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歴史さんぽ①~あこがれ再び

2021-06-12 | おでかけ
こんにちは。

本日は、久しぶりに歴史上の人物について、
熱く語らせて下さいませ。
おつきあいいただけると、うれしいです。


(既出ながら、鎌倉、段葛)


子どもの頃から、親に連れられ出かけた鎌倉は、近しい街でした。
ここしばらくは、観光地としての人気に恐れをなし、
足が遠のいておりましたが・・・

最近、思いがけず、ご縁ができ、再び鎌倉を訪ねています。
コロナ禍のこと、ゆっくりと街歩きはできませんが、
「今日はここ!」と決め、ちょこっと立ち寄るようになりました。


(鎌倉で大姫の化身とされるイワタバコの花。)


そんななか・・・鎌倉というと・・・
必ず、思い出されるのが・・・

大姫。

源頼朝と夫人・北条政子の長女です。
拙ブログでも、既に、一度登場しております

前置きが長くなりましたが、
大姫の生涯を、まずは、ざっくりと、まとめてまいりましょう・・・



(既出ながら・・・源氏山公園、源頼朝公座像)


「大姫」とは「貴人の長女」のような意味合いで、本名はわかりません・・・

治承4(1180)年8月、
頼朝が伊豆で挙兵した時には、既に誕生していたので
戦乱の中、母・政子と共に、各地を転々として過ごていたはずです。

やがて、新しい街・鎌倉で、父はじっくりと関東の経営に当たります。
一方、このとき、西国で、平家軍を打ち破る活躍を見せたのが、
従兄弟の木曽義仲。

源氏の正嫡・頼朝、
従兄弟でである、木曽育ちの義仲
共に源氏である、二人の対立が危惧されました。

義仲は、頼朝に、異心のないことを誓うため、
嫡子・清水冠者・義高(シミズカジャ・ヨシタカ)を、鎌倉へ送ります。
名目は、頼朝の娘・大姫の許嫁ですが、実際は人質です。

当時、大姫は5,6歳、義高は11歳。
幼い二人は、仲睦まじく過ごします。


(義高ゆかりの大船・常楽寺)


ところが、義高の父・義仲は、平家を追って都入りしたものの、
その軍の乱暴な振る舞いに、後白河法皇のご機嫌を損ねてしまいました。
法王は、朝敵として、義仲を討つべよう、頼朝に命じます。

この結果、木曽義仲が、頼朝方に討たれたのは、
ひよどり越で知られる一ノ谷の合戦の前の月のことでした。
(1184/寿永3年2月)

さて、鎌倉では・・・
義仲の子・義高は危険人物、父・頼朝にとって、将来の不安材料です。
義高・暗殺計画の知らせが、大姫にもたらされます。

二人が暮らし始めて一年後のことです。

大姫の協力を得て、義高は鎌倉を脱出・・・
ところが、あえなく捕まり、殺されてしまいました。

これを知った大姫は、悲しみのあまり、飲食を絶つほどです。
この様子を見た母・政子は、怒りのあまり
義高を殺害した家臣を処罰をさせたものの・・・

大姫の心が癒えることはありませんでした。


(静は鶴岡八幡宮で舞ったとか)


その後、父・頼朝は、弟・義経を疑い、またも、討つように命じます。

1185(元暦2)年3月、吉野山中で、義経と別れた愛妾・静が捕らえられ、
鎌倉へ連行されました。
このとき鶴岡八幡宮で、「しづやしづ」と義経を恋い、舞ったのは有名な話。

静の生んだ赤子が男の子だったため、その子は殺され
傷心のまま、静は鎌倉を去ります。

大姫は、母・政子とともに、静に十分な援助をしたとか・・・
大姫と静、頼朝によって、愛する人を奪われた・・・と、
二人の心が強く響き合ったからこそでしょう。


その後も体調の優れない、大姫のために、両親は寺社詣でを繰り返します。

一時は、姫も回復し、京都から下向した貴人(一条高能)との間に
縁談が起こるものの・・・姫は、これを拒否。
無理にというなら、深淵に身を投げるとかたくなでした。

高能は、これを知り、想ってはならぬ人と、大姫をあきらめたとか・・・


(雪ノ下の勝長寿院跡。大姫が静養した地だとか・・・)


建久6(1195)年2月・・・

頼朝は政子と共に、大姫を連れ、上洛します。
東大寺供養が表向きの理由でしたが、
実は大姫の入内計画が勧められていたのです。

7月、鎌倉に戻るものの、大姫は10月には、また伏せってしまいます。

結局、建久8(1197)年7月14日、大姫は亡くなりました。
おそらく、19歳か、20歳の若さだったとのことです。


(表紙は上村松園の静でした。集英社さま、著作権、お見逃し下さいませ)


大姫を知ったのは、10代の頃、夢中になって読んだシリーズ
「人物日本の女性史」(集英社)の第3巻『源平争乱記の女性』↑でした。

「大姫」は、「北条政子」(外村久江)、「巴御前」(馬場あき子)で
触れられています。

もう40年以上前のこと、ネットなんてありませんから、
それこそ、この本を何度も読み返したものです。

大河ドラマ「草燃える」で、斎藤こずえさんが子ども時代を、
成長後の姿を池上季実子さんが演じられ、
今でも、その愛らしさ、美しさは忘れられません。

そして今、再び、大姫に惹かれています。

時代は流れ、少女だったわたしが還暦を目前。
大姫ゆかりの地もネットで検索できるようになりました。
それを手がかりに、今、鎌倉で、大姫の跡をたどっています。

一方で、やっぱり、活字派ゆえ・・・
何冊か、本も読みました。


(扇が谷の岩船地蔵堂。大姫ゆかりの地蔵が収められているとか)


・・・ああ、こんなに長くなってしまいました。

本当は、大姫ゆかりの地をアップしたかったのですが・・・
それは、いずれまた。
あわせて、大姫についても、まとめたいと思います。

長々と、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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本日の記事は、以下を参考にいたしました。
素人のこと故、間違いや勘違いもあろうかと存じますが、どうぞご容赦を。
●円地文子監修『源平争乱記の女性』(「人物日本の女性史」第3巻)集英社

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