Tシャツとサンダルの候

田主丸の巨峰と五庄屋の水路

昨日。

久留米でハンバーグを食べていた時刻から、少し遡らねばならない。

 

 

 

巨峰を友人に送ろうと思う。

どうせなら、巨峰発祥の地である田主丸で、それを求めたい。

ブドウ農園が点在する、山辺の道を車で走った。

 

ところが、

 

道沿いの観光農園には、

『巨峰終わりました』の看板が。

 

マジか?

 

例年だと、まだまだ収穫の真っ最中の筈だぞ。

しばらく行くと、巨峰終了の看板を掲げていない観光農園が見つかった。

 

「あのー、巨峰送りたいんだけど、まだありますか?」

「まだ少しあるバッテン、どんくらいね?え、そんくらい?そんなら大丈夫よ。」(農園のオジサン

今年は、雨が極端に少なく、数が少ないんだとか。

 

キョホー!

あ、失礼。

「今、巨峰が残っちょるとは、うちを含めて、数軒しかなかとよ。」オジサン

 

キョホホー!!

 

度々失礼。

巨峰は、ここ田主丸の農業試験場で、開発されたのだそうだ。

紆余曲折はありながらも、当然のことながら、浮羽郡を中心に開植された。

 

「オイは二十歳ん時、ここに嫁いできたとばってんね。そん頃、巨峰の栽培が始まったとよ。」オジサン

 

オジサン。

それ婿養子に来たって言いたいんやろ。

『嫁いできた』はいくらなんでも、止めとかんと。

今の世の中、同性婚ってのもある世の中なんだから。

「試食してくれんね。今年んとは、ちっと、軟かったいね。」オジサン


うん。

そう言われればね。でも、味は美味しかよ。

「外人さんが、多いとですか?」(家内)

「うん。多かぁー。バッテン、オイの英語で大体通じちょるごたる。」(オイサン)

 

キョホーー!

 

どうやら、このオヤジ。

浮羽弁と英語を駆使する、バイリンガルオヤジらしい。

 

とにかく、残り少なになった巨峰だ。

チョイスは専門家に任せるしかない。

袋の下をちょいと開き、一房一房確認しては籠に入れるオジサン。

オジサンの足元には、

リフト付きの電動カートが鎮座。

枝の高い低いもヘッチャラの優れものなのだ。

もぎ取った房をここでもう一度確認。

成熟していない実や、傷付いた実を鋏で落として箱詰めである。

「送り先は、直ぐ受け取ってくれるやろか。」(オジサン

果物も生鮮食料品である。

日に日に鮮度が落ちるのを、気にするオジサンであった。

 

 

田主丸を後にして、隣町の吉井へ向かう。

この辺まで来たなら、ここに立ち寄らない手はない。

毎度毎度の、長尾製麺だ。

ちょっとした文化財に指定してもよさそうな工場。

ちゃんと稼働中なのだ。 

製品直売所は自宅横に作られている。

素麺からうどん、蕎麦、中華麺に至るまで、ありとあらゆる乾麺が並ぶ。

どれもこれも、そこらの乾麺とは一味、いや、一喉越しが違うのだ。

先代である。

今では工場は息子に任せ、ここで店番である。

楽しみにしていた半生タイプのうどん麺の生産は、まだ先との事。

 

「すんまっしぇん。11月からにしちょりますと。素麺が忙しゅーて。」

「そうですか。んじゃ、他の麺を貰います。これとこれとこれを。」

 

うどんは、11月になってのお楽しみである。

店の脇には、水神社へ続く路地が伸びる。

 

南新川。

江戸の昔、灌漑に苦しむ浮羽の百姓の為に、文字通り命を賭して立ち上がった、五人の庄屋がいた。

筑後川に堰を作り、そこから水を引き、用水路を張り巡らせた。

その用水路が、今に残っているのだ。

今でも現役の水路として、滔々と流れる水が、浮羽の地を潤している。

ちょっと感動物である。 

水神社。

この用水完成時の創建に違いない。

五庄屋と百姓たちの祈りが聞こえて来るようだ。

 

 

さてと、帰ろうかにゃ。

そうだ。

久留米に着く頃は、丁度昼時やな。

例のあの店で、ハンバーグでも食うぞ。

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