こんにちは 楽居の西澤です。
暑い世の中、これからの家は 軒のある家でしょうか?
日差しが強く、家の中にいても眩しい
一日中カーテンを閉めている状態?
日本は昔から、湿度が高く夏にいかに快適に過ごせるかを
考えて作られてきました。
夏の日差しは高く、室内の中に入ってくる日差しを軒が
和らげてくれます。
冬の日差しは低く、室内に日差しを軒の下からうまく取りこんでくれます。
軒は、日差しだけではなく 家の外壁を雨などから守ってくれます。
日本の昔の家には、必ず軒がついていました。
もし昔の家に軒がなかったら、現在残っている木造の家は残っているのだろうか?
なんてこと、今日は考えていました。
昔の人は、きっと経験の中から軒を出すことを考えついたのでしょうね。
きっと軒の役割は他にもあるのだろうけど
今 思いつかず・・・・・。
昔の家は窓や扉は全部木製建具 ただ昔の窓に気密は無く
スカスカのイメージ、でもそんな建具でも、多少の不具合と
仲良くお付き合いできれば、40年は使える。(メンテナンス必要)
実際、40年~50年前に建てられた 借家などは
木製の建具を使っている事が、多く今でも立派に使われている。
湿度の高い夏や梅雨時期などには、時々開閉が困難になったり
カラっと乾燥した 冬には、逆に良く辷ようになったり
季節によって 状態が変化するが、そこは楽しくお付き合い。
・・・・・・網戸を足で蹴とばして直した。
今、そんな話はあまり聞かない。
現在作られている木製の窓は、昔ほど気密は悪くない。
昔の木製の窓は、強い風が吹いたりすると
ガチャガチャと結構な音を出して 家が飛んでってしまうのでは・・・・
なんて 心配をさせましたが、現在の木製の窓は
普通のアルミサッシと同じように少々の風が吹いても音はしない
もちろん昔のものと同じ作り方をすれば 音もするのでしょうが・・・。
私は、現代の昔の家が好きです。
現代の昔の家とは、昔の作り方をしているのだけど
窓とかは進化しているのであって・・・・
エアコンもあるし、キッチンに竈は無いし、
お風呂も自動で沸くし・・・・・
昔とは、生活スタイルが違うのだから 家もそれにところどころ
合わせていかなくてはいけないと思います。
でも合わせ過ぎてしまったら、昔の良いところが無くなってしまうと
思うので、ほどほどに。。
だから、私は「現代の昔の家」が好きです。
少しくらい 不便だってそれでいいんです。
私が ふと考えたこれからの家は
「現代の昔の家」
暑い世の中、これからの家は 軒のある家でしょうか?
日差しが強く、家の中にいても眩しい
一日中カーテンを閉めている状態?
日本は昔から、湿度が高く夏にいかに快適に過ごせるかを
考えて作られてきました。
夏の日差しは高く、室内の中に入ってくる日差しを軒が
和らげてくれます。
冬の日差しは低く、室内に日差しを軒の下からうまく取りこんでくれます。
軒は、日差しだけではなく 家の外壁を雨などから守ってくれます。
日本の昔の家には、必ず軒がついていました。
もし昔の家に軒がなかったら、現在残っている木造の家は残っているのだろうか?
なんてこと、今日は考えていました。
昔の人は、きっと経験の中から軒を出すことを考えついたのでしょうね。
きっと軒の役割は他にもあるのだろうけど
今 思いつかず・・・・・。
昔の家は窓や扉は全部木製建具 ただ昔の窓に気密は無く
スカスカのイメージ、でもそんな建具でも、多少の不具合と
仲良くお付き合いできれば、40年は使える。(メンテナンス必要)
実際、40年~50年前に建てられた 借家などは
木製の建具を使っている事が、多く今でも立派に使われている。
湿度の高い夏や梅雨時期などには、時々開閉が困難になったり
カラっと乾燥した 冬には、逆に良く辷ようになったり
季節によって 状態が変化するが、そこは楽しくお付き合い。
・・・・・・網戸を足で蹴とばして直した。
今、そんな話はあまり聞かない。
現在作られている木製の窓は、昔ほど気密は悪くない。
昔の木製の窓は、強い風が吹いたりすると
ガチャガチャと結構な音を出して 家が飛んでってしまうのでは・・・・
なんて 心配をさせましたが、現在の木製の窓は
普通のアルミサッシと同じように少々の風が吹いても音はしない
もちろん昔のものと同じ作り方をすれば 音もするのでしょうが・・・。
私は、現代の昔の家が好きです。
現代の昔の家とは、昔の作り方をしているのだけど
窓とかは進化しているのであって・・・・
エアコンもあるし、キッチンに竈は無いし、
お風呂も自動で沸くし・・・・・
昔とは、生活スタイルが違うのだから 家もそれにところどころ
合わせていかなくてはいけないと思います。
でも合わせ過ぎてしまったら、昔の良いところが無くなってしまうと
思うので、ほどほどに。。
だから、私は「現代の昔の家」が好きです。
少しくらい 不便だってそれでいいんです。
私が ふと考えたこれからの家は
「現代の昔の家」