午前中は、髙良山に登ってばかりいる。
そんな私だが、たまには街歩きもしたくなる。
行く先も決めず、取り敢えず、髙良山と反対方向に歩を進める。
1時間程歩いくと、
荒木駅が見えて来た。
そうだ。
そう言えばこの付近は、米軍による機銃掃射を受けた所だ。
確か、弾痕も残っていたと思うが。
さっそく、スマホで検索してみた。
それは、福徳長酒類久留米工場の東側煉瓦塀に残っているらしい。
駅からすぐだ。
ここでようやく、この日の街歩きの主題が見えてきた。
線路に沿って歩いて行く。
やがて、新幹線高架越しに、福徳長のレンガ倉庫が見えてきた。
それは、終戦間近の8月8日の事である。
以下、福岡県の空襲被害から引用する。
来襲機の種別
P-51(ムスタング)2~4機
被害状況
正午前、C57が牽引する上り4両編成列車を繰り返し機銃掃射。前日、現八代市に墜落したB-24の搭乗員も福岡市の西部軍に護送中。列車だけでなく、周囲の民家や航空燃料製造工場、倉庫などにも被害。
とある。
米軍捕虜もろとも加えられた機銃攻撃により、列車内は血の海と化し、多数の民間人が犠牲となった。
左に折れて、踏切を渡ると直ぐに、福徳長久留米工場正面入り口に至る。
このまま煉瓦塀に沿って歩き、角を左に折れた。
工場東側煉瓦塀だ。
久留米市の文化財保護課の調査では、31個の弾痕が見つかったとの事。
これ?
首をひねりながら、スマホでパシャパシャしてると、
「おたく、文化財保護課の人?」
「へ?」
散歩途中のオジサンから声をかけられた。
「あ、いや。ただの暇人ですけど。あのー、これって機銃掃射の跡ですか?」
「そうやないかね。」
「ははあ。」
「ここば見たら、近くの民家も見てみらんね。」
案内してくれると言う。
暇人は私だけではないらしい。
4~5分歩くと、それらしき煉瓦小屋が見えてきた。
「ここ。この煉瓦ば見てごらん。」
「あ、これですね。」
弾は分厚い煉瓦を貫通している。
凄まじい破壊力である。
「こんなのに当たったら、ひとたまりもなかばい。」
「ここって、どう見ても、ただの農家ですもんね。完全に民家と解ってて撃ってますよね。」
遠い夏の日の、阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ。