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![no title](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/5/6/56c55dfa.jpg)
ニュースの見出しを飾るそのほとんどは暗いものが多い。だが決して心を暗くするニュースばかりではない。光の刺す方向に目を向ければ、明るいニュースだってあるのだ。
一度は絶滅においやられそうになっていた動物たちが復活の兆しを見せているという。人は自らが犯した過去の過ちを前向きに受け止め、彼らを救うために努力を続けていた。
これからあげる10種の動物たちは、絶滅危惧種リストから外れたものたちだ。
10. ジャイアントパンダ(絶滅危惧種から除外:2016年)
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かつては絶滅危惧種のシンボルのような扱いだった。実際、世界自然保護基金(WWF)のロゴにもなっている。しかし最も有名な絶滅危惧種だったパンダが、2016年9月ついに絶滅危惧種リストから外された。
WWFがロゴにパンダを採用した1961年当時、彼らは絶滅寸前だった。野生のパンダはほんのわずかしか残っていなかった一方、正確な個体数は把握されていなかった。
保護するために、まず密猟を食い止めなければならなかった。さらに彼らの生きる場所を守るために自然保護区を設ける必要もあった。減少傾向が逆転するまでには数十年がかかったが、現在では14,000平方キロメートルに及ぶ67か所のパンダ保護区が存在する。
こうした努力のおかげで個体数も増えた。2004年までに野生のパンダは1,500頭まで回復し、現在では2,000頭を超える。現在でも危急種に属しているが、絶滅の淵からは脱した。
9. チャタムミズナギドリ(絶滅危惧種から除外:2015年)
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この鳥を知っているのは、ニュージーランド出身の人がほとんどだろう。首都ウェリントンから東に650キロ離れたチャタム諸島の固有種で、ここ以外では見られない。それが問題であった。ヒロハシクジラドリという新参者が現れたからだ。
ヒロハシクジラドリはある意味流行好きな鳥で、さっさと場所取りを済ませて、手頃なものはなんでも取り上げてしまう。これがチャタムミズナギドリの営巣地を奪う結果となり、多くの個体が墓場送りになっていた。1995年にはわずか600羽にまで減少している。
ニュージーランドの専門家は非常に地味な努力を行った。単純にチャタムミズナギドリを捕まえて、ライバルのいない新しい島に移したのだ。2015年、個体数は十分に回復し、絶滅危惧種から危急種に変更された。
8. ルイジアナクロクマ(絶滅危惧種から除外:2015年)
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ルイジアナクロクマ(Louisiana Black Bear)は州の動物として愛されている。また昔からある子供の玩具のモデルでもあった。そう、テディベアのモチーフなのだ。
その発端は1902年の一件にある。当時、セオドア・ルーズベルト大統領はミシシッピの田舎で趣味のクマ狩りに出た。しかしクマを仕留めることができず、同行していた3,000頭ものクマを殺したホルト・コリアーというハンターがクマを追い詰め、木に縛り付けると留めの1発を大統領に促した。が、ルーズベルト大統領はスポーツマンシップに反するとして、これを拒んだ。
このニュースをワシントンポストが取り上げ、可愛らしい動物を撃つことを拒否する大統領の挿絵入りで紹介した。このエピソードは人々に好意的に受け止められ、やがて絵をモデルとする玩具まで登場した。テディベアの誕生である。
しかしルイジアナクロクマは絶滅寸前まで追い込まれ、1992年にはわずか150頭が生息するのみだった。それから20年に渡る努力で、700頭以上にまで回復している。
7. デルマーバキツネリス(絶滅危惧種から除外:2015年)
![4_e1](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/0/3/0330cebc.jpg)
1976年、米政府は絶滅危惧種保護法を可決。この類の法律としてはアメリカ初のもので、各州は絶滅危惧種のリスト作成が義務付けられた。
こうして作成されたリストには77種が記載され、その最上部にいたのがデルマーバキツネリス(Delmarva Fox Squirrel)だ。
大型の灰色のリスで、森林伐採と乱獲のために絶滅の危機に瀕していた。1967年の段階で、かつての個体数の10パーセントにまで激減。生息地のほとんどは3州にまたがる私有地だったが、幸いにもそこで樹上生活を送るリスを救おうという機運が高まった。
50年にも及ぶ努力が実を結び、デルマーバキツネリスは2万匹以上にまで回復した。現在ではデルマーバ半島の28パーセントに生息しており、今でも広まり続けている。
6. トド(絶滅危惧種から除外:2013年)
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アラスカ西部の寒冷な、岩だらけの海岸に生息するアメリカ最大級の固有種で、脂肪をまとったでっぷりとした巨体と牙が特徴。
中央カリフォルニアでも見ることができ、あらゆる意味ですごい生き物である。が、そう言われるようになったのも1990年代にアメリカ海洋大気庁(NOAA)がトドの絶滅を懸念するようになってからのことだ。
当時、長年の乱獲や生息環境の悪化、さらにはトロール漁船との衝突が原因で、トドの個体数は大打撃を受けていた。こうしてNOAAの絶滅危惧種リスト入りすることになった。が、このリストは、除外されるのは大抵本当に絶滅してしまった場合という代物だ。
2013年以前にリストから除外されるほど回復したのは、1994年に図らずも復活した北大西洋コククジラだけなのだ。
幸いにもトドもその例外に加わった。1979年、1万8,000頭しか生息していなかった彼らは、2010年までに7万頭以上にまで回復。現在も4パーセントずつ個体数を増加させている。
5. アラビアオリックス(絶滅危惧種から除外:2011年)
![6_e0](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/4/8/48d7d196.jpg)
かつてアラビア半島の砂漠に広く生息していたアラビアオリックスは、当時恰好の狩猟の対象となっており、どこかの誰かが最後の1頭を射殺し、完全に絶滅するであろうと思われていた。
だが運命の女神は微笑んだ。サウジアラビア、カタール、アブダビの超大富豪が興味を示し、アラビアオリックスを王族の象徴として保持することにしたのだ。
当時、野生種の保全など到底馬鹿げたことに思えたが、飼育下で数頭を維持するならそう悪くなさそうだった。1982年、オマーンが特別保護区を設け、オリックスの繁殖が始まった。現在では、1,000頭の野生種が存在するまでに回復している。
彼らがかつてアラビア半島で大切なシンボルであったことも幸いした。アラビアオリックスは遠く離れた水源を嗅ぎ分けることができたために珍重された動物であり、その復活は地域のプライドをかけた事業となった。
4. エリー湖ミズヘビ(絶滅危惧種から除外:2011年)
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アメリカ合衆国魚類野生生物局(FWS)の絶滅危惧種リスト入りしたエリー湖ミズヘビ(Lake Erie Water Snake)だが、それから12年後の2011年には個体数が回復し、リストから除外された。何かの間違いではないかと思えるほど、急速な回復だった。
エリー湖の固有種だが、人間の廃棄物が排出される場所の近くが生息域だったことと、不気味な姿が災いした。
FWSは個体数激減の大きな要因について、それを見かけた人間が気味悪がって殺してしまうことが多いことをあげた。しかし見てくれは悪いが、まったく無害なヘビなのだ。
3. タイリクオオカミ(絶滅危惧種から除外:2011年)
![8_e1](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/f/3febac6a.jpg)
本リストの中で、おそらく最も賛否両論となる動物だろう。北アメリカタイリクオオカミ(North American Gray Wolf)だ。
アメリカの森をうろつく誇り高き動物は、1970年代に絶滅危惧種に指定され、35年間その地位に留まった。2011年、FWSは5,500頭以上にまで回復したと発表。議論に火がついたのはこのときだ。
タイリクオオカミを絶滅危惧種から除外するかどうかは、FWSが東部タイリクオオカミ(Eastern Gray Wolf)を別種と認識するかどうかにかかっていた。
しかし、これを裏付ける科学的な証拠はなかった。こうしてオオカミの亜種の区分に関する議論は、かつてなかったほどに燃え上がった。
だがそうした学会の議論は別として、タイリクオオカミが復活しつつあることは間違いない。かつて絶滅寸前まで追い詰められたオオカミだが、ようやくアメリカの森林を彷徨うまでになっている。
2. カッショクペリカン(絶滅危惧種から除外:2009年)
![9_e1](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/1/3171025e.jpg)
カッショクペリカンの立場から言えば、20世紀半ばまでは、長い長い人間による排除の歴史以外の何物でもなかったろう。
殺虫剤が普及し、農家も政府もやみくもにDDTを吹きかけていた。人間にさえ有害なDDTは、カッショクペリカンにとってはまさに災厄であった。
哀れなペリカンは、毒で汚染された魚を食べたことでばたばたと倒れた。またようやく産んだ卵も殻が薄っぺらく、ちょっとした衝撃で割れてヒナは死んでしまった。世界的な殺虫剤の狂乱の宴のおかげで、個体数は激減し、1970年に絶滅危惧種に指定されることになった。
人間にとっても、ペリカンにとっても幸いだったことに、DDTの使用は70年代半ばから規制が進んだ。最終的にアメリカは、マラリア対策を除き、DDTの使用を禁止。カッショクペリカンの生息域が毒で汚染されることはなくなった。以降、個体数が増加し、2009年、FWSは絶滅危惧種リストからカッショクペリカンを除外した。
1. インドサイ(絶滅危惧種から除外:2008年)
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数世紀前、インドサイの暮らしはそれはそれは楽しいものだったろう。パキスタンからバングラデシュまで広がるインド亜大陸北部全体を我が物顔で闊歩し、個体数は無数だった。大きく、威厳があり、無敵に思えたことだろう。
が、20世紀初頭になって大物狙いのハンターに目をつけられた。そして70年のうちにたった600頭ほどにまで激減してしまった。
1975年、バングラデシュとブータンで絶滅。インドもそれに続こうとしていた。それを食い止めるための努力は大変なものだった。
生息地の保全や狩猟の禁止を法律で定め、密猟者には重い罰則を科した。しばらく状況はなかなか好転しなかった。だが、努力は徐々に功を奏し始める。2008年までにインドサイの個体数は3,000頭まで回復。往時には負けるが、600頭よりははるかにマシだ。
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