うちの祖父。。
は、、、、
今でも暴君だったと思う。。背の高さも170cm以上あったし、ともかく、威圧感満載であった。
外出時は、紐を結ぶタイプの革靴を履き、足を投げ出すと、嫁である私の母や、叔父の嫁である叔母に、紐を結ばせていた。。
今で言う2世帯住宅ならぬ3世帯住宅って言うか、(それにしちゃ、狭かったけど。。)そう言う家に住んでいたので、私の両親と兄・私、そして叔父夫婦、おまけに父の妹まで、住んでいた。(まだお嫁に行く前だったからね~~)
ついでに、私の両親は、薬局を営んでいたが、叔父夫婦は、個人営業の運送業を営んでいて、運転手さん、数人まで同じ家に住んでいた。。
すっげ~~、人数である。
私が生まれる前は、祖母や薬局で働いてくださっている方も住んでいた。。
グゲッ。。
どんな広い家だよっ?って思うけど、狭い家です。
ほんとーに狭い中によ~~~くそんだけ住んでたよ。。
祖父の兄は、職業軍人であったため、もっと、暴君だったけど。。。
子供(私の父など)がいたずらをして見つかると、自分じゃ無いのに「お前がやったんだろ?」と祖父に聞かれた人が「はい。」と答えるしか無い。。
そんな、祖父であった。
それが、、孫のことは溺愛。。
何でもほしい物は買ってくれるし、ま~~~凄かった。
でも、買ってくれるよりも、「子供は、水道水は直に飲むと毒だ。。」って感じで、毎朝、水道水を沸騰させておき、湯冷ましにして、私や兄に飲ませていた。
ジュースとか、そう言うもんは、飲んだこと無かったな。。
おかずを作るのは、祖母が生きていた頃は祖母だっただろうが、私が生まれた頃には、祖母は他界していたので、母がおかずを作っていたが、ご飯を炊くのは、おじいちゃん。
薪で、ご飯炊いてたんだな~~。
家の中の階段もおじいちゃんが掃除し、ピカピカにぞうきんで磨いていた。。
ひとりで旅行に行っては友達(う~~んと若い人とでも無理矢理友達にさせてた。)になり、家に遊びに来させていた。。
私が子供の頃、一緒に写真に写っているお姉さん、、大人になってから、「これって誰?」って聞いても、誰も知らなかったりする場合もあるのだった。
それ故、疎開先でも、どんどん、いろんな人と親しくなっていた。らしい。。。
そこで、「君たちには、明日がある。だが私には明日は無い。だからすぐ来い。」と麻雀の人数がたらないという理由で、呼び出す。
近所に住んでいるならともかく、長野の小諸に住んでいる人に向かっても、そう言う。
そこで凄いのは、本当に来ちゃうおじさんたちもおじさんたちであった。
夜行列車や、自分で車を運転して来るから凄かった。
なんだか、ざわざわした大人数の中で、育ったんだな。私。。って、今更ながら思っている。。
は、、、、
今でも暴君だったと思う。。背の高さも170cm以上あったし、ともかく、威圧感満載であった。
外出時は、紐を結ぶタイプの革靴を履き、足を投げ出すと、嫁である私の母や、叔父の嫁である叔母に、紐を結ばせていた。。
今で言う2世帯住宅ならぬ3世帯住宅って言うか、(それにしちゃ、狭かったけど。。)そう言う家に住んでいたので、私の両親と兄・私、そして叔父夫婦、おまけに父の妹まで、住んでいた。(まだお嫁に行く前だったからね~~)
ついでに、私の両親は、薬局を営んでいたが、叔父夫婦は、個人営業の運送業を営んでいて、運転手さん、数人まで同じ家に住んでいた。。
すっげ~~、人数である。
私が生まれる前は、祖母や薬局で働いてくださっている方も住んでいた。。
グゲッ。。
どんな広い家だよっ?って思うけど、狭い家です。
ほんとーに狭い中によ~~~くそんだけ住んでたよ。。
祖父の兄は、職業軍人であったため、もっと、暴君だったけど。。。
子供(私の父など)がいたずらをして見つかると、自分じゃ無いのに「お前がやったんだろ?」と祖父に聞かれた人が「はい。」と答えるしか無い。。
そんな、祖父であった。
それが、、孫のことは溺愛。。
何でもほしい物は買ってくれるし、ま~~~凄かった。
でも、買ってくれるよりも、「子供は、水道水は直に飲むと毒だ。。」って感じで、毎朝、水道水を沸騰させておき、湯冷ましにして、私や兄に飲ませていた。
ジュースとか、そう言うもんは、飲んだこと無かったな。。
おかずを作るのは、祖母が生きていた頃は祖母だっただろうが、私が生まれた頃には、祖母は他界していたので、母がおかずを作っていたが、ご飯を炊くのは、おじいちゃん。
薪で、ご飯炊いてたんだな~~。
家の中の階段もおじいちゃんが掃除し、ピカピカにぞうきんで磨いていた。。
ひとりで旅行に行っては友達(う~~んと若い人とでも無理矢理友達にさせてた。)になり、家に遊びに来させていた。。
私が子供の頃、一緒に写真に写っているお姉さん、、大人になってから、「これって誰?」って聞いても、誰も知らなかったりする場合もあるのだった。
それ故、疎開先でも、どんどん、いろんな人と親しくなっていた。らしい。。。
そこで、「君たちには、明日がある。だが私には明日は無い。だからすぐ来い。」と麻雀の人数がたらないという理由で、呼び出す。
近所に住んでいるならともかく、長野の小諸に住んでいる人に向かっても、そう言う。
そこで凄いのは、本当に来ちゃうおじさんたちもおじさんたちであった。
夜行列車や、自分で車を運転して来るから凄かった。
なんだか、ざわざわした大人数の中で、育ったんだな。私。。って、今更ながら思っている。。