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イタリア半島に誕生した都市国家「古代ローマ」、その後領土を拡大して地中海世界の全域を支配するまでの世界帝国となった。
帝政期にはローマ帝国を築き上げ、それは史上最大の帝国のひとつとして今の歴史に語り継がれている。
古代ローマの文化、芸術を代表するローマ建築も、ヨーロッパをはじめとする西方世界の建築界に、極めて重要な意味を残していった。
数々の歴史的建造物は、いくたびの火事、戦争をかいくぐっても現存している。これらの建造物は、何世代にも渡って、栄枯盛衰、文化の移り変わりを見て来た歴史の証人であり、これからも、古代ローマの偉大なシンボルのひとつであり続けるだろう。
ここでは、古代ローマ建築が栄華を誇っていた過去の完全な形を再現した図と、現在の遺構を比較しながら名所めぐりをしていくことにしよう。
1. コロッセオ
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ローマ帝政期に造られた円形闘技場、
コロッセオは、西暦80年に建造されたが、現在でもまだ息をのむようなその姿を見せてくれている。
最盛期には、およそ5万~8万の観客を収容できたと言われている。人々がこのフラウィウス円形闘技場に集まる理由はいくらでもあった。
剣闘士の闘い、疑似海戦、猛獣狩り、処刑、有名な戦闘の再現、神話に基づいた芝居など、ここでたくさんの娯楽が行われたのだ。
今日のコロッセオは、度重なる地震や石泥棒のせいで、半分崩れているが、誰もが知るローマのもっとも有名な観光地だ。2007年には、
新・世界の7不思議のひとつに選ばれている。
2. フォロ・ロマーノ
![2_e3](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/1/5/153baa31.jpg)
ローマの中心部にある、
フォロ・ロマーノは、古代の重要な庁舎の遺跡に囲まれた長方形の広場だ。
帝国の最盛期は、演説会場であり、犯罪を裁く裁判所であり、剣闘士の闘いのリング、そして商業の中心地だった。
17~19世紀には、ローマで学ぶ多くの芸術家や建築家がスケッチしたり、見取り図を描く格好の場所となった。今日では、古代ローマでもっとも重要な建物の遺跡を見ることができる観光地となっている。
3. チルコ・マッシモ(キルクス・マクシムス)
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古代ローマ時代の戦車競技場(キルクス)である
チルコ・マッシモは、ローマの人々が公開ゲームを楽しむのに最適な大衆娯楽会場だった。
さまざまな宗教的な祭りもよく行われた。長さ621メートル、幅118メートルの、古代ローマ、のちのローマ帝国における初の最大スタジアム。実に15万人を収容することができたという。現在、ここは公共公園になっている。
4. ドミティアヌス競技場(ナヴォーナ広場)
ドミティアヌス競技場は、紀元80年、皇帝ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスが、ローマ市民への贈り物として建設させた陸上競技場である。
217年に、コロッセオが火災にみまわれたとき、この競技場が剣闘士ショーの会場として使われた。皇帝の力が衰えると、貧しい者の家として利用されるようになった。
ルネッサンス後、建物は建材として根こそぎ略奪された。現在は、競技場のフィールド部分がナヴォーナ広場となっている。
5. サートゥルヌス神殿
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土星の守護神を祀ったこの
サートゥルヌス神殿は、紀元前497年、ローマの王、タルクィニウス・スペルブスによって建造された。
火事などさまざまな災害にみまわれ、神殿は崩れてしまったが、再建され、現在の遺跡は3代目になる。
ペディメント(最上部の上の三角形の部分)の一部が現存していて、そこには"元老院とローマ市民が火事によって消失した神殿を復元した"と刻まれている。
6. ハドリアヌス廟(サンタンジェロ城)
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モレ・アドリアーナ公園内にあり、
サンタンジェロ城として一般に知られている。皇帝ハドリアヌスが、自分と家族が眠る場所として、紀元134年から139年の間に建設した。
ハドリアヌスの遺灰が138年に内部におさめられてから、ほかの皇帝も代々ここに葬られる伝統が始まった。のちの教皇たちには、要塞としても使われた。現在は博物館になっている。
7. ウェヌスとローマ神殿
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コロッセオのすぐ隣のヴェリアン・ヒルにある、古代ローマで既知の最大の
神殿だ。紀元135年に建設され、女神ウェヌス・フェリクス("幸運をもたらすウェヌス")と、女神ローマ("永遠なるローマ")が祀られている。
9世紀の大地震で、崩壊したと言われている。のちに、教皇レオ四世の命で、この場所に教会が建てられた。現存するもともとの神殿の唯一の遺構は、数本の柱のみになっている。
8. タブラリウムから見るフォロ・ロマーノ
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古代ローマの公文書館
タブラリウムには、多くの役人のオフィスがあった。眼下にはフォロ・ロマーノが一望できる。
紀元前78年に建設され、長さ67メートル、高さ15メートルの大きな廊下は現在でも部分的に残っている。
9. カストルとポルックス神殿とディウウス・カエサル神殿
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紀元前495年、レギッルス湖畔の戦いの戦勝記念として建設された
カストルとポルックス神殿は、もともと元老院の会議室だった。共和国を支持して戦場で戦ったと言われているディオスクーロイを称えた建造物である。今日、その遺構はわずか柱3本だけしか残っていない。
ディウウス・カエサル神殿は、紀元前29年に建てられ、最初に神格化されたローマ市民だったカエサルに、彼の死後、捧げられた。
10. マルケッルス劇場、ベローナ神殿、アポロ・ソシアヌス神殿
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紀元前13年に建設された
マルケッルス劇場では、芝居や歌などさまざまなパフォーマンスが行われた。用途の変遷や時間の経過とともに追加工事が行われたりしたが、今日残っているのは劇場の一部だけだ。
ローマの神ベローナとアポロを祀ったふたつの神殿は、残念ながら当時のその姿をほとんど留めていない。アポロ神殿で残っているのは3本の柱だけだが、これもアウグストゥス時代に再建されたもの。
11. サンティ・コズマ・エ・ダミアーノ聖堂
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フォロ・ロマーノでもっとも有名なスポット。皇帝マクセンティウスが、309年に死んだ息子のウァレリウス・ロームルスを偲んで建てさせたと言われている。
527年にはキリスト教化されて、サンティ・コズマ・エ・ダミアーノが祀られた。長い年月の間、修
復を重ね、今日に至るまでほぼ残っている観光客に人気の場所。6~7世紀のモザイク画を見ることができる。
☆ここ前やってくれるとうれしいがな!