ではない、いろいろなこの国の側面、世界を知っていきたいと思いました。それがきっと思いこみではない、本当の理解に繋がると思います。
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ある少年の話

2006年10月28日 | ミクロネシアの生活
ある少年の話。

おじいさんにはたくさんのこどもがそして孫・ひ孫がいます。

その中の一人にいつも陽気で明るい12歳の子どもがいます。
大人の話にもすぐに入ってきて、一緒に話したり、合図地を打ったり。

でも前に少し彼のお父さんの話をすると「よくサカオを飲む」と少しさびしそうだったことを覚えています。

そしてこの間から、よくおじいさんの家にとまりに来ています。
前も一緒に泊まって、朝ごはんを食べているとお父さんから電話で「お前が帰ってこないから鳥の餌はどうするんだ」って電話がかかってきて、彼は少し困り顔。

周りの大人(おじいさんや42歳のお孫さん達は)「大丈夫だよ、君がいかなくても鳥なんて大丈夫」って慰めてくれていました。
そんな僕の家は子どもたちにも優しい家族です。

でもいつも彼の少し大人びてまで明るくするときになぜだろう?と少しだけ頭のすみっこに気にかかっていました。

金曜日、コロニアに行くため、タクシーに乗ると、おじいさんからタクシー代をもらって、袋にたくさんのものをつめてその少年も乗り込みました。

そして、何故か彼を励ましたくなって「君はラッキーだよ。だってやさしいおじいさんがいるもんね。おじいさんは君のことが大好きだよ、そして僕も君が大好きなんだ」とタクシーの中で話しました。

彼の山のほうにある家に続く道を通り過ぎるので、「今日はどこにいくの?」と聞くと、彼は「知らない名前を口にしました」僕が「それって誰?」と聞くと「僕のお母さん」と答えました。
道はコロニアに行く少し手前で山道に入り、質素な小さな家に近づくと「ここでとまって」とタクシーの運転手さんに告げると、大きな荷物をいれていたタクシーのトランクから荷物を肩にかけて「またね」ととても明るく子どもらしい笑顔で小屋のほうへ走って行きました。

彼から今までお母さんのことは聞いたことがありませんでした。

彼の住んでいる家と彼のお母さんだという人の家が全く違うところにあることしか僕にはわかりません。

でも彼が大きな荷物を肩にかけて質素な小屋に向かうときに見せた一瞬の笑顔がすべてを物語っていたように思います。

まだ12歳だけど、彼の中で様々な葛藤があったり、自分ではどうしようも出来ないものを背負って生きていたりするんだと思うと、なんだかこみ上げてくるものがありました。

今日は恥ずかしながら、2回もこみ上げてくることがありました。

一度は前のブログで書いたワークショップで仲間が頑張っているとき、
そしてもう一度はいろいろなものを背負って生きている少年を見たとき。

人の悲しみに気づかず、人の悲しみを一緒に感じずに自分は生活してしまっているのだと思います。
悲しいことはなんだかつらいことだったり、沈み込んだりしますが、一人で悲しむより、二人で悲しんだほうがいいこともあるし、人の悲しみに自分が気づかずにいることの怖さを感じます。

もちろん、仲間の成功のように素敵な涙・悲しみに出会えればHAPPYだけど、悲しいことに気づける、悲しみに少しでも近づける自分でいたいと思います。
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うれしいからこみあげてくるもの(ワークショップ成功)

2006年10月28日 | ミクロネシアの生活
金曜日、2ヶ月かかったワークショップの本番。
もともと2ヶ月前に事務所から現地の算数の先生と一緒にジョイントで先生対象のワークショップをしませんか?という声かけから始まったプロジェクト

小学校隊員2名・教育局の配属の高校校隊員1名、僕、事務所のスタッフ、そして現地の算数専門家でスタートしました。

最初は、現地の人と僕たちの考えが違い、現地の専門家のモチベーションがさがってしまったこともありましたが、よくここまで2ヶ月で実現できたなあと思います。

今回は、僕と同じ職場の小学校隊員が授業をするということで、僕が一番手伝いやすい立場だったので、授業や準備のことなど、できるだけ当日教える隊員にだけ負担がいかないように気をつけました。

それは、会議でも、授業を当日にする人は、みんなの考えを発表する人というポジションで、その人の案をたたき台に、みんなで「ああでもない、こうでもない」と話しながらすすめました。
でも始めてするワークショップで、授業をすることになった隊員の精神的な負担は大きかったのではと思います。

僕は専門外なので、事務所への連絡、話し合いをまとめたり、また次回の議題を作ったり、
会計担当したり、POWERPOINT作ったりと裏方に徹して仕事をしました。

いつも僕は自分が前に立って自分が率先することが多いので、今回自分ができないというもどかしさを感じつつも、自分が前に立たなくても一緒にみんなでひとつのものをひとつの目的に向かって作っていく喜びを感じることが出来ました。

当日、どきどきしながら参加者を待ちました。
隣の学校の先生が数人が時間通りに来てくれましたが、やはりポンペイタイムで1時の予定が10分以上OVER。
でもなんと名簿だけ書いて帰った人もいるけど、90名以上の先生がきてくれました。

発表する隊員と僕とでつくったPOWERPOINTで今日の授業の内容を説明し、
そのご7年生の授業を見てもらいました。

もしかしたら、子どもを使っての授業は、このポンペイでは初めての試みかもしれません。
SUBJECTは、分数。

分数の足し算をするときに、分母をそろえないといけないということを、ペットボトルを使って子供たちに理解させます。

ペットボトルの水の入れ方や数え方、それに板書の使い方(黒板の使い方)も事前に話し合い当日に挑みました。

授業を見ながら、自分のことのようにうれしさがこみ上げてきました。
とても不思議な感じでした。
自分自身がしていなくても、自分のことのように思える感覚、喜びってとても貴重だし、これもポンペイだからこそ、味わえることなのかな?と思いました。
(もちろん日本でも感じる必要、また感じることが出来るのでしょうが)

後で小学校隊員の人からお礼のメールをもらいました。
本当に助けって出来てよかったです。

その後、話し合いでは、現地の算数専門家の先生が乗りのりで、隊員の授業について話しをしてくれて、彼が前から話をして板書きとペットボトルに力を入れておいてよかったなあと思いましたし、なにより、やはり当たり前のことですが、現地の人がいてこそのプロジェクトだと改めて思いました。
日本人だけがいくら頑張っていいものを発表してもそれは現地の人には伝わらないのだと。

話し合いでは、いい授業だった、他にはどんなことに使える?など具体的で今後につながる話が出てきました。

夜は大成功?を記念して打ち上げ。
もちろん反省点もあるので、そこは修正しながら、出来るだけ早い段階で現地の先生がワークショップをするまでになってほしいなあという意見でまとまりました。

昨日、やれば何かが残る、やらなければ後悔が残るといいました。

やって本当に良かったし、確かなものが残りました。

僕と仲のいい同期隊員でいつも言い合っている標語。「とりあえずいってみる」「迷ったらいけ」で頑張ります。
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やってみれば、何かが起こる、やらなければ後悔が残る

2006年10月25日 | ミクロネシアの生活
やってみれば、何かが起こる(残る)やらなければ後悔が残る。

急に浮かんだ言葉です。ありきたりの言葉ですが。

この国での生活は、この言葉につきるなあと思います。

折角いろいろなものを犠牲にして、色々な人にお世話になって来れたのだから、
やらなければ、後悔だけが残ると。

そして何でもやってみれば、成功し失敗にかかわらず何か自分の心の中に残ると。

それもやらない方がいいかもしれないと悩んだことをやった方がより何かが残るのだと。

このタイトルとはほど遠い話ですが、今ワークショップに普段の授業、それに学校のスポーツアクティビィティーのコーチをしています。

これがなかなか大変。

子どもを集まるまでに、子どもがエントリーして、その後手紙を作って保護者の承諾を得て、やっと練習が出来る。

このことだけで約1月かかってしまいました。

いつになったら出来るのだろうと焦っていると「明日隣の小学校と練習するから」「そうだメンバー決めないとね」と」急展開。

子どものサインはまだ集まっていないけど、それはどうやらいいらしい。
それなら何で今まで子どもと自由に練習してきたのを辞めさえて練習させてくれなかったの?って思ってしまいます。

隣の学校の隊員は、早くから練習を始めていて、「そんな書類しらない」と。

正直、そんな現地の人にしか分からないシステムを自分でするのはわずらわしかったり、遠回りだけど、そんな苦労をするから、子どもがサインを持ってきてくれたことが嬉しかったり、手紙を手に入れたときに各教室に「今日10時サインの手紙渡すから来てね」と授業中に先生にお願いして全教室を走り回ったりすることが嬉しく感じられるのだろうと。

これからも、できるだけ自分で首をつっこんでいこう。
そして、多くの煩わしさを体験しようと。

そうすると今まで見えてこなかったものが感じられなかったことがみえてくるはずだから。

僕たちは、開発途上国の人に役立つために来ていますが、すこしでも文化週間と違う人と近づくことが第一歩。

そのためには、まずやってみる。それも「サカナカン(よくないこと)」から率先して。もちろん楽しいこともいっぱいするけど。

苦労?したワークショップ開催まで残すところあと1日。

そんな前日に隣の学校に練習に行ってきます。野球の。

だって僕が行かなければ、子ども達が選手に選ばれないかもしれない。
そんな任務を背負っていきます。

スタンスは、子ども第一ですから。
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ワークショップ準備

2006年10月23日 | ミクロネシアの小学校
今日は、朝からコロニアで働きました。

今日は、ポンペイの公立幼稚園・小学校は1学期が終わったので子どもたちは休みです。(4学期制)

コロニアで朝から金曜日に行うワークショップの準備です。

朝はまず、授業案などを印刷したり、分数のときに使うペットボトル(先生が作る用に120本)などを買いに行きました。

そして、会計などの書類を書いて、昼からペットボトルを空にする作業です。

ペットボトルを分数の1に見立てて、水を入れるので、一度中を空にしておく必要があります。
問題は120本のペットボトルの水。
捨てるのはもちろんもったいないので、事務所の大きなミネラルウォーターのボックスに入れましたが、それでも余ってしまい、事務所近くのお店に空の大きなボックスを探して、やっとみつけた法律事務所の空のボックスに水を入れることができました。

あとは荷造り、金曜日の午後に授業のために残ってもらうときに食べるランチを予約してほぼ終了。

2ヶ月前に急に計画が立ち上がったこのワークショップ。
算数の小学校隊員2人と僕と高校の算数教員と普段はばらばらに活動していますが、こうしてポンペイの算数をどうにか向上したい、もっと先生たちに子どもの立場に立って教えてほしいという願いをもって活動しています。

こうして順調に進んでいるのは、なによりも人間関係が円滑だということです。

4人ともとても仲がいいので、仕事を分担するのも話し合いをするのも、意見を出し合いながらもスムーズに進んでいきます。

それは、この国で現地の先生との関係でも言えることだと思います。

人間関係・信頼関係こそが、活動の原動力だということです。

しかし、人間関係を良好に築くのはたやすいものではありません。

互いに文化・習慣・言語が違うもの同士がどう築いていくか?

同じ日本人同士でも難しいことが多々あるのに・・・

でも逆に違うからこそ近づける、築けることもあるように思います。

やはり、相手の気持ちに近づくことだと思います。それも自分の信念や思いをしっかり持ちながら。

単に自分の考えのおしつけでもだめですし、相手に同調するだけでもだめ。
お互い同化する事はないかもしれませんが、違いを認めつつ近づく、近づきたいと思う気持ちが大切だと。

このことを肝に、命じて活動をしていきたいと思います。
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best friend birthday

2006年10月21日 | ミクロネシアの生活
今日は、僕がミクロネシアでbest friendだとおもっている友達の誕生日でした。

前にBest Frinedというタイトルでも紹介しましたが、僕にとってこのミクロネシアで最も大切な友達です。

訓練所の時から一緒の村に住むことがわかっていたので、「一緒に仲良くできたらいいなあ」と思っていましたが、知り合って約7ヶ月、本当に彼と一緒の村で生活できて僕は嬉しいです。(彼の前でそんなことはいいませんが)

実は今日の誕生日に備えて、いろいろと準備をしてきました。

誕生日は、必ずみんなひとりひとりにある、その人がこの世に誕生した何よりも大切な日なので、ぼくにとって大切な友達の誕生日は、ぼくにとっても喜びです。

村にあるビレッジというレストランに家族が勤めているので、お願いしてネーム入りのケーキを作っておいてもらいました。

そして、もうひとりの村の隊員仲間(彼女もぼくにとって彼と同じように最も大切な友達です)とウクレレの練習をしてきました。

なぜなら、実は今回彼のためにこの国に来てオリジナルの曲を作りました。

一緒にずっと過ごしてきて仲間なので、詞はスラスラと流れるように頭に浮かんできました。メロディーも自分ではなかなかのできだと思うので
すが・・・・

形のあるプレゼントは、すぐに消えてしまうけど、歌は心に残ってくれるのではないだろうかと
それに今まで一緒に村で生活してきた気持ちを素直に表現したいなあと思いました。
男同士、そんなこと話では気恥ずかしくていえないですからね。

詞の内容は、彼のポジティブさが前面に出ています。

本当に彼はすがすがしいくらい、ポジティブです。
そんなピュアーな気持ちをいつまでも持ち続けて欲しいです。

彼も「涙が出そう」っていいながら聞いてくれたので、彼の誕生日を祝う気持ちは伝わったかなと思います。

僕にとってこの島での誕生日は特別です。

それは彼に限らず、きっと日本には誰にもたくさんの友達や家族がいて、彼みたいにすがすがしい奴ならきっとたくさんの人が祝ってくれるはずです。

でもここは遠く離れた南の島。
電話での「おめでとう」が精一杯。

だから同じ島に住む僕たちが、代表して?祝いたいなあと思います。

そして何より、同じ島にそして同じ村に住む者同士にしか分からない思いがそこにはあるからです。

村には、コロニアのように何の娯楽もなく、あふれる自然です。
コロニアに行くにもタクシーに乗らないといけないし、それも下手すると2時間待ち。

そして他の人はホームステイからひとり暮らしに変わることができても、村の僕たちは、朝間に合うように職場に行くのもひとり暮らしでは難しいですし、学校は全て村で住んでいる人で構成されているので、村に住んでいるからこそ、その村の学校の先生だという考え方があります。

そんな条件の中だからこそ、村に住む仲間同士にしか分からない思いがあります。

そしてそんな中で生まれたのが、UUCというウクレレサークルです。

人からすれば単なるウクレレを騒がしく弾いている集団なのでしょうが、僕たちの思いは違います。

自然や温かい人に囲まれているけど、日本人が暮らすには娯楽がないのが現状。

そこで、僕たち村の仲間が3人集まって、何か僕らにしかできない楽しいことをしようとウクレレと歌で、島の仲間にことあるごとに曲を発表してきました。

僕たちにとってウクレレは、単なる楽器ではなく、心の支えであり、自分たちから発信できるツールだと思っています。

これだけは、どんなことがあっても自分たちだけで守っていきたいです。
人がなんと言おうと、ポンペイでウクレレと歌で表現するというのは、僕たちが村で生活しながら考えて生み出したものなのだから。

これだけは他の誰にもじゃまされたくないなあとこの間もみんなで話し合っていました。

話が次々それてしまいましたが、今日は彼の誕生日を一緒に祝えて本当に良かったです。

これからも、辛いこともあるだろうけど、一緒に頑張っていきたいなあと思います。

そんな彼との関係が帰国するまで、続いて欲しいなあと思っています。

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僕の一番大切な人の誕生日に日本を思う。

2006年10月19日 | ミクロネシアの生活
今日は、10月19日

僕の一番大切な、一番可愛がっている人の誕生日です。

それは、僕の甥っ子です。
もう13歳になります。

彼がいるから、今の僕があるなあって思います。


家族が大変だったときに生まれて、震災で家が被災したときにも事情があって彼がまだ1歳半くらいの時に復興したばかりの家であずかることになりました。

とても大変なときだったからこそ、これから大きくなる彼が僕たち家族の希望の星でした。
そんな彼も中学生で今は大好きな野球を思い切り楽しんでいます。

ポンペイでは大変なこともありますが、気持ちがとても楽になります。

それは、ポンペイの人柄や土地柄もありますが、日本の家族のことを考えてずにいるからというのが最も大きな事だと思います。

でもそれって単なる逃げではないのかな?とも。
今すぐに差し迫って大きな問題があるわけではないですが、やはり日本にいると家族のことは気になります。

この2年好きなことをさせてもらって、そのお礼は帰国してからになるのかな?

僕たちは海外に来ているけど、最終目的は日本で何が出来るかだと思います。

つまり、この海外での貴重な経験を日本の自分の住む町で、職場でどう生かしていくかだと。

その源は家族です。

人によっては、日本なんて関係ない。今生活している海外が全てだという人もいれば、他にもどんどん海外に行って経験を広げたいという人もいます。


いろいろな考えがあるでしょうが、僕はこの海外での生活をそう捉えています。
僕はだって日本人だから。そして日本の様々な形での後押しがあってこそ、
今の自分がいるのだから。

休職させてもらった幼稚園にも帰ったら今の経験を生かして仕事をしたいですし、
地域でも、ボランティアをしていた施設でも・・・・

はがき一枚さえも書いていない僕ですが、日本の皆さん元気です。

今は来週のポンペイ初の子どもを使っての授業をするワークショップの準備にいそしんでいます。(僕は授業をしませんが)

是非成功させて、ポンペイの算数教育に少しでも役立ちたいです。
僕は、幼稚園教諭隊員ですが、今幼稚園でも算数向上プロジェクトに燃えていますので。(日本では考えられない展開ですが)


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不運が続く家族

2006年10月18日 | ミクロネシアのおじいちゃん
一昨日、食事を取ろうと食堂に行くとお祖父さんが「足が痛いから病院に行ってきたんだ」と話してくれました。

朝豚小屋に行くときに、急にいたくなり、倒れそうになったそうです。

病院で薬をもらい、出来るだけ足を動かして、その後に休むというのを繰り返すのがいいようです。


今まで以上にお祖父さんの手となり足となり頑張らないと。


今家族には不運なことが続いています。

豚の赤ちゃんは10匹生まれたのに、今育っているのは1匹だけ。
こんなことは滅多にないようです。

あと先日はお孫さんのお嫁さんのマルガリさんの足が急に痛んで、僕が持ってきた湿布を貼って「絶対に動かしたら駄目」って話、一日安静にしていると元気になりましたが・・・
(この時は、いつもみんなのために働いてくれているマルガリを気遣い、僕も昼ご飯を作ったり、夕食で出かけた所の食事をテイクアウトして届けたりしました。
あまりにみんながたくさん料理をマルガリーにもってくるので、僕が「マルガリは、ナンマルキ(村の酋長)でたくさんの貢ぎ物があるなあ」って話すと家族に大受けで、そのごなにかあると「今日は君がナンマルキだ」なんてジョークに使ってくれています)

先々週は、洪水で家が床下浸水するし・・・
本当についていません。

昨日お孫さんのコスタンさんとお嫁さんとその親戚で、サカオで話をしていて、「次はhiroの番だな」って言われました。

「えっ」って思いながら、少し嬉しい気持ち。

なぜならの不幸なことの順番ながら、家族の中に僕が入っているのだから。

「2008年の3月に帰るんだね」「絶対泣いちゃうよ」って言ってくれました。

僕もお祖父さんとの暮らしは楽しいし、お祖父さんと2人きりだったらとても寂しい気持ちになっていたけど、コスタンさん家族がいてくれて本当に嬉しいよとはなしました。

なかなか普段は言えないことですが、習慣や言語などが違う私たちが一つ屋根の下で暮らして行くには、こうした言葉での感謝や素直な思いをしっかりと伝えていくことが必要だと思います。

言葉だけに頼るのはよくないですが、逆にいくら思っていても言葉にしないときっちりと相手に伝わらないことがあります。

ここはポンペイ。日本のように「物事を察する」というのは、難しい面があるようにも思います。だからこそ、自分がここにいる喜びをしっかり言葉にそして態度にして伝えなければと思います。
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やることがいっぱいの幸せ

2006年10月17日 | ミクロネシアの生活
ブログがなかなか毎日更新できずにすいません。

僕はブログを書くときに「これってこんな思いに繋がっているなあ」って思って書くことが多いので、なかなかそこまでじっくり考えて書く時間が今はありません。

今はやることが目白押し。

報告書もまだ最後の手直しがおわっていないなど細かいこともありますが、

1、算数向上プログラムといって4人の隊員仲間で協力して現地の先生を対象に実  際の子どもと授業をするワークショップを企画・準備中です。
  会議をしたり、話し合ったことをまとめたりとばたばたしています。

2,来週のチャリティーコンサートがあり、仲間の隊員がピアノで参加するのです  が、他に日本的な出し物がないか?ということで、合気道隊員が出演してはど  うかということになりました。そこで、事務所に問い合わせたり、道具の確認  を依頼したり、練習したりと

3,隊員の誕生日があるので、それも考えないとなあ。

他にもまだちょこちょこしたことがあって、この時間たっぷりのポンペイなのに、もっと時間を欲しいよって思いました。

週末のタイトなスケジュールがたたって、月曜日はかなり体調不良でした。
少し寝ると楽になりましたが。

でもそんな忙しいことも心地良いです。
なぜならそこには必ず仲間がいるから。

忙しいときに力をくれるのは、言葉でもなく励ましでもなく、自分にはかけがえのない大切な存在の人がいるということだと思います。

大切な人と力を合わせる喜び、そして大切な人のためになにかしたいという気持ちは、私には何よりの支えであり、サポーターです。

これってポンペイの密接な人間関係もあるでしょうが、日本でも言えることですよね。

でも自分のことで精一杯になってしまって、「できたらいいのになあ」と忙しさを理由に自分からその忙しさを放棄したり、「この仕事を誰かがやってよ」と自分が役割を持ったり協力する機会を自分から失ったりすることがあるような。

今僕のいるスタンスは、目の前にあることに集中できる環境なので、そんな思いをせずに楽しく色々なことにチャレンジさせてもらっています。

今しかできない、今しか出会えない仲間、今しか感じ会えない思いを大切にしたいです。
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週末のスケジュール

2006年10月15日 | ミクロネシアの生活
金曜日は、今週から始まった午後の体育の授業を担当しました。

今日は6年生でバレーボールをしました。(担任からのリクエストで)

学年によって好きなスポーツが異なるのか?かなり上手でした。

この国では、競争すること、一緒に協力して一つのものを作り上げること、ルールを守ることの大切さを実感することなどを子どもが感じる機会が少なく、体育の授業ではそういうことを子ども達に伝えることが出来ればなあと思っています。
(どこまでぼくがこの体育の授業に関与するかは、まださだかではありませんが)

金曜日はNGOの方の招待を受けていたのですが、結局タクシーが来なくてコロニアに行くことは出来ませんでした。

そして土曜日は午前中、隊員が集まり会議があり、昼からは算数向上プログラムのミーティンングをして、そのご一度村に戻りました。
親戚の結婚式に出るためです。

新郎新婦ではなく、すでに結婚されているのですが、式を挙げられておられなかった方でした。仲間の隊員も結婚式を見てもらい、ついでに僕たちが働く学校も見てもらいました。

その後またまたコロニアに戻って算数の会議を午後8時までして、今度新しく家を引っ越した仲間の家に行かせてもらいました。

凄く便利の良いところで、前よりずっと環境が良くなっていて安心しました。
一人暮らしをすることが難しい(いや無理かな)僕にとってはうらやましい限りですが。

そこにみんなで一泊して、朝からパリキールというコロニアから僕らの村と反対側の町にあるショッピングセンターにいきました。

この国で一番大きいという噂でした。
そこで今度のクリスマスに家族にプレゼントするもの、11月の誕生日のひ孫さんへのプレゼント、来週誕生の仲間へのプレゼントも買いました。

買い物って結局人にあげるものばかりでしたが。

そのご、パリキールという首都機能のある町で、合気道を警察官に教えて仲間の道場に行って、合気道の受け身の練習。

なぜなら、再来週にもしかしたら、日本の文化として紹介するかも知れないので。

そして隊員が住む家に。
これもまた凄くいい家でした。海が見えて、大きな木があって、そこにブランコがぶら下がっていて、思わず乗ってしまいました。

ゆっくり休む間もない、忙しい週末でした。

すいません。単なる活動の羅列で。

仲間とこうして過ごす週末は貴重です。

きっと日本でこれだけ気のあった仲間とずっと一緒に休日を過ごすなんて無理でしょう。そしてショッピングセンターや合気道などきっと日本では感じれないものがとても心地よく感じられます。


活動がもちろんメインですが、こうして出会った素敵な仲間との週末の時間も大切にして、心に残る時間を多く過ごしたいと思います。






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一年で一番大切な日

2006年10月13日 | ミクロネシアの生活
今日は、ホストファミリーの子ども(正確にはお祖父さんのひ孫)のアイセイアの誕生日です。

僕は、アイセイアがこの家族の一員だと分からないときに、学校で野球をしているときに出会って「とても素敵な子どもだな」って思っていたので、ホストファミリーになって本当に嬉しかったです。

僕の家には今僕が事務所からもらったカレンダーが飾ってあって、世界どこでも使えるように、祝日などは自分たちで赤い丸のシールをつけることになっています。

だから今日は、僕の家のカレンダーには赤い丸がついています。

この家に来て、誕生日を大きなBIRTHDAYケーキで、仲の良い友達にも振る舞って祝うことは、ECEなどでもわかっていました。

先日近所の日本人のシスターの家におじゃまして、このウー村の人は、誕生日の日に教会に行って、助祭さんから教会の式が終わった後に個人的に祝福してもらうと言うことを聞きました。

僕の家族だけでなく、遠く離れていてもその日は教会に来るそうです。

この国の素敵なところをまた一つ見つけたように思いました。

誕生日って大好きです。
その子が「僕はみんなから祝福されて生まれたんだ、ぼくって大切にされているんだ、僕は本当に生まれてきて良かったなあ」と実感することが出来るからです。

僕は自分の誕生日以上に仲の良い友達や大好きな人の誕生日が大好きです。
だって、どんな風に祝おうかなって考えるだけでも、わくわくします。
誕生日を祝ってもらって怒る人はいないし、サプライズなら、なおさら喜びが増すはずですよね。

今日は、アイセイアにTシャツと砂糖を買ってきました。
彼は甘いものが大好きだから。
僕のこの家でジョークを言う担当になっているので。

これからもじっくりとこの国を見て、この国の人の素敵な暮らし方をたくさん一緒に感じたいと思います。

僕たちは、技術移転という使命を帯びてきているので、ともすればこの国の問題点ばかりを見つけてそこを改善しようとしますが、それでは結局名にもうまくいかないように思います。

まず、その国の人々の素敵なところをたくさん見つけて、いまあるものをよりよくしていくこと、そして、その人達の良さを感じ、リスペクトして協力し合うことだと思います。

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星空が見える感動、そして見えなくしている街灯

2006年10月12日 | ミクロネシアの生活
今日は、ウー村は本当に星が綺麗でした。

天の川がはっきり見えます。

写真にこれを残すことは、映すことはできません。

これって、自分の心の中にしっかりと刻み込んでおかなければならない大切な思い出のひとつだなって思います。

僕は日本に帰って、お世話になった人や教え子達にこのミクロネシアのことをたくさん伝えたいとたくさんの写真を撮っていますが、写真は結果であって、決して過程や感動をそのまま伝えることは出来ないと。

大切なのは、僕がたくさんの経験の中から心に残る、これから生きていく上で大切にしていける感動をしっかりと心に刻むことだと思います。

なんだか、話が抽象的すぎますが・・・・

最近ブログに書きたいことがいっぱいあるのですが、書ききれないのでなんだか、話が大きくなりすぎているような。

話は星空でした。

今日は仲間の隊員と2人で星を見ました。街灯もない道を歩きながら。

私の家の前には教会があるので街灯があります。すると星は日本とは比べようがないくらい綺麗ですが、街灯のない夜道を歩くときとは全然違います。

つまり、私たちの生活に便利な街灯は、神秘的な自然、心に刻むべき素敵な星空を覆い隠してしまっているのです。

今日そのことに気づいて、実はたくさんの便利な生活の中に、そんなことはたくさんあるのかもしれないなあと思いました。

でも、人間はそして僕も便利な社会からなかなか抜け出すことはできません。

僕が活動しているこの国には、水も(生活水は山水、飲み水は雨水)電気もあります。
そのおかげで暮らせています。

僕の友達の隊員の家は今水が出なくて、僕の家にシャワーを浴びに来ています。

水が何よりも大切なことは、僕は阪神大震災で感じましたが。

うーん話がうまくまとまらないですが、
人間はどこまで便利さを追求し、どこまで自然を大切にし、それを心に刻むことが出来るか、その共存が大切だなと。

そして便利な生活をしながら、ちょっと自然に帰ってみる、便利な生活をすればするほど、見えなくなっているものがあることを少し感じながら生きていければなあと思います。

そして、街灯では見ることが出来ないたくさんの星を見ながら、きっと僕のまだ曇った目にはこのミクロネシアにもっと根付かなければ見ることが出来ない素敵なことがたくさんあるのだと思いました。

街灯という便利さ、つまり便利なものを使うのではなく、自分の目で耳で五感を研ぎ澄まして、このミクロネシアをしっかりと感じ、心に刻みたいと思います。








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サカナカンなことをマウにかえる。

2006年10月12日 | ミクロネシアの生活


サカナカンとは、この国でよくないことという意味で、もしかしたら一番多く使ってしまっている言葉かもしれません。(マウとは良い・goodの意味)

この間、停電になりました。その時仲間とサカナカンなこと(よくないこと・気分がよくないこと・いけないこと)を言い合いました。
そして自分中で今、どんなことがサカナカン(良くない)ことか考えてみました。
もし、こんなサカナカンな事があったら嫌だなと。

それは、自分の仲間が、自分が考えたり想像もしていなかった気持ちになられたり行動をされた時。

そして、その行動や考えが僕から見て、「それって将来はあるの?きっと誰かが傷つくのではないのかな?周りの人はこれからどうしたらいいの?」と思う行動や考えであったらなおさらかもしれません。

きっと大変なことがみんないっぱいあるでしょう。でも素敵な仲間がいれば、助け合ったり励ましあったりしながら、きっと乗り越えていける。

だって見知らぬ国で出会った仲間は、日本ではなかなか簡単に手に入れられないくらい素敵な仲間のはずだから。それほど、自分にはない魅力的な才能や個性をもった仲間がいっぱいいる。
そして、そんな素敵な人が同じ志を持って、みんな同じようにもがき苦しみ?ながら活動しているはずだから。

だから仲間を大切にしたいです。
だからそんなサカナカンなことがないように、みんなで力をあわせていきたいと思います。
きっとみんなで互いを思いやり、気持ちに近づいていければ。

そうして、一生付き合えるくらい、一生忘れられない友になると信じています。

そうなれるために、そんな仲間と素敵な関係が築き続けられるように、自分で常に努力したいと思います。

そして、サカナカンなことがあっても、決して後ろ向きになったり、諦めたりせずに、友と向き合い、語り合うことで、サカナカンなことがいいこと(この国ではマウといいます)マウにかえていけると信じています。
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