【10】へ
寮監に、それぞれ時間をずらして電話を入れた。
「雪で足止め食って身動きがとれなくなっている」と。
事情が事情だけに、今回は特例というかたちで門限を回ってもお咎めなしということらしい。手塚や柴崎のほかにも、外出した先から戻れなくなっている者もいるような口ぶりだった。
気をつけて帰ってらっしゃい。どうしても帰れない場合は、また連絡して。
そう言われた。
断りを入れたことでひとまず時間を気にせず安心して飲めようになった。
屋台で相席したサラリーマン風のおじさん、二人組は、美人の柴崎にすっかり心を奪われ、「いやー雪で立ち往生もいいもんだねー」と終始ご機嫌だった。
外面クイーンの柴崎も、この手合いは苦手ではないのか、「雪見酒を通り越して吹雪酒ですけど、それもオツですよねー」などど気安く返していた。
それなりに意気投合し、会話も弾んだ。おやじさんは寡黙だが温厚な微笑がたまらなく可愛らしく、湯気の向こうでずっとにこにこしているから、見てるこっちまでほっこりしてくる。
手塚は柴崎の耳元を飾るピアスを、隣で眺めるとなく眺めては、ビールを飲った。
直視できないのは、柴崎が自分の視線に気がついているのかいないのか読めないからだ。
サラリーマン風のおじさんたちは、手塚と柴崎が恋人同士だと信じて疑わない風で、「あんたら折角のイブにこんな雪で災難だねえ」と言った。
「あら。おじさんも会社帰り、足止めを食っちゃったんでしょ。お互い様ですよー」
と柴崎。
「そうなんだよー。カミさん怒ってるかなあ。娘とご馳走作るって朝言ってたもんなあ」
「だめじゃないですか、ここで飲んでちゃ」
屋台のおやじさん、本人が言うから、柴崎は笑った。おじさんはうん、だめなんだよね、ほんとは、でもついね、と言い訳でもなく言って。
「早く電車動かないかなあ」
軒下から仰ぐようにゲートを見上げた。そして、
「あんたら、これからどうするの? 止まったままだったら、このまま駅に足止めかい?」
そうですね、と適当に手塚が相槌を入れようとしたとき、おじさんの連れが「おいおい、んなことあるかよ。ホテルに決まってるだろうが。イブなんだよ、今日は」
と多少酔いが回った口調で突っ込んできた。
「……」
手塚が口を噤む。
柴崎が彼越しに二人を覗き込んだ。手塚は柴崎をはしに座らせ、おじさんとの間に壁を作ってやっていた。
「それがね、ホテル、取ってないんですよ。急なデートだったもんで」
ね? と悪戯っぽく手塚を目線で掬い上げる。
「あ、ああ……」
何を言い出すのかと思いつつ、手塚はいちおう頷く。
「そうなの? それじゃ大変だ」
「でしょ? どっかいいとこ、ないですかねえ。今からでも飛び込みで泊まれるところ」
柴崎のその爆弾発言に、手塚が目を剥いた。
お、お前……。
いまなんつった? と自分の耳を疑う。
柴崎はしれっとしたもので、いっそうおじさんたちのほうへぐいと身を乗り出した。
「この雪だし、歩くのもアレだから、できれば近いところがいいんだけど」
椅子の反対側に腰掛けたおじさんが、思案顔で首をひねる。さっき奥さんが怒ってるかもと気にしていた方だ。
「う~ん。駅の周辺はもういっぱいだろうな。なんせ、イブだし、この雪だから……」
「やっぱり?」
駅周りの事情には詳しいだろう屋台のおやじさんを見ても、渋い顔だった。
首を横に振る。
「かといってカプセルホテルもなあ。やっぱ泊まるとこは二人でなきゃ、だめなんだろ?」
おじさんの問いかけに、手塚が反応した。
「いや、それは、」
と言いかけて、柴崎を見る。
言葉に詰まった。
「……泊まること、ないから。おぶって帰るって言ったろ」
誰とも目を合わせずに低い声で言って、ぐびりとコップを空ける。
空になったものに、手酌で瓶からビールを注ぎ足した。その荒っぽいしぐさに柴崎が眉をひそめる。
「なんで急に不機嫌なの? あんた」
「別に」
「おぶって帰るって? おにいさん、そりゃ無謀だなあ」
酔いの深いおじさんの方が、手塚を冷やかす。彼は手塚と隣り合わせで腰掛けていた。
「彼女の手前、かっこいいとこ見せようとしてるんだろ、この男前が」
「そんなんじゃないですよ」
肘で突付かれ、あからさまにむっとして手塚は返す。
酒のせいで気分が大きくなっているのか、手塚の不機嫌な様子にも怯むことなくおじさんは言った。
「だってさ、どこまで帰るか知らないけど、この雪の中おぶってなんて無理だろう? 気取ってないで泊れるとこ探して彼女と泊まってけ、ラブホテルでも、どこでも」
な? 馴れ馴れしく手塚の肩に腕を回してしなだれかかる。
最後の言葉が、引き金となった。
ラブホテルだって?
手塚は顔だけおじさんに向けて、硬い口調できっぱり言った。
「簡単に言うな、泊まるとか。
――こっちの事情なんか、何も知らないくせに」
鋭い眼光に射すくめられ、そこでようやくサラリーマンは固まる。
慌てて腕を離し、おろおろと焦点を失った目線を宙に泳がした。
「な、何もそんなマジになることないじゃないか。ジョークだよ、ジョーク」
へらっと作り笑い。
手塚は弾かれたように顔を背ける。
「もう、おにいさん、怖いよ、そんなおっかない顔してると、カノジョも引いちゃうよ。なあ?」
おじさんは救いを求めるように、必死に連れと柴崎を交互に見やった。
手塚は口を噤み、それ以上何も話さなかった。黙り込んで一人酒を決め込む。
柴崎が見かねて手塚のダウンを引っ張り、こそっと耳打ちする。
「ちょっと、お酒の席での、ただの戯言じゃないの。さらっと流しなさいよ」
手塚はコップから口を離した。猫の額ほどのテーブルにカタンと音を立てて置く。
顔を柴崎に向け、まっすぐ目を見て言った。
「流せるかよ」
柴崎はその撥ねつけるような口調にはっとした。
彼の顔を凝視する。構わず手塚は一息にたたみかける。
「お前もお前だ。どういうつもりだ。ホテルがどうとか、そんな話を簡単に振るなんて」
彼の言葉で、屋台の中が水を打ったようにしんとなる。
「――」
柴崎は何も返せない。身じろぎもしない。
目の前でじっくりと出汁を吸って煮詰まっていくおでんの具だけが、ことことと場に不似合いなのどかな音を立てていた。
そのとき積もった雪が、屋台のトタン屋根からどさりと落ちた。それで、手塚の張った緊張の糸が解ける。
「え、……あんたたち、その。そういう仲じゃ、ないのか?」
あれ? 今更のように会話を振り返って、奥さんが怒ってると気にしたおじさんが小声で言った。
「俺たち、てっきり……」
なあ、とばつが悪そうに連れと目を見交わす。
柴崎はわずかに顔をこわばらせて、それでも二人に笑顔を見せた。
「ごめんなさい。この人ちょっと酔ったみたい」
取り繕おうとした言葉に、手塚が言葉をかぶせる。
「酔ってない。てか、醒めた」
そう言って、彼は残っていたビールを一気に呷って席を立った。
「もう上がる。ごちそうさん」
そして暖簾をくぐって表に出た。
「ちょ、手塚。待ってよ」
慌しく荷物をかき集めて、お勘定をして柴崎は彼に続いて立ち上がった。
少し気がかりそうな「まいどォ」というおやじさんの声が、二人の後ろから追いかけてきた。
怒ってる。
――怒らせた。
先を行く手塚の背中を見ながら、柴崎は視界を塞ぐ雪で、心まで塞がれていく気がしていた。
屋台を出て、手塚の足は再び駅に向かっている。迷いなく。
肩の線が静かに怒っているのが分かる。柴崎がついてきているのを知っているくせに、後ろを見もしない。
でも、本当に置いていこうとしているわけではないことが、歩調で分かってしまう。
柴崎を気にして、速度を落としている。いつもの彼の歩幅ではない。
……謝ったほうが、いいのよね。あたしから。
あたしが悪かった。今のは確かに。
彼を追いながら、柴崎は必死に雪道を歩く。
でも、弁解させてもらえるなら。
まさか、あんなに怒ると思わなかったんだもん。……手塚のスイッチが、まさかあそこで入るだなんて。
ちょっと反応を見るつもりで、からかってみたくて振っただけなのに。
おじさんたちと一緒に、酒の肴にして遊んでみたかっただけなの。
いつもみたいに、照れてしまって、しどろもどろになるあんたが見たかった。そういったら火に油?
……あーあ。初めて本気で怒らせちゃったな。
これまでもケンカっぽいことは何度かあったけど。手塚に詰め寄られて不覚にも泣いてしまったこともあった。
でも、仕事を絡めない、純粋なプライベートでのケンカは初めてだわ。
しかも一方的にあんたのほうが怒ってるシチュは、経験がない。
どうしよう。
手塚、ごめん。
そう言えばいいのは、分かっていた。
ほろ酔いでも頭はクリアだった。なのに、喉の奥の奥にプライドの欠片がみっともなくこびりついていてどうしても声にならない。
あたしは今までケンカした相手に自分から謝ったことがない。たとえ自分に非があるとしても。理由をうやむやにして五分五分か、さもなくば相手から謝罪させるように仕向けてきた。
でも、いまの手塚にはその手管さえ通じない。
怖い。
ごめんと言えない。その言葉さえ彼の潔癖な背中に拒絶されてしまいそうな気がして。
竦んでしまって、唇が動かない。
どうしよう――
手塚の白いロングコートが雪に紛れる。
ふと、自分はここで彼を見失う。はぐれてしまうのではないかという不安が柴崎の胸によぎる。
心臓がぎゅっと締め付けられる気がした。
雪が激しさを増し、手塚の姿を同じ色に塗り込め始めた。
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あーあ、せっかくいいムードだったのに、
ごめんよう~
でも手塚なら怒る。と思う…
こういうのって、柴崎が大事だからこそ、いやだろうな。
でもきっと歩きながら、柴崎がどういうつもりだったのか
ちゃんとわかっていると思う。
折れどころを必死に探しているんじゃないかな…
後ろからくる柴崎に全神経を向けながら…
あ~~~、意地っ張りだね、二人ともっ!
だって「背中合わせの二人」ですから。うちの名前(笑)意地っ張り具合には定評があります(?)
意地の張り合いを書くのも、それが解けるのを書くのもこのカップリングの二次創作の楽しみですよね~(しみじみ)
拍手コメントで応援してくださってる方々。
個別レスできなくてごめんなさい(><)
お名前とともに、お気持ちいつも有難く頂いてます。はじめまして、の方。はじめまして。「どうしても一言残さずにいられませんでした」って書き手冥利なんですけど(有難うございます)!感謝です。
それと喧嘩はかなしいけど、手塚なら怒る、怒った、きっと。でも柴崎を思ってこその怒りだってコメント寄せられて、ああやっぱし彼と言う男はそうだよな。そうしたよな、と心強く思いました。
みんな手塚って男の魂を知ってる。ああほんとこの話を読んでくださってるからじゃなく、そういうみなさんが大好きだ!です