パソコンに取り込んだカメラの画像データーは、定期的に外付けのハードディスクに移し替えている。
朝から、シコシコと作業をしていると、
あれ?
このフォルダ名、佐賀城ってなってるよ。
そうだ。
雪の降る寒い日、佐賀城に行ったんだっけ。
てな訳で、
今更ではあるが、他に書くこともないし、その日を思い出しながら書こうと思う。
えーっと、
そもそも、何で佐賀に行ったんだっけ?
あ、そうだ。
少しづつ思いだしてきた。
あの日1月7日
糸島まで、酒を買いに行こうとしてたんだった。
ところが、出かけたはいいものの、折悪しく雪が降ってきた。
ラジオでは、チェーン規制のアナウンスも流れてくる。
「山越えって、大丈夫やろか?」(家内)
「ヌヌ、なんてこった。バッテン、折角やし、どっか行こうぜ。」(私)
てなやり取りの後、佐賀なら道路も問題なかろうと、方向を変えて佐賀城界隈へ行くことにしたのだった。
大隈重信生家。
初めて訪れる。
この寒さだ。
来客は私らのみである。
開け放たれた襖や障子戸。
こんな粉雪舞い散る中、誠に風通しがいい。
三密の徹底した排除。
感謝せねばなるまい。
・・・さむ
急な勾配の階段を登って行くと、
八太郎少年(大隈重信の幼名)が学んだ勉強部屋となっている。
勉強机の正面の柱には、謎の出っ張りがある。
これは母三井子の工夫で、八太郎少年が居眠りでもしようものなら、これに頭がぶつかり、目を覚まさせると言うもの。
これが効果があったかどうかは別にして、猛烈な教育ママであった事は、間違いなさそうだ。
佐賀城。
隣県ではあるが、実はここも初めてである。
鯱の門。
名の由来の鯱鉾が屹立する。
鯱の門をくぐると、そこには本丸御殿が復元されている。
ここでも見学客は私らのみである。
モルチール砲。
攻城砲の一種らしい。
現存するのものは極めて稀との事。
外御書院。
佐賀藩の公式行事が行われた由。
全ての襖を開け放てば、320畳の大広間となる。
奥にモニターがある。
前に立ってみた。
すると、
あーら不思議。
武士になっちゃった。
失礼。
どうかスルーして欲しい。
・・・ていうかねえ。
本物の手がもろ見えだし。
マスクがシュールすぎるし。
外御所院から奥へと進む。
ここからは、殿様の生活空間となる。
柱は当時の物で、殆どの柱に補修した跡が残っている。
それにしても・・・
寒い!
施設内は、外気温とほぼ同じと言っていい。
佐賀のコロナ対策、恐るべし。
鍋島閑叟が座る御座の間。
結構リアルでドッキリする。
昼食の写真もフォルダに残っていた。
佐賀城近くのうどん屋さんに入店。
私の注文は、豚肉とキノコのつけ麺だ。
ズルズルズルー
もぐもぐ。
まあ、つけ汁は旨いし、麺もシコシコでいいんだけどね。
ずっと寒い思いをしてきたのだ。
普通に暖かいうどんにすればよかったよ。
・・・しもた。