中 勘助の「銀の匙」に
当時の大工の様が見て取れる一説がある。
普請場(建築現場の事)には鑿や、手斧や、鉞や、てんでんの音たてて
さしも沈んだ病身ものの胸をときめかせる。
職人たちの中に定さんは気だてのやさしい人で、削りものをしているそばに立って鉋のくぼみから
くるくると巻きあがっては地に落ちる鉋屑にみとれていると
いつもきれいそうなのをよって拾ってくれた。
杉や檜の血の出そうなのをしゃぶれば舌や頬がひきしめられるような味がする。
おが屑をふっくらと両手にすくってこぼすと指のまたのこそばゆいのもうれしい。
定さんは、いつもひとよりあとに残ってぱんぱんといういい音のする
かしわ手をうってお月様を拝んだ。
私はいつまでも仕事場にうろついてそれを見るのを楽しみにしていたが、ほかの職人たちは定さんに
変人 というあだ名をつけて、ああいう野郎はきっと若死にする なぞといっていた。
きれいに箒目のたった仕事場の後をみまわると今までのにぎやかさにひきかえ
しんしんとして夕靄がかかってくる。
私は残り惜しく呼びいれられまたあすの朝をまつ。
そのようにわきたつ木香に酔ってなんとなくさわやかな気もちになりながら
日に日に新しい住居(すまい)ができてゆくのを不思議らしくながめていた。
一昔前の大工の様子が読みとれる、定さんを変人とひやかすほかの職人たち
仕事終わりに、箒目のたった現場の凛とした様など
今も昔も変わらないのだと
そして、あたりにわきたつ木の香りに酔い
新しい住まいができていくのを、何ともいえない気持ちで見ている様。
あまりの細かい描写に、身近な日常をえがかれているようで
照れくさくなってしまいました。