【11】へ
「あっ」
背後から聞こえる短い悲鳴で、手塚は我に返る。
振り向くと、柴崎が地面に倒れていた。引き出物の紙バックが投げ出され、中のものが道路に広がっていた。
どうやら雪に足を取られて転んだらしい。
煮立っていた頭が瞬時に冷える。
思考を通さずに、彼はダッシュで今来た道を戻った。
柴崎に駆け寄り、屈み込む。
「大丈夫か」
「いった……ぁ。何、これ」
柴崎は顔を歪め膝をさすっている。幸い、積もった雪のせいで、大きな怪我はしていないようだ。雪で滑って雪に助けられた。皮肉だった。
「ひどーい。ドレスが台無し」
柴崎は座り込んだ体勢のまま、半ベソをかいた。それでなくても、雪のせいでセットした髪が乱れている。
「怪我は? どこか痛くないか」
ストッキングは破れていない。外傷もない。
ひざまずいたまま、手塚は触れない程度に柴崎の脚をチェックしてやる。
「だいじょうぶ、みたい」
額と額がくっつく近さでやりとりをしていたことに、今さら気づき、柴崎が目を逸らした。
「……」
手塚は俯いた。
「ごめん」
喉の奥から搾り出すように、それだけ言った。下を向いているせいで、声が篭った。
柴崎の顔をまともに見られない。雪と泥で濡れたアスファルトに視線を据えながら、手塚はもう一度詫びた。
「ごめんな」
「……何であんたが先に謝っちゃうの」
かすかに苦笑する気配に顔が上がる。
間近で柴崎の目とぶつかった。
「あたしが言わなきゃと思ってたのに」
瞳の端が赤い。泣きだしそうなのを我慢しているようにも見えるし、寒い場所にいるせいにも見えた。
地面にぺたりと座り込んだまま、柴崎が言った。
「……ごめんなさい。あたしが悪かったわ」
ひどく心もとない口調だった。全然らしくない。
と思ったら、
「――で、合ってる? オッケー?」
「なんだ、それ」
手塚はつい笑みをこぼしてしまう。
柴崎はふくれた。
「だって、あたし、今まで誰かと喧嘩して自分から謝ったことなんてないんだもの。ていうか、喧嘩になる前に一方的にあたしが相手を言い負かしちゃってたんだけどね、いつも」
自慢にならない自慢にに手塚が呆れる。
「嘘だろ。喧嘩して謝ったことがないなんて、そんなやついるか」
「いるのよ、ここに。――だから、謝り方、あってるか自信なくて。
さっきはごめんなさい。……よね?」
いいのよね、と窺うように上目で見られた手塚はようやく気がつく。
柴崎の言っていることの真偽はともかく、大事なのは別のことだと。
強気に見せかけてひどく弱気な色合いが、柴崎の目の奥に滲んでいた。普段は女王然として人に弱みを絶対に見せようとしない柴崎。その彼女がいま、黒曜石を二つ並べたようなきれいな瞳に、不安の翳りを浮かべている。そして自分がどう反応するか、巣から外を窺う穴熊のようにじっと待っている。
それが、大切なことだった。
たぶん、本人が言うとおり謝り慣れていないというのは事実。
そして、誰かとぶつかったとき相手を言い負かしてきたというのは、たぶん誇張。
そうなる前に、この女はそいつと関係を切ってしまうか、自分を閉じて心を見せなくなっていたんじゃないか。きっと。
器用そうでいて、全然器用じゃない。
大事な部分は。手塚はそう読んだ。
「もういいよ」
手塚は柴崎の腕を把った。痛くないように加減しながら。
そのまま引っ張り上げる。
きゃ、とふらつきながらも立ち上がった柴崎の背を支えた。
華奢な身体は、すっぽりと自分のコートの懐に入れてしまえそうだった。
「俺も大人気なかった。――ついかっとした」
おやじさんに悪いことしたな、そう呟くと、柴崎が安心したように笑みをこぼした。
「今から戻る? 仲直りしましたって」
「それもいいけど。――待て」
手塚は再び腰を落して柴崎の服についた雪を払ってやった。
コートから出たドレスの裾に結構ついている。
「……ありがと」
手塚は、ん、と言いながら手を動かし続ける。
「俺、むきになってるか」
「え」
「むきになってみっともないよな。……分かってるんだ。お前の言うとおり、ああいうのは適当に流せばいいって。頭では。でも――」
できない。どうしても譲れない。
感情がついていかないんだ。
あそこでは、俺はああするしかない。あんな風に突っ張るしかできない。
手塚が言葉にしない部分を正確に柴崎は汲んでいた。
「みっともなくなんかないわ」
手塚に雪を取ってもらいながら、柴崎が呟いた。
「怒ってくれて、嬉しかった。――て言ったら誤解する?」
上から降ってくる柴崎の声に、手塚は顔を上げられない。
頬が熱い。
面を伏せたままで、
「……いや」
と言った。
……でもね。数瞬迷ってから、囁くように柴崎は続けた。
「嬉しかったけど。――怖かった」
だから、もうあんなふうに怒らないでよ。
雪にかき消されそうな声で、柴崎は言った。
背中を向けられたとき、信じられないくらい傷ついた。
傷つけたのはあたしの方なのに。傷つく権利さえ自分にはないというのに。
なのに、あたしは泣きそうになった。
雪に遮られて、このまま手塚に背を向けられたまま、置いていかれるんじゃないかって、そう思ったら心が震えた。
とは、口が裂けても言えない。
ぐっと、腹の底のほうからこみ上げる熱いものとともに柴崎は想いを飲み込む。
手塚はゆっくりと身体を起こした。
そして、
「ごめんな」
と今度はまっすぐに目を見て言った。
「次のときはセーブする」
「次ってことは、また喧嘩するって前提?」
笑うと、
「するだろ。俺たちなら」
当たり前のことのように手塚は言った。
それが何だか嬉しくて、嬉しいと思う自分に驚いて、柴崎は揺れる。
自分の気持ちの振れ具合を確認するまもなく手塚が続けた。
「歩けそうか」
「あ、うん」
「お前が転んだのは俺の責任だ。今夜はお前を無事に連れて帰ることが第一目的なのに。すまん」
そこで彼女の背に添えていた手を離した。
「それが目的? あんたの最優先ミッションなの?」
柴崎は大きな目をくるめかす。頬に幾分生気が戻ってきた。
「ああ」
「ふうん。――つまんないの」
言って柴崎は唇を尖らせた。ひどく愛らしいしぐさで。
え?
それってどういう意味だ。
見惚れて手塚の思考回路がいったん麻痺する。雪の合間に何かがサブリミナル効果のように挟み込まれているのに、それに手が届かない。
柴崎は微笑を湛えて手塚を見詰めていた。
なんだか、じっとしていられないくらい、手塚はもどかしかった。
【13】へ
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そこで一言言える手塚、だからアンタが好きよ、です。
手塚自身が持て余す感情の相手が麻子ですもの、さらにややこしい。
あと一歩の大きさは、麻子のほうが大きくて深いですね。
どうなるんでしょう…
ここまでじれじれさせてすいませんでした(><)
後半もじれじれの方向で行きたいと思いますので、よろしかったらお付き合いください。
ほんとにコメント有難うございます。
後半……も、頑張ります。