南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島のハロウィン その1&2

2007年10月31日 | ミクロネシアの生活
南の島のハロウィン その1

今日の幼稚園は、朝から僕が授業をしていると、カウンターパートがなにやら机でごそごそ作っています。なんだろうと見てみるとなんとハロウィンの飾りを一人ずつに。
そして僕に「マスクみたいなの作れる?」と聞いてきたので、輪ゴムがあるから作れるよと答えて、子どもが給食を食べている間にお面のようなものを作りました。

すると、カウンターパートのハロウィンへの思いは、もっと凄かった。
なんとスーパーでフェイスペインティングを買ってきて、子どもたちの顔一人ひとりに塗り始めました。昨年はなにもしなかったのに、どうしたのって感じです。

みんな顔にペインティング、紙のサングラス(お面)、それにハロウィンの鉢巻?をして大喜び。そして一人ずつ流行の曲に合わせて、ダンスをしてからお母さんからお菓子をもらいました。

恥ずかしがって踊らない子ども、テレながらもお菓子をもらおうとダンスをする子、乗りのりで腰までふって踊る子、僕も当てられて踊りました。

みんなHappy Happyで、ハロウィンの意味を正しくは理解していないだろうけど、楽しんでいました。

幼稚園はやはり楽しくなくっちゃ。もちろん行事で日々の生活が忙しくなるのは良くないけど、子どもが楽しく過ごせるならハロウィン大歓迎です。

南の島のハロウィン その2

今日は南の島の町では、うきうきハロウィンモード。
町に向かうタクシーでも、村から町へお菓子をもらうために繰り出す子どもと一緒でした。

町では子どもたちがいっぱい夜に町を歩いていました。

まあこの南の島では、いつも子どもは多いですが・・・

昨年のウクレレの反省?をうけて、今年は英語の曲のみで、この南の島で流行った曲も取り入れて楽しんでもらえるように。いや受けるように。

仲間の隊員も実に来てくれて、お菓子を求める子どもたちも足を止めて、曲を聴いてくれました。
多いときは50名くらいが集まってくれて、次々人がかわったので、合計かなりの人数が聞いてくれました。演奏の質は別にして。

こんなこと、日本じゃとてもできない。そんな上手なわけではないし、でも南の島の人は喜んでくれるし、僕たちも仲間と集える。

音楽は国境を越えるなんていえるレベルではありませんが、やはり楽しい。

それは、たくさんの人が聞いてくれるから、たくさんの人が集まってくれるから、
なにより仲間と音楽を通して集えるから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の電話事情

2007年10月30日 | ミクロネシアの生活
南の島では、Telephoneのことは「Denwa」と言います。
日本の統治時代の名残で残っている言葉の一つ。

昨日から僕の家の電話は Not Working です。
なので、家からブログを更新することもできずじまい。

今日は南の島のでんわについて。

この島は、電話網が発達していて、固定電話が本島ならどこでも引けるはずです。
僕の家族も固定電話をもっていますし、僕も村に2年間住むために自分の部屋に電話を引きました。
だからこの島の電話帳には僕の名前がちゃんと記載されています。
(電話会社からこの国の電話帳が毎年更新されます。ちゃんとした電話帳で毎年配られるので、日本よりサービスがいいかも。もちろん家に配達してくれるわけではなくて、自分で取りにいくのですが)

料金は設置するのに24ドル、毎月の使用量は8ドル。
固定電話から固定電話に電話する通話料はなんと無料です。
だからこの南の島の人は電話が大好きだし、非常に手軽に電話をかけます。

そして日本の「もしもし」アメリカの「ハローハロー」に対して、電話をかけるとこの島ではまず「イスメ?」(お前は誰だ?)って、電話をしたほうの人が言います。
なれない僕らからすれば、電話をしてきておいて「お前は誰だ?」って、それなら「お前こそ誰だ?名を名乗れ」って感じですが。

電話の通話料が無料なので、誰の家に行っても、簡単に電話を貸してくれます。
お店で買い物などをして、タクシーなどを呼ぶときも(こちらのタクシーは無線か路上で拾うかのどちらか)お店の人に「電話を貸してください」っていうと、「ご自由に」って感じです。

また携帯電話も非常に流行っています。
この島で人口3万数千人ですが、1万台を突破しています。

だから、携帯電話が回線より多く普及していて、つながらないことが日常茶飯事。
お金もテレカードというプリペイド式なので、お金がうまく入らないと電話もできません。

だから、常に携帯にある程度のお金が入っておくようにしておかないと、イザというときに電話にお金をいれようとしても入らないので、電話ができないことに。

僕のホームステイの家や職場では、固定電話から携帯電話に電話ができないようになっています。なぜなら、固定電話から携帯電話へ電話するのには通話料が発生するから。
いつも無料になれている島の人たちは、長い時間携帯に電話するので、僕の家でも職場でも電話ができないようにしています。

パソコンも電話回線なので、このブログの画像を送るのに時間もお金もかかります。
なので最近は節約モードのブログですいません。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島で食べる冷奴

2007年10月29日 | ミクロネシアの生活
今日は昼におじいさんも外出しているし、お母さんはハワイだし、ご飯はないし。

ご飯にふりかけをかけて食べていると、そうだこんなときがチャンスと家で僕の大好きな冷奴を食べてみることに。

この間、ゲットしたねぎをきざんで、豆腐をだして(こちらの豆腐は1年くらい腐らないし、牛乳パックのような容器に入っているので、人目では日本人が豆腐だと思うようなのではありません)、甘いしょうゆをかけて、鰹節までかけてしまった。

隊員から前に冷奴を食べて喜んでいると「安上がりですね」って言われてしまった。

安上がりだけど、この安上がりな喜びがホームステイではなかなかできないので。

本当に美味しい。僕は日本なら毎日冷奴でもいいって言うほど好きなので、至福の一時でした。

熱い日ざしに冷たい冷奴。
それがこの南の島で食べられるなんて最高だ。

日本では、当たり前と思えることがここでは幸せ。

その幸せを大切にしたいです。これからも。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島のウクレレ練習

2007年10月28日 | ミクロネシアの生活
今日は久しぶりに、ウクレレ仲間が集まって練習。

いつも定期的に集まらない僕たちが練習するといえば、何か企画があるから。

10月31日はハロウィン。

昨年もその日に町で路上ライブをして結構人が集まって聞いてくれたので、調子に乗って今年もやろうかな?と。

今年は全曲英語で挑みます。

この島で流行っている英語の曲を仲間がCDから歌詞を興してくれたりといろいろな苦労?をしながら。

なんとかは1日にしてならずといいますが、ウクレレも1日ではやはり限界が。

この島の数少ない?イベントに参加して盛り上げたいと思います。

また当日の模様は、31日のブログにて。

朝は村の教会に行きましたが、雨だったのでいつもの3分の1くらいの人だけしか来ませんでした。
朝からの雨は、いくら雨が多いこの南の島の人のテンションを下げてしまうみたいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の子どもも遊びの天才

2007年10月27日 | ミクロネシアの生活
南の島の子どもたちが今はまっている遊びはゴムとび。
学校の休み時間はもちろんのこと、家でも練習しています。
日本では女の子が多いですが、こちらでは男の子もしています。

南の島の子ども達の遊びは、男女入り混じって楽しむのが基本。
小学8年生(日本の中学2年生)でも、男女抱きついても平気、じゃれあっています。

今、家に大きなハンモックがあるのですが、それを使って小学1-2年生がかなり過激な遊びをしています。

ハンモックが大きいので、一人の子どもがハンモックに乗って、自分自身がハンモックに包まり、出られないようにします。それを確認してから他の友達が、思い切りハンモックを揺らすというもの。
ハンモックは、川べりにあるので、間違って川に落ちそうな気もしますが・・・

子どもの一人に昨年幼稚園に居た子どもに「ハンモックは絶対閉めたままにして、人が出ないようにしないといけないよ」と伝えるとその子は他の子どもに「hiroがハンモックは絶対あけたらだめって言ってるからだめだよ」って伝えて、遊びは再開。

日本でも南の島でも子どもは遊びを見つける天才。
そしてどこの子どももちょっと危険な香りがする遊びが大好き。

肌の色、話す言語は違っても、子どもは同じだなって改めて思う一コマでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の算数ワークショップ

2007年10月26日 | ミクロネシアの小学校
今日はサイドワーク?の算数ワークショップ。
小学校の先生を対象に分かりやすい授業を目指して、ローカルの先生がオープンクラスを行い、僕を含む3人の隊員がサポートしています。

今日は、開始時間の1時になっても全く人が集まらず、いくら今年は参加者をこちらから指定して人を絞ったからといって、全然来ていないって心配になりました。

今回は準備期間として3回も授業を見て、それに対してコメントをして、レッスンプランにつなげていく形をとったので、非常にスムーズに開催までこぎつけることができました。

自分がする以上にローカル教員がするのを支えるのは、労力がいるかもしれませんが、
こうしてローカル教員がいい授業をすることが大きな刺激になっていくと思います。

1時間の授業の使い方など、課題はありますが、それを今後のワークショップにどうつなげていくことができるかだと思います。

家に帰って、お母さんのいない家族にキャベツとウィンナーの炒め物を作って、同じ村に住む隊員からサカオの招待をうけて、さきほどまで飲んでいました。

忙しいですが、ゆったりと時間は過ぎていきます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の陸上競技予選

2007年10月25日 | ミクロネシアの幼稚園
今日から2学期のスタート。

朝礼が終わるとすぐに授業を開始して、歌など張り切って教えていて、カウンターパート(現地の先生)に「今日から2学期だからなにか子どもに言ってよ」と言うと「今日は授業しないよ、だってサラダック(となりの幼稚園)に出かけるから」との答え。
いつもこちらから聞くと初めてインフォメーションを流してくれる。もう少し早く言ってくれると非常に助かりますが・・・

11月になるとこの島全土から集まって、幼稚園から小学校までの陸上競技大会が開かれます。その村代表を決めるためです。

朝ごはん(南の島の幼稚園では朝と昼2回給食があります)を食べて、サラダックへGO

前回に経験しているので、ゴールに筆記用具を用意してすぐに始められるようにそして間違いのないチェックができるようにして望みました。

サラダックについて、距離は何メートルって聞くと、50メートルって言うので、歩きながら計ってここが50メートルだよって言うと「遠すぎる」って答え。
君が50メートルって言ったからだよっていうと、しばらくして納得。

子どもは、初めての場所で50メートル走るので、ゴールで必死になって手を振って「こっちだよって叫んでました」

南の島の幼稚園では自由な休憩以外外に出ないので、こうして暑い時間に外に出ると「やはり南の島は暑いなあ」って実感。

まあ赤道直下ですから当然ですが。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島のGo Local

2007年10月24日 | ミクロネシアの生活
今日は南の島はUN DAYでお休みです。

家族で男の子は、家の周辺の草刈を頑張ってしていました。

私のホストファミリーは85歳のおじいさんなので、いろいろなことについて話をします。
今日は、ローカルフードについて話しました。

この南の島の人はお米を食べるのが大好き。少しのおかずでもご飯さえあれば平気。
でもこの島ではお米は生産されておらず、もっぱら輸入に頼っています。

この南の島は、雨がたくさん降り、照りつける太陽があるので、食物がどんどん育ちます。
ブレッドフルーツ(パンの実)、バナナ、ココナッツ、タピオカ、ヤムイモ、タロイモなどなど、食べるものには困りません。本来は。

でも今若い人や子どもたちは、ローカルフードが食卓にあってもご飯がないと「僕たちの食べるものがない」ということがあるそうです。実際僕たちの家の子どももローカルフードよりご飯やラーメンを好みます。

おじいさんは、それをみて、もしお金がなくなってしまったらどうするんだ、山のもの(ローカル)を食べなかったら南の島の人は生きていけないと。

そして、今の人たちがお金になる仕事を求めて、町で働き、自分たちの山の手入れをせずに、食べ物が育たなくなってきていることにも心配しています。

僕の家では脈々とローカル生活が受け継がれていますが、そうでない家庭がこの南の島には、いっぱい存在します。

この南の島は、コンパクトというアメリカの援助計画によって国が運営されています。
この島の予算の70%はアメリカからの援助であり、もしそれがなにがしかの形で打ち切られると、破綻してしまうかもしれません。
もしそんな時が来て、そのとき人々がローカルの暮らしを知らなかったり、戻れなかったりすると大変です。

だから消費社会に浸ることを誰も止めることはできませんが、ローカルの暮らしのよさをしっかりと伝えていくことが必要です。

それはこの南の島ならず、日本も同じではないかと思います。
古きよき、伝統文化をしっかりと継承していく、それは時には合理的ではなかったり、日々の生活が大変ではありますが、その地に生を受けた人間として、それを受け継いでいくことが大切だとつくづく思います。

食物に限らず、その土地で長く育ってきた、受け継がれてきたことにはちゃんと現代の効率だけをもとめては計れない大きな意味がそこにあるはずだから。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の学期末

2007年10月23日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、仕事はあるけれど、子どもは来ません。

南の島の学校は4学期制。
1StQUARTERが終了したので、1日子どもたちは学校をお休み。
先生たちは、2ndQUARTERに備えて、準備をします。

僕らの学校の先生たちは、草刈が大好き。
この南の島は、照りつける太陽、毎日のように降る雨のおかげで芝生はすぐに伸び放題なので、欠かせない作業です。

今日は仕事が終わった人は、何をしても構わないので、普段できないことしようと仲間を誘って昼に町に行きました。

なぜなら最近町にある大学の観光科が学生の研修のためにレストランをリニューアルオープンしたらしいから。
この島には、アメリカ人や日本人が喜んで入るレストランは数えるほどしかないので、なんと大学のレストランは予約でいっぱいでした。

本当は予約いっぱいで入れなかったのに、予約は12時30分だからそれまでに出るという条件で食べさせてもらいました。

ランチが5ドルまで、デザートが2ドルまでトータル6-7ドルと、綺麗で美味しい料理の割にはかなりリーズナブル。

最近、すき焼きしたり、フランスの軍艦乗ったりとかなり今までの食生活と異なり、量より質で勝負しています。

今週は今年度初めての算数ワークショップもあるし、日本とのインターネットライブについて準備もしないといけないし、ECEでの仕事も増えてきたので、まあ体力をつけるということで、自分を甘やかしましょう。

夕方は家に帰って、茄子とミンチを買って帰りました。お味噌をいれて味噌ナスをしようと。

今、ホストファミリーは、お母さんは娘さんの出産でハワイに、お父さんは船乗りなので留守で、子どもたちが頑張って料理作っているので、できるだけ手伝おうと。

でも、今日は食材がいっぱいあるみたいで、別の日に振り替えて作ることになりました。

お母さんが帰ってくるまでは、あまり凝った料理をすることより、とりあえず食べられる料理作りに変更して頑張ります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島でフランスモード

2007年10月22日 | ミクロネシアの生活
今日、昼はローカル、夜はフランスモードでした。

ポンペイの幼稚園は4学期制。
今日は1学期の学習の成果をみせる保護者への発表会。

算数のアクティビティーをふんだんに用意していたけど、カウンタパートがどんどん進めてしまい、ずっとそばでみているだけ。

それなら普段も自分でちゃんと授業してくれって感じでしたが・・・

でも保護者に日々の教育活動を発表する良い機会だし、それで教師のモチベーションがあがるのなら、大歓迎です。

その後は保護者が作ってきてくれたローカルフードのPARTY。
ちゃんと保護者が「hiroの分だよ」ってココナッツの飲み物まで持ってきてくれました。

午後からは、今トライしている幼稚園のワークショップ開催のため事務所周り。

夜は、なんといまこの南の島にフランスの軍艦がきていて、その招待をうけて乗り込みました。
正装して(とってもジーンズ以外のパンツにアロハですが)

まさにフランス。いろいろな国旗が船上に飾られ、お洒落な船員がいっぱい。
さすがフランス。

カクテルPARTYなのでご飯は出ませんが、美味しいワイン、チーズ、フランスパンを食しました。

これ誰が作ったの?ってきくと、流石フランス。ちゃんと船にパン職人がいるようです。

職にこだわりをもつフランス。

昼間は味より量?で勝負の食生活のこの南の島。

夜は量より質?勝負の食生活のフランス。

ある意味究極、ある意味大同小異(食へのこだわり)、の異文化をこれまた異なる文化の日本人の目で診させてもらいました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島のBirthday

2007年10月21日 | ミクロネシアの生活
今日は同じ村に住む隊員のこの島で2回目の誕生日。

前の誕生日はサプライズレストラン招待でしたが、今回は他の隊員がケーキを作ってくれたので、ドミでお祝い。

訓練所時代からずっと一緒に過ごしてきたから、間違いなく隊員の中で一番一緒にいる。

若いのに凄い頑張り屋です。そんな彼への誕生日は

ハワイで買ってきたTシャツ&やはりオリジナル曲。

感動してくれていたように思えたけどなあ・・・
どうでしたか?

彼が残してきた?彼にとって大切な家族や仲間の分まで祝うというテーマで作ってみました。

曲は「南の島で祝う Birthday」

今日は君がこの世に 生命(いのち)を授かった日

君にとっても僕らにとっても 大切な1日

幼い頃からずっと   みんなが君を祝ってくれた

今年は僕らが南の島で  君を祝う誕生日

Happy Birthday 南の島の仲間から

Happy Birthday 

遠く離れた日本にいる 君を愛する家族や仲間の分まで祝うよ

Happy Birthday

今日は君がこの世に 生命(いのち)を授かった日

君にとってもみんなにとっても 大切な1日

Happy Birthday 南の島の仲間から

Happy Birthday 

遠く離れた日本にいる 君の愛する家族や仲間の分まで祝うよ
Happy Birthday

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の週末残業

2007年10月20日 | ミクロネシアの小学校
南の島の週末。日本の皆さんは、きっとのんびりした週末を想像されるでしょうが、今日は早起きして朝5時から仲間の隊員とワークショップの準備に取り掛かりました。

今回のテーマは分数。

この島の子どもたちの課題は算数において、数的感覚・イメージをつかむことができない。

たとえば、2分の1と3分の1を比べたら、ある子どもは、3分の1の方が大きいって言います。なぜなら3の方が数字が大きいから。

それらを克服していくには具体物を使って算数を教えること。
その大切さを伝えるため今回の授業ではフラクションバーを使います。

でもそんな便利がものがこの島に子どもが使える分あるはずがなく、紙を調達して手作りで作っています。
分数の大きさに比例して2分の1、3分の1と作るので正確さが要求されるので、12分の1とかになるとかなり難しい。

でも夕方までには終了。

これで月曜日今度ワークショップを行う学校に前に渡した分に追加して持っていけます。

そして夕方からテニスに行って一汗かいて終了。

南も島でも週末残業?あります。

日本人ですから。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島のすき焼き委員会

2007年10月19日 | 青年海外協力隊
今日は、隊員に声をかけてドミトリーですき焼きをしようと声をかけました。

牛肉の薄切りがスーパーにあると買いためて、南の島で貴重な野菜(白菜)が入れば会に走り、こまめにスーパーをチェックして、生卵を買ってすき焼きが食べられるように願っているとネギまで手に入れることができました。

すき焼き委員会と名づけて、メールを送って隊員に集まってもらいました。

集まってくれた隊員は、みんな美味しいねといって食べてくれました。
全国各地から集まっている隊員ですが、なぜか今日は西日本出身者ばかりで、関西風すき焼きが一番だよねって語り合いました。

日本ではいつでも食べようと思えば食べられる食材がある。
味はきっと日本で食べたほうが美味しいけど、なかなか食べられないものが食べられる喜びが美味しく感じられるのだと思います。

空腹が何よりのご馳走。
食材が手に入らないことがなによりのご馳走って感じです。

そんな環境だからこそ感じられる喜びを感じたいですし、これからも大切にしたいと思います。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島で慣れることと感動することについて考えてみる。

2007年10月18日 | ミクロネシアで思うこと
南の島で生活を始めて、はやくも1年と3ヶ月が過ぎました。
この島に来て当初見るものが新鮮でした。
私の幼稚園は海に面していて、目の前は海が広がり、海にはマントゥ島が浮かびます。
家から幼稚園まで3分の道のりですが、歩いて海が見渡せます。
昔から南の島で生活したかった僕にとっては願ってもない環境。

家からは教会が見え、朝は教会の鐘の音で目を覚まします。

家族が作ってくれるローカル料理の数々。
夜には天気が良ければ、まるで宝石が散りばめているように見える星空。
そして、月の光にやしの木の影が浮かび、川のせせらぎの中で歯磨きをします。

南の島の可愛らしい子どもたち。やさしい家族、楽しい隊員仲間。

日本から来たときはその一つ一つに感動していたけど、今はどうだろう?

感動していたことが当たり前、つまり日常へとなっている。
それって悲しいことでもあるけど、この島の生活に順応して、自分がこの村の人間になってきていることでもある。

慣れること・順応することは成長であると同時に、感動という研ぎ澄まされた感覚が鈍っていくことでもある。

慣れなきゃ活動なんて進まない、でもいつまでも新鮮な気持ちでいることも大切。

後残り少ない生活もこの島でしっかりと根を下ろし、ローカルに根ざしながら、ローカルの視点でみることを大切にしたい。それはここに長く住まなければ、できないことだから。

もちろん1年や2年で分かりきるものでは、ないけれど。

そうしていきながら、いつまでも新鮮な研ぎ澄まされた感覚で感動していきたい。

最後まで感動し続けられる生活を続けていきたい。この島に慣れ親しみながら。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島の停電から考える

2007年10月17日 | ミクロネシアで思うこと
昨日は夜に停電になり、家族みんなが大慌てで懐中電灯を探し、ランプに火を灯しました。

そしてみんなランプに集まって、話をし始めました。

夜は暗いと少し怖くて寂しい、でも明かりがあることでほっとすることができる。

電気がある生活って本当に便利だし、電気とは経済発展の象徴のように思える。

でも電気があればあるほど、物があふれ豊かになればなるほど、経済が発展すればするほど、人は人とのかかわりをわずらわしく思ってしまうのではないか?と。

つまり電気がたくさんある生活を続ければ続けるほど、人は集い語り合う機会が減り、どんどん一人ひとり気ままな?生活に走ってしまうような。

停電して電気がないと南の島の人が大好きなカツドウ(映画のことを昔の活動写真の言葉生きていてKATUDOUとこの島では言います)も見ることができないし、それぞれが好きな場所で電気をつけて暮らすこともできない。そして暗くて怖いという不安から逃れるために、明かりのある場所に集まろうとする。

電気って人が快適に生活するために作られ人が闇夜の不安から逃れられるものなのに、逆に電気があればあるほど、人の心にとっては、寂しい夜になってしまうような。

南の島より発展した日本では24時間電気が煌々とつき、人々がそれぞれ違った暮らしや価値観で暮らすことが当たり前になっている。

もちろん、それが経済発展の象徴であるのだけど。

快適な生活を人間は求める、その代わりに人は大事な人と人が集い語り合うという行為を置き去りにしてしまっているような気がします。

どこで妥協点を見出すことができるのか?妥協点を見出せずにどんどん便利な生活に走るのか?

この島の停電を通して考えました。答えは見つからないかもしれないけど。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする