ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

ムーン・パレス

2018-11-28 | Weblog
新しい作品を書いていて、行き詰まったり横道に逸れて行ってしまったりした時、
昔読んだ小説や映画が、今書いているものに重なるように浮かんでくることがある。
「ラヴィのいる部屋」というラジオドラマを書いていた時は、リチャードブローディガンの「愛のゆくえ」という小説で、「森蔭アパートメント」の時は「バグダットカフェ」という映画だった。
それでその本を読み直したりDVDを見直したりして、あれ、こんなストーリーだったのかと記憶の違いに気が付くのだけど、それはそれでそこからまた別のイメージがわいてきて、書いている作品を新しい展開に導いてくれたりするのだ。

今、再来年に上演してもらう予定の作品を書いていて、「月」にこだわって書いているうちに浮かんできたのが、ポール・オースターの「ムーン・パレス」で、友人が、「きっと好きだろう」とくれた本だ。
読むのがめんどうになるような分厚い本で、もらった時は斜め読みをして「ああ、男の子の青春小説だな」と打ち捨ててしまったのだけど、「月」といえば、そんな小説があったっけと思いつき、本棚を探したけど見当たらず、改めて文庫版を買って読み直してみた。

端的にいってしまえば、親子三代における父親を知らない男たちの物語だ。
不思議な本で、そこここにストーリーと関係ないような与太話や挿話が入ってくるからめんどくさくなって飛ばし飛ばしに読んでいると突然核心に入っていたりする。
そんな都合のいいことってあり?と思うような偶然が人生を左右する出来事だったりするし、
そうなると、偶然だと思っていたものも必然であるようにもみえてくる。
そんなことの連続で、なんだかわからないうちに読み終わってしまったのだけど、
結果として、友人が私が好きだろうとくれた本は、やはり結構おもしろかった。

孤独な主人公にはいつも天啓のように救いがやってくる。
救われない最後も、空を見れば月が出ていて、読者にはそれがこれから開けていく主人公の未来のようにも思えてくる。
孤独でも、すべてを失っても、救いはきっとあるのだと思わせる「月」の存在…。
いろいろ考えているうちに今回の自分の作品の新しい展開もちょっと見えてきた。


好きな映画や小説には、あとになってよみがえってくる素敵なシーンが必ずある。
「ムーン・パレス」にもいくつか好きなシーンや挿話があった。
とりわけ好きだったのは、主人公と、のちに祖父だとわかる気難し屋の老人が、雲一つない春の宵に、ぼろぼろの傘をさして歩く黒人青年と出会うシーンだ。
三人は、空想の雨を楽しみながら、三者三様の上機嫌さでしばし連れだって歩いていくのだ。
死期を間近にした金持ちの車いすの老人と、それを押す貧乏な主人公と、見ず知らずの黒人青年。
もしかしたらこれがこの作者が言いたかった本質なのかもしれないなと思わせるほどに、切なく美しく心に残っている。