門司港レトロが喧伝されて久しい。
現役の頃、
仕事では何度も門司に訪れているが、一度も観光と言うものをした記憶が無い。
暇人の名に懸けて、ここはひとつ、門司港レトロへは行っておくべきだろう。
「門司に行くぞ。」(私)
「また急に。」(家内)
門司港レトロと呼ばれる歴史的景観群は、1km程のエリアにすっぽりと収まっている。
車は関門海峡ミュージアム近くの駐車場に止め、歩いて回る事にした。
旧大連航路上屋。
昭和4年の建築。
大陸への旅客ターミナルだ。
現在は、当時の航路や船などの展示コーナーや、何故か、映画に関する資料展示スペースとなっている。
画像はアニメーションの撮影台。
スタジオジブリやヱヴァンゲリヲン等で、実際に使われたとの由。
「軍馬の最後の水飲み場?」(家内)
「あ、ここだ、ここだ。」(私)
今回の門司港行きで、特に訪れたかった場所である。
戦時中、農耕馬までもが軍馬として徴用され、大陸へと送られた。
馬達は船に乗る前、ここで最後の水を飲んだ。
やがて終戦となり、大陸へ渡った馬達は、ただの1頭も母国の土を踏むことは無かった・・・
とある。
出征兵士の碑。
この桟橋だったかどうかは不明だが、いずれにせよ、出征兵士は、この景色を見ながら、大陸へと渡った。
門司港駅。
左右対称の木造建築。ルネッサンス様式と言うのだそうだ。
旧自動電話室。所謂公衆電話ボックスである。
『自動電話』ってのが時代を感じさせるじゃないか。
往時の待合室。
現在は切符売り場となっている。
係員が着る制服が、詰襟なのが洒落ている。
改札口方向に駅舎を回り込むと、ミカド食堂と言う看板があり、そこから2階へ上がる階段がある。
2階には、次の間がある貴賓室と、
みかど食堂がある。
大正3年、駅構内の高級洋食店として営業を開始した『みかど食堂』の名を冠し、再興されたレストランである。
開業前だったが、写真だけ撮らせてもらった。
旧JR九州本社ビル。
駅前広場の一角に『バナナの叩き売り発祥の地』の碑がある。
昼時となった。
門司港と言えばこれだろう。
焼カレーだ。
まるで坊主地獄を思わせるように、カレーがグツグツ煮立っている。
「お熱いので、気を付けてお召し上がりください。」
うん、これ見れば危険な事は大体わかるよ。
気を付けて食べるね。
タマゴを潰しながら、
フー、フー、フー
アッチチチチ!
どうやって食べれば、気をつけられるのか分からんが、
取り敢えず、美味いぜ。
旧門司三井倶楽部。
アインシュタイン夫妻が泊まった部屋。
門司生まれとされる林芙美子の展示物も充実している。
旧大阪商船
フロアーの一角に金庫が置いてあった。
三菱合資会社門司支店の文字が見える。
ハーバーデッキに出たら、猿回し一座が所在投げに座っていた。
ついつい、立ち止まり目を合わせたのが運の尽き。
トトトンと太鼓が叩かれ、芸が始まってしまった。
「さあさあ、お立合い。そら、お客さんに挨拶しなさい。」
あいやー、始まっちゃったよ。
この後、まだまだ見たい所が目白押しなのに。
トトントントン
「ごめん、ちょっと先を急ぎたいんで。チャリン(500円)」
「有難うござい。ほれ、お礼を言わなきゃ。」
遠回しの強要である。
『じも』じゃないよ。
門司港駅が現在の場所に移転する前の旧門司駅跡だ。
レールのモニュメントは旧0里標。
九州鉄道網の起点となった場所である。
九州鉄道記念館。
旧門司税関。
木骨煉瓦造りの建物だ。
内部に入ってみると、古い煉瓦と新しい煉瓦と混在している。
なにより、煉瓦の内壁を大規模に漆喰で補修している。
戦災にでもあったのだろうか。
受付に座っていた女性に聞いてみた。
それによると、この建物は戦前に民間に払い下げられ、その後何回か所有者が変わっており、
「あれは前所有者が煉瓦壁を壊して、トラックの出入り口にしてしまった為です。」
「これが昔の儘の煉瓦です。」
「なるほど。」
「これは、門司税関で使っていた昭和2年製の照明を移設したものです。」
「ははあ。」
「あちらのフェンスも昭和2年製です。」
「ははあ。」
「戦災にも遭いました。屋根は崩れ落ち、壁だけが残りました。」
「ははあ。」
「この図面をご覧ください。岸壁側にもう一つ建物があり、中庭まであった事がお判りでしょうか。」
「分かりますです。」
「そちらのコーナーも、前所有者が取り壊してしまい、図面を基に、復元したものです。今はカフェとして・・・」
オバサン、止まんなくなっちゃった。
「あ、あそこはカフェですか。ちょっと休憩しようかな。」
「あ、どうどうぞ。美味しいですよ。」
懇切丁寧な係りの女性からやっと逃れ、カフェで休憩である。
焼バナナシェイク美味し。
ズズズ
この日は生憎の月曜。
出光美術館や三宣楼など休館の所も多かった。
「オッチャンが何も考えんで、いきなり行くけんたい。」
ウググ
次回だ、次回!