にっきちょうぺーじ

日々に起きた出来事や趣味のことについてです。

夢の中の夢

2020年12月28日 18時44分56秒 | うつ病治療
今回はかなり久しぶりに見た「夢の中の夢」について書きます。

時は11/26の前後

■ 夢の中の夢 ■
見慣れないバスに乗っており、目の前で事故に巻き込まれた(衝突事故)。

気がつくと中学校の修学旅行?へ行っていることがわかる。
すると「あなたは参加出来ません」と告げられる。

不思議に思った自分は近くにいた中学生たちに以下の質問をしました。
→ここは中学校? →はい
→今は西暦2020年? →はい
→自分はどこから入ってきた? →二つある入り口のうち正面から
→何か変わったことあった? →特にない

ほっぺたをおもいっきりつねったが後から少しだけ?痛みを感じたので現実かな?と理解。

その後、本来行くべきだったところへ行こうとします(多分、会社)。
→旅館?の下駄箱を探すが知っている革靴がない
→なので、はいていたスリッパ?をその場に脱ぎ、靴下のまま移動を開始します

そのまま、革靴を探すため何とか中学校の下駄場へ
→一番右上に見慣れた革靴を発見し無事に履きました


■ 夢の中 ■
目が覚めると見慣れた寝室にいました(今の寝室ではないかも)。
→ほっぺたをつねってみる、あのときと同じ反応、現実だと理解
すぐに寝る


■ 現実 ■
朝07時頃、目が覚める
→ほっぺたをつねるとすぐに痛くなった
→今までのものが夢だと理解


ほっぺたをつねることで、逆に夢の中にいることに気がつかないという経験でした。
他にも手はあるみたいですがなかなか。
逆に脳が疲れてしまうので、やめた方がいいともどこかで聞きました。
→詳細は「明晰夢」を参照してください
→過去一回だけあったので思い出したら書きます


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

うつ病とコロナ その3

2020年12月28日 18時28分42秒 | うつ病治療
■ はじめに ■
・個人の見解ですので参考程度にしてください。
・自身にあった正しい情報は自分で手に入れてくださいね。
・冷静になることが一番です。


■ 本題 ■
検査結果が陰性でしたので、本日は体調に気を付けながら病院へ行ってきました。
曇りだったので思った通り、外はあまり寒くなかったです(理由は放射冷却でメカニズムは割愛します)
病院内は寒いだろうと予想しました。
→当時の気温は8度程度、かつ換気で風速1mだとすると体感温度は7度と予想。
→手袋の中にホッカイロを入れて、いざカウンセラーへ
→因みに服装は病院内で重装備w

・・・結果はまた寒い!!!
手足がかなり冷たい状態でした。
こりゃ風邪引きますね。

同日に、血液検査もする予定でしたが、
おそらく自分の体調とコロナ関連で中止になったと思われます。

来年、ハローワークへ提出する意見書も頂きました。
→体調を崩しやすく、気持ちの整理がついていない、不安に襲われるという結果
→自分も納得して書いて貰ったので良かった

かなり力尽きたので夢の中にいる感じで無事に帰宅。
帰宅後はいつも通り消毒して、着替えて、昼御飯を食べて、抗不安薬を服用して
手袋を消毒し、ばたんきゅー。

不安で寝れないかもしれないと思っていたのですが、なんと寝れました!
熱も無し!


■ 学んだこと ■
改めてコロナに対して意識が変わった気がします。
大袈裟かもしれませんが、大災害に遭い家族と離ればなれの状態で避難生活した感じでした。
→家族の安否がわからない状態(検査結果が出るまでの間)
→自由なことが出来ない

抗不安薬を飲んでいるのにも関わらず、上記の状態を感じました。
かなりメンタルやられます・・・。


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

うつ病と葛藤

2020年12月27日 12時15分36秒 | うつ病治療
かなりネガティブです。
閲覧には気をつけて下さい。























不安が物凄いです。
何かしていないと不安になってしまうぐらいです。
うつ病の方には「頑張らないで」というようによく聞きましたが、
自分の場合は逆でしたね。

「頑張らないで」と言われると逆に不安になってしまうのです。
多分、「頑張らないで」=「何もしないで」と思っていたのでしょう。

何かしていないと不安になってしまうので、また不安に。
悪循環ですね。

またあとは自分の場合は、言葉にして相手に対して上手く伝えられません。
会話をしていて、相手が怒り始めると頭の中がパニックになるからです。

精神科の先生にも、何か書いて沢山持っていくことを止められました。
今は一回の診察につき一個だけと言うことでと約束しました。
→理由は読むことが出来ないとのこと、仰る通りですみません、そしてありがとうございます。

正直、どうすればいいか分かりません。
物凄い勢いで溢れ出てくる思いを何とかして形にしようと試行錯誤しております。
多分、無理矢理とめてしまうとやばそうですからね。

ですので、今は文章を書くことで精神安定をはかっているのではと考えております。
頭と目が凄く痛くなるんですけれどねー。

あとは学生?の頃に経験した「マイコプラズマ肺炎」。
内科の先生からは「どうしてここまでなるまで放っていたのか!」と怒られる程。
肺に影がありましたね、自分でもびっくり。
当時は身体を動かせば治る?ということを良く言われていたと思います。
実際に身体を動かして治した人も間近にいましたからね。
それもあり頑張りすぎたのでしょう。

以上も考慮するとますますよく分からなくなりましたが、
取り敢えず、心と身体が落ち着くまで適当?に過ごします。


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

今後の運気

2020年12月27日 11時28分58秒 | うつ病治療
体調は大分良くなりました。
逆に寝すぎて身体中が痛いです。

うつ病になってからは、うまく体温調節ができなくなりましたね。
今は室温20度なんですが、半袖と長ズボンでおり、毛布を被っております。
ちょっとでも動くと汗をかいてしまい、すぐに寒くなりますので少し気をつけているところです。

さて体調を崩す前に、神社へ母と一緒にお参りに行って来ました。
今日はその時にあったことを書こうと思います。

幸い、神社内には自分達以外にお一人だけしかいませんでした。
久しぶりの自然の中にいる感じでした。

お参りをすますと数年ぶりにおみくじを買ってみました。
内容は末吉で今考えていたことと一致していたので、結んできました。
母は「大吉じゃなくて良かったね!」とのこと。
確かにそうでしたね、今時点で大吉だったらどうなっていたことやら。
あとは令和3年は八方塞がりのようで。
→歳がばれそうw
八方塞がりはもうお先に頂いておりますって感じでした。
頂くのがちょっと早かったようで、我慢できずつまみ食いしたみたいですね。

あとはおみくじの結果は画像にもあるとおり、
左手を挙げており、「開運招福・吉兆来福」でした。

漢字苦手なので読めん!
何とか調べたらとても縁起が良いそうで。
さらに左利きなので左手を挙げているのも何か意味があるのでしょう。

手が冷たくなってきたので今日はこの辺で。
集中したり緊張すると昔から手が物凄く冷たくなります。
→夏でもなるので「冷えピタ」のかわりになります。


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

うつ病と退職後にやること

2020年12月26日 13時38分32秒 | うつ病治療
退職した直前の出来事を思い出したので記載しておきます。

◼️ 健康保険の切り替え ◼️
退職日から14日以内に国民健康保険へ切り替え
もしくは
退職日から20日以内に任意継続被保険者制度への申し込み

とあります。
当時は絶賛、現実逃避中とパニック状態に陥っていたので、
何も見たくない、何も考えたくない、郵便物も見たくないと思っていました。

ですので、全く外から情報を受け付けられない状態ですし、
自分が置かれている状況も理解しようと思うことさえも出来ませんでした。
ドアのチャイムとノック、スマホの着信とバイブやお知らせ音、その他もろもろの音に物凄い恐怖を感じていました。

当時は一人暮らしだったので側に頼れる人はいません。
退職する直前まで心の支えになってくれた人もいましたが、自分が悪いことをして退職したと思っていたので、その人へは気軽には相談できません。
母も大忙しだったので気軽には相談できません。

きっかけは全く覚えていませんが、
たしか退職日から21日目か22日目だったと思います。

その場へ放ってあった健康保険に関しての資料を読みました。
両方とも期限が過ぎていることに気付き、大パニックに。
ひとまず落ち着いて、すぐに任意継続制度への申し込みをすることにしました。

担当者してくださった方はとても優しく、
期限が過ぎていましたが、症状と退職した理由を告げると特例で制度への申し込みが出来ました。
名前は覚えていませんが、あの時は「本当にありがとうございました」。

これで何とか健康保険については完了しました。


◼️ 失業保険 ◼️
ハローワークのことですね。
失業保険の受給期間は原則として退職日の翌日から1年間なので速やかに申請が必要です。
→簡単に例える?なら、本来貰える1mのチョコレートを予め決まった幅の容器に入った分しか貰えないということです(入れる容器は時間とともに短くなっていきます)
→例えば、1mのチョコレートくださいとお願いした際、容器の長さが30cmだとすると本来貰えたはずの70cm分は貰えなくなります。
→甘党にとっては死活問題ですよ。
ただし特例があり状況によっては、この容器の長さを伸ばすことも出来るので、まずは行ってみるのも良いでしょう

実家へ戻るまでは一切手を触れませんでした。
ハローワークの資料自体見たくないものでしたから。
理由は罪悪感から「自分には受け取る資格が無い」と思う程です。
(今考えるとおかしな話ですね)

実家に戻り自分の居場所が無い中、薬の副作用や多くの不安に苦しみながらも、
精神科の先生の力をかりつつ、今月の7日に何とかハローワークへ行くことが出来ました。

貰うには就労能力があることが大前提でした。
今はまだ気持ちが整理しきれていないので貰える可能性は低いです。
コロナと自分の体調も気になりますしね。


◼️ 確定申告 ◼️
まだ詳しく調べることは出来ていないですが、出す必要がありそうですね。


◼️ 参考 ◼️
https://fp-moneydoctor.com/news/knowledge/after_retirement/


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

うつ病とコロナ その2

2020年12月26日 10時30分56秒 | うつ病治療
■ はじめに ■
・個人の見解ですので参考程度にしてください。
・自身にあった正しい情報は自分で手に入れてくださいね。
・冷静になることが一番です。


■ 本題 ■
コロナ検査結果は結局来ないで、土日を迎えました。
金曜日中に精神科の先生へ相談できて良かった。

と思った矢先、突然の電話が(土曜日の朝9過ぎ)。

結果は「陰性」だったとのこと。
とりあえず一安心。

ただ喉の痛みと胸の痛みは残っているので、
どのような症状になったら連絡したらいいのか聞きました。
どうやらお相手は事務の方だったらしく、詳しくは先生へ繋いでみることに。

お忙しいようで繋がりませんでした。

実家へ戻って来てから様々なことがありました。
自分も感じていましたが「休むこと」を神様が伝えてくれたのでしょう。
母も同じことを言っていました。

と言うわけで今日もおとなしく?起きております。
横になると咳が出やすいですからね。

その後、事務の方経由で症状を伝えることに。
結果として病院からはまずは車で来るようにと、
入口で以下を伝えて診療を受けてくださいとのこと。
・12/24の検査で陰性だったこと
・診察を受けたいと伝える
・保険証も忘れずに


■ 学んだこと ■
・休養準備の大切さ
陽性だった場合、自宅休養するのか、宿泊休養するのかと記載されたパンフレットを貰いましたが、準備として色々かかれていました。

今現在は家族内で感染が広がっています。
もちろん家族ですので、濃厚接触者となるわけですから、
検査結果待ち中に他の家族の方が買い出しへ行くことが出来ません。

予めどうするかを家族と話しておき、決めて準備した方がいいですね。
例:
消毒やマスク系は勿論
自宅休養するなら隔離できるかどうか
トイレや共同で使うものの見直し
歯ブラシ

足吹きタオル
洗顔
密封出来る袋
隔離中に面倒をみれる方は誰か
→大抵は区役所のガイドラインに載っていると思います

宿泊休養するなら
着替え
旅行セット等(ちなみに飲食物の持ち込み及び差し入れは不可でした)


・家族内での感染を防止
とにかく症状が出ないですから、感染を防ぐことが今まで人類が経験してきた中でのウイルスの中でも非常に困難という記事を発見しました(後述)。

以下、自分の中で考えたルールです。
マスクなしでの会話(15分以上)は避ける
お鍋等の家族皆で楽しむ料理をどうしてもしたい場合は、取り箸等を必ず用意して、自分専用の取り皿に入れる
食器等は一緒に洗っても良いとのこと
→多くの水で洗い流されるので問題ないそうです
自分が食べている食べ物を家族にはあげない(味見する?と聞く等)
飛沫以外にも触ったところにウイルスが残っているとのことなので、むやみに目をこすらない


・コロナ休養後に差別を受けないためにも
コロナ休養証明書と言うものがありましたので、もし陽性になった場合は取ろうと思います


■ 参考 ■
・頂いたコロナ対応のパンフレット
・https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji11/
→医療側のコロナ対応の現状
・https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=16220
→アビガン薬の普及への苦悩
・https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/testimony/detail/detail_10.html
→コロナに対する差別


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

うつ病とコロナ

2020年12月24日 19時20分35秒 | うつ病治療
■ はじめに ■
・個人の見解ですので参考程度にしてください。
・自身にあった正しい情報は自分で手に入れてくださいね。
・冷静になることが一番です。

■ 1日目(12/22) ■
12/21の病院が寒すぎて体調を崩しました。
その日の夜、気持ち悪いのと気管支全体に違和感がありました。
12/21の反動かと思いそのまま寝る。

■ 2日目(12/23) ■
昼前、横になると咳が止まらなくなったので(10回~20回程連続で5分感覚ぐらい毎に繰り返す)、
小学校6年生まで経験していた咳が止まらなくなりタンが絡んで凄く苦しくなる症状と、
生まれた頃から度々発症していた熱性痙攣を思い出してしまい怖くなりました。

一緒に住んでいる両親が65歳以上と60歳以上だったので、
少しパニックにもなりながらも子どもの頃に通っていた?近くの内科へ電話しました。
しかし診察券はなかったので新規受け付けはしていないとのことだったので以下を紹介されました。
ひとつは発熱等診療予約センター
もうひとつは帰国者・接触者相談センター

・発熱等診療予約センターへ電話
今後の折り返し時に三回呼び出しへ出れないと予約キャンセル扱いにせれると言うアナウンスが。
自動音声に従って番号を押します。

センター側「発熱ですか?○○ですか?」
自分「熱は無いのですが21日頃から具合が悪くて・・・」
そのあとはいつから症状が出たのか聞かれたので答えた
あとは病院までの交通手段について回答

一旦予約すると言うことで待つことに。

センター側「○○駅のところが予約取れました、30分後です。」
自分「○○駅までいくのに1h以上かかるので難しいです」
センター側「公共機関をお断りする病院が多いので中々とれませんでした、お昼休みになってしまうので15時半頃またかけます。」

ということなので、それまでにお昼を食べて症状をまとめることに(幸いうつ病治療のために日記をつけていたので正確な情報を書けました)。

・16時頃
センター側「オンラインであれば16時台で受けれます」
自分「わかりました」

そのあとは少し手違いがあり、明日の10時時頃にまた電話してもらうことに。
センター側もかなりひっ迫してますね。本当にご苦労様です。

■ 3日目(12/24) ■
朝7時には起きて色々準備を。
朝10時過ぎにセンター側から連絡が。
終わり際にやっとお礼言えました(良かった・・・)

病院へは公共機関で向かうことになりました。
指定された時間はかなりぎりぎりでした。
急いで支度、荷物の準備とメモ書いておいて良かった・・・。

・病院到着
やっとの思いで何とか病院に着きました。
→テレビで見ていたのにも関わらず、外来発熱への対応方法が分からず、そのまま病院内へ入ってしまいました
→頭の中では、「時間制限があるウォーリーを探せ」状態でしたね

病院内の看護士さんの方へ声をかけて、慌てて入り口へ案内され受け付け開始
保険証とお薬手帳を渡しました。
担当の方にアンケートをとってもらい回答していきます。
症状は正直、抗不安薬の副作用なのか風邪の症状なのかさっぱり分かりませんでした。
熱はその場ではかり37.3度 → かなりびっくりです。
朝は35度台だったのに。


・診療と検査
アンケートが終わり「外?で待っててくださいね。」と言われ、
かなり不安になりました。
「どこで待てばいいですか?」近くにいる方に聞きました。
そこの椅子に座っていればオッケーとのこと(とても安心しました)。

スタッフの方が迎えに来て駐車場の方へ案内されました。
右側で電気ストーブがつけられましたが、思ったよりとても熱い!!
冷たくなっている両手で熱い場所を防ぎ、呼び出しの電話を待つことにしました。

待っている間、何も出来ないのでトイレへ行きたくなったらどうしようと少し不安になりました。
持ってきたセーターが意外と役に立ちました(ストーブからの熱が凄いので・・・)
喉が渇いて来ましたがトイレへ行かないように我慢。

左側が凄く寒くて、右側が凄く熱く感じて、不安になりながら、待つこと45分。

1) 先生から電話診療
具合が悪くなったときのことをメモを見ながら答えました。
発熱ということでコロナ検査を受けることに。
早くて今日には結果が出るとのこと。 
→来週の月曜日に精神科へいくがどうすれば良いか と聞く
→検査したことを伝え待っている状態と伝えればオッケーとのこと 結果が出るまでは自宅待機となりました。


2) 検査
10分後、預けていた保険証とお薬手帳が袋に入った状態で戻って来ました。
あとはコロナに関するパンフレットと発熱時に飲むとんぷく薬を貰いました。
それらを受け取りカバンへしまうと、PCR検査場へ案内されます。
思ってたより、結構鼻の奥まで入るんですね、思わず涙とくしゃみが。
ちなみに注射はとても苦手です。

担当の方がとても優しく接してくれたのでとても感謝。
帰りは公共機関を使わず、徒歩で帰ることに。
→お年寄りの方々が沢山バスに乗っていらっしゃったので断念しました。


2時間程で家に到着。
消毒しながら家へ入りそのまま自室へ。
お昼を食べて抗不安薬を服用。
熱は35.7度(外で冷えた可能性ありますね)。
お風呂に入れないときの身体ふきが役に立ちました。

着替えてすぐに布団へばたんきゅー。
着ていたものは念のため消毒。

一息ついたので貰ったパンフレットに目を通します。

夕方体温はかると36.5度(いつもより高いかも)。
大分疲れたので咳が出にくい状態で横に。 

19時 横になっていても咳が出て辛いので、起きて熱をはかると37.0度。

とりあえず今日はおとなしく?起きていることに。
あとは結果待ちです。


■ 学んだこと ■
・医療だけでなく発熱等診療予約センターもひっ迫している
→終わり際にひっ迫している中ありがとうと一言言えました


・公共機関を使って行ける病院は少ない
→「コロナ感染拡大を防ぐために」 だと思います
→検査後に感じたことは、自分を守るためとも考えさせられました


・最寄りの駅までどのぐらいかかるのか事前に調べしっかりセンターの方へ伝えましょう
→センター側はひっ迫しているので予想外の場所を伝えてきます
→何度も伝えてあげましょう
→時間的に無理だと思ったら断りましょう


・紹介された病院の口コミは見ない
→うっかり見てしまい不安になりました・・・(分かっていたんですが思わず)
→血眼になって必死でセンター側が探してくれた病院なので、必ず行くためにも


・タクシーは使えない可能性あり
→熱があるかどうか聞かれるらしいです


・オンライン診療の手もある
→最寄りの駅が遠くて車で行けない場合は「あり」かもしれません


・病院の何処へ向かえば良いか予め聞いていきましょう、着いたら外で連絡するのも手です
→思わず病院内へ入ってしまい、慌ただしく誘導されました
→受付担当者の方々へのお願い     ひっ迫している中誠にすみませんが、「発熱センターからの予約ですか?」と入り口で聞いて頂けたら凄く助かります(凄く安心します)


・自分を守るための準備を入念に
1) 携帯用のアルコール
2) 予備のマスク
3) 防寒具 
→手袋、マフラー等
→持ってきたセーターが電気ストーブからの熱さ避けにもなりました

4) 複数枚のタオル
5) お腹の薬や頭痛薬
→私はうつ病だったので夕方服用する抗不安薬を1錠だけ持っていきました

6) 検査終了後、迎えに期待が出来ない方は帰る方法も予め検討して対策しておくと吉です


うつ病の家族を持つ方々、および本人の力になれたら幸いです。

うつ病治療のきっかけ

2020年12月22日 09時39分39秒 | うつ病治療
カウンセラーへ行って無事に帰還できました。
外より病院内が寒いとは予想外でした。
病院内で手袋とマフラーと防寒着を着用しましたw
それでも寒い!

コロナ対策なので当たり前ですね。

お昼すぎぐらいにはバスに乗って帰ってこれたのですが、
バスに乗っている間も含め、ほふく前進しているような感覚でございました。

さて、久しぶりにスッキリできましたので、
今回はうつ病治療のきっかけになった出来事をいくつか書きたいと思います。

・ゲーム
AI:ソムニウム ファイル https://www.spike-chunsoft.co.jp/ai/

一切泣くことができなかった退職してから引きこもっていた時期に偶然出会いました
ゲームは好きなのですが、直感で買うタイプで予告PVやHP、および体験版はほぼ見ないしやらないタイプです
そんな中、体験版をふとダウンロードし、今まで経験したことの無いような気持ちになり即購入
何も感情を感じないわけですから、途中のやり取りはほぼ何も感じず、とりあえず最後まで進めてみました
すると途中で自然と涙がこぼれていました
「あれ?泣いてる?なんで?」
と思いつつさらに進めていきます
また、途中に大粒の涙が無意識のうちにいくつものポロポロと
エンディングを迎えたときは泣いていましたし、自然に笑っていました
今はゲームやアニメについては自分の中で、現時点ではやるべきではないと思っているので一切やっておりません


・自分が作った動画
閃の軌跡 Ⅶ組ライブイベント(フルボイスVer) https://www.youtube.com/watch?v=h5nBAyJ2ggc

当時は作成しないといけない気持ちで寝る間も惜しんで作ったものです。
部屋は真っ暗にし、カメラも購入、PSVITAを固定する機材も購入、ボタン操作で少しでも画面が震えてしまうので慎重に進めて何とか録画。
ボーカロイドも初挑戦(難しかった・・・特に音ズレ)。
時期は2014/03/21なので大体、自立神経失調症が発症する前後だと思います。

この動画は実家に戻ってきて少し経ってから見ました。
かなり恥ずかしいですが、自分で作詞した言葉に心を打たれてしまいました。
今、まさにですね。


・父親
重度のうつ病で何もできない状態です。
「あぁ、この人は自分のさらに上へと行ってしまったのだなと感じました。」
目の当たりにすることで自分が置かれている状況を痛いほど良くわかりました。
一生戦っていく病気だと思いました。
将来の子供や妻にこんな姿は見せたくないなと思いました。


・恋人
退職する3か月前に偶然出会いました。
お互いに一番目の人と決めました。
自分は婚活を始めて3日後、相手は次へ移ろうかとしていたそうです。
正直、運命だと感じました。
一方、自分はうつ病がさらに酷くなり、次第に彼女と会うことができなくなっていきます。
退職した翌月の上旬に一通のメールを彼女へ「退職した事実と電話番号」を添えてメールを送りました。
何か月待っても返事は来ませんでした。
それもあり家に引きこもるようになります。
2回目のデートのときに貰った記念品があったのですが、
2020年8月31日の引っ越しの日に何もかも忘れたい一心で捨てました。

実家へ戻り、自分と必死に向き合っている中、突然「番号通知不可」の着信が響きました。
当時は詐欺にも注意していたので始めは取りませんでしたが、1回鳴りやみもう1回鳴りました。
ちょうどその頃は左側に母、右斜め前には父、右手付近には鳴っているスマホがありました。
母から取ってみれば?と言われたので取ってみると、なんと彼女でした。
あれからどうなったのか心配しているとのこと、番号通知不可はリモートデスクワークのPCからかけていること
頭の中が真っ白になりながらも話せることは話しました。
電話が終わって数分後、涙が止まりませんでした。
「え?なんで?どうして?」っていう感じです。

その後、睡眠薬の副作用で胸全体が痛み始め、それと同調するように様々な心配事がさらに膨れ上がっていきました。
ついに彼女へ対しても疑念の気持ちが膨れ上がり制御ができなくなりました。

それをまじかでみていた母は父親の件で経験していたため、薬があっていないということで、即先生へ相談。
薬を変えてもらい、その薬を飲まない形にしてもらいました。
すると嘘のように胸の痛みは減っていき、寝れるようになっていきました。

ある日のこと、いつも通り母としゃべりながら自分が感じていた不安を打ち明けました。
すると「彼女へ近いうちに返事しなさい、半年後に連絡をするなんてとても勇気がいることだよ」と教えてくれました。
翌日、即彼女へ向けて簡単なメールをしました。

送ってから一か月たちましたが返信はまだ来ておりません。
が、今度は自分が信じる番だと思い待っています。
またいつか会えることを願っております。

※本人にはまだ書くことを話していないので怒られるかもしれませんが、大きなきっかけになったので書きます


最後はやはり母は強しですね。
背中を大分押してくれた気がします。

長文となりましたが、うつ病治療のきっかけになればと存じます。

自分のことを振り返ってみました

2020年12月20日 17時18分16秒 | うつ病治療
お久しぶりです。
ブログを始めてから、時は早いもので10年以上たちました。

ブログを書かなくなった2007年頃から、
卒業論文と大学院へ入学するために勉強していましたが落ちてしまい、
親と約束していた就職活動をその年の10月頃から開始しました(大学院受験は9月)。
無事にひと月ぐらいで内定が来て一番初めに面接を行った会社へ就職することに決めました。

大学を卒業し、就職して同期からは「天職だね」と言われ、
1つの会社で働くことが10年以上続きました。

しかしながら2005年(ブログを始めて少し1年頃)に祖父がアルツハイマーを発症します。
祖母と母が介護に追われているのを心配しながら、卒業論文作成と仕事を頑張っていきます。

その後、祖父はアルツハイマーが酷くなり、ついに入院し、そのまま肺炎で病院で亡くなりました。(2010年5月21日の出来事です)

そこからは運命の歯車が少しずつ歪み始め、自分の心が少しずつ歪んでいきました。

両親を心配させまいと一生懸命になって働いていましたが、2014年頃に「自律神経失調症」を発症します。
ただ1年もたたない間に自己判断で治療をやめます。

2015年6月30日 父親が重度のうつ病で定年退職します。

そこからは衝撃的なことがあまりにも多く起き、だんだんと追い詰められていきます。

ついに2018年7月9日 ギブアップ宣言をし「うつ病」と診断されます。

その後、両親を心配させないためにも休職と復職を繰り返しつつ頑張りましたが、
その間も衝撃的なことが多く起き、ついに2020年2月27日の夕方に心が遂に折れました。

2020年3月31日付けで退職することになり、2020年7月まで一人暮らししていた家に引きこもりました。
しかし現実は厳しく、貯蓄がこのままだと半年持たないと判断し、母へ相談して実家へ戻ることにしました。

2020年8月31へ実家へ戻ります。

実家でも自分の居場所が無く、さらに睡眠剤の副作用に苦しむことになりますが、
薬を変えて何とか落ち着いたので記事を書いてみました。

カウンセラー用に「出来事リスト」を作っており、今はひと月足らずで4万文字を超えました。

明日はカウンセラーなので、寒いですが行ってきます。

1人でも多くのうつ病に苦しむ人のためにと少しずつ記事を書くことにしました。

また元気がでましたら書きます。