眠れない夜
何をしていますか
寝返りを何度もうち
目を閉じて
必死で羊を数える?
生涯の中でそんな夜を何度迎えたでしょう
外が少し明るくなり
眠れなかった夜を振り返ることもなく朝を迎えて始まる日常
母が危篤になった日
先生から会わせてあげたい方がいたらご連絡を……
東京の息子夫婦が夜中に到着
息も絶え絶えの母を家族で見守るしかなかった夜
峠は越して
ほんのりと明るくなった空を病室から眺めたら
涙があふれて声をあげて泣いてしまった
先生から
お母さん、良く頑張られましたねとのお言葉を頂いた
脳梗塞で寝たきり
肺は人の三分の一しかない母
誤嚥性肺炎の怖さを初めて知った
呼吸をする度に上半身がはねあがる
熱も40度近い
脈拍は早く
フルマラソン状態だと看護師さんがおっしゃっていた
お母さん、もういいよ
良く頑張ったから
パパ‼️迎えに来て
お願い
そう心で叫び続けていた
少し呼吸も脈も落ち着いてきて
峠は越した
その時にみた朝日
涙が溢れて嗚咽を漏らした
父もそうだった
父は峠を越せなかった
夜中に先生が来てくれた
先生はずっとたったままで父の横にいてくださった
四時間近く
そばにいてくれた
父は家族に見守られながら亡くなった
母は酷いものだった
転移した病院が酷すぎた
朝の四時過ぎに電話があり
お母さん、息をしていません
四時に見に来たときには息はしていました……
私たちは駆けつけた
意識もない、息もしていない
手や頬はまだ暖かい
呼んでも揺すってもだめ
だんだんと冷たくなってきた母
七時頃医師がきて
やっとご臨終です
父との差はなんなんだ
夫に
あなたの実家に母の死を伝えてって言ったら
夫は
え?電話するの?
どついたろかと思った
いくら私や母を嫌っていても知ることくらい当たり前だろう‼️
あとは私はほとんど記憶がない
子供たちに任せた
東京の息子夫婦は夜中についた
それから翌日も私には記憶がない
向こうからは誰一人お悔やみの言葉すらなかった
私の職場の人たちや私が住んでいたマンションの大家さんが私の姿を見かけて抱き寄せて一緒に泣いてくれた
他人の暖かさに心からの感謝を感じた
許せない一つの理由がこれだ
家族としてみてもらっていない
だからね
もうどうでもいい
私を守ろうとしなかった夫も私はどうでもいい
どんなに態度を変えても絶対に信じることはない