
城好きの我が家・・・
ゴールデンウィーク中、一度だけ、久しぶりにリア攻めをしました。
本日は、その「湘南の名城 大庭城」のおしゃべりです。
どうぞ、おつきあいくださいませ。

藤沢市大庭に城!?
西股総生『首都圏初 戦国の城の歩きかた』(KKベストセラーズ)を
読んで知り、興味津々。
このゴールデンウィークで、念願かなっての登城ですw
令和の大庭城跡は「大庭城址公園」として
コロナ禍、親子連れがテントを張って楽しむ、
気持ちの良い公園になっています。

がっ!
かつては、舌状台地の先端、引地川と井戸川に挟まれた、
天然の要塞だったそうです。
城の確かな由来は明らかではありませんが・・・
扇谷上杉氏によって築城され、相模国東の重要拠点だっただろうとのこと。
けれども、永正9(1512)年には、伊勢宗瑞(北条早雲)により落城・・・
その後、北条氏が大庭城を使用したかなどは、わからないまま・・・

(「館址広場」柱址の発掘場所には標示石が埋め込まれている。
その奥に櫓台址)
謎の多い城です。
このあたりは昭和40年代に区画整理が行われ、現在は住宅地・・・
ここも、ふつ~の公園を歩いている気分・・・
知らなければ、ここが城跡だなんて、思えません。

西股総生氏のオススメは、バス停「舟地蔵」側からの裏口コース↑です。
車で出かけた我が家も、登城後、「公園」を突っ切り、一度下山して、
裏口コースから歩き直しました。
画像だと、ただの藪にしか見えないのが、悲しいですが・・・(↓)

(横堀)
実際に歩いてみると、西股氏いわく「悶絶の二重横堀」の上側にあたる部分、
つまり横堀の中を通ることがわかります。感激!
さらに登り切って、主郭の裏口に着きくと
道は終わっいても、横堀自体は更に奥まで伸び、
曲輪を取り巻いているのが分りました。

(裏口から振り返ったところ)
「この城の場合、曲輪の中は公園として整備されているけれど、
肝心の土塁や堀はヤブのまま。
なので、この城の魅力を知りたかったら、
ヤブにもぐりこまなくてはならない」(100頁)と西股氏は仰せです。

(ヤブの中に残る空堀)
この時期、ヤブこぎは、無理ですからねぇ~
・・・って、我が家は、そこまで、できましぇ~んw
でも、そんなヘタレのためにも、西股氏は、ご案内してくださっています。

城の東側出口↑から下りていくと、道の右側に、
「横堀→腰曲輪→横堀」が、順に現われると・・・
はい、最初の横堀(だけ)は確認いたしましたっ!

(バラ園のそばには、土塁が残る)
ヤブこぎはパスですが・・・
柵から、ちょっと身を乗り出して眺めてみれば、
倒木の重なるヤブの中に、はっきりと土塁や堀の跡が見える・・・
公園として整備されたからこそ、区画外は、そのまま残ったということ。
江戸時代、既に、公園部分は、畑になっていたそうですから、
令和の今、これだけ遺構が確認できるって、すごいことです!
アタクシは断然、小田原・北条びいきですから、
早雲公が「悪者」wとして語られる、資料室の展示は、鼻白みましたが・・・
巨大な城の遺構の跡に、扇谷上杉家の力を見せつけられたようでした。
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おつかいいただき、どうもありがとうございました。
素人のこと故、間違いも多々あるかと存じますが、お許しくださいませ。
本文は、西股総生『首都圏初 戦国の城の歩きかた』(KKベストセラーズ)
ほか、現地のパンフレットや案内板を参考にしました。
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