アイツがいなくなってしまってから ずっと踏ん張ってきた。
ん?なんじゃそれ? と思った人は こちらへどぞ。
とにかくごちゃごちゃしたことは後回しにして
目の前のことに集中して 坊主を抱きしめて トモダチと遊んで
酒飲んでバレーやって 踏ん張ってきた。
でも。
ちょっと疲れた。
腕がプルプルしてきた。
だから ちょっと力を借りることにした。
筋トレで言うプロテイン的なもの(?)
自分一人ではもう支えきれないのである。
伊集院さん。 この言葉は本当ですか。
あれからずっと ちゃんまーは苦しくて哀しくてどうしようもないです。
毎日ちょっとずつ読んでる。
いや。キタケンはアホっぽいんじゃなく アホだから(爆)
うおー!
たくさん泣いたり 呻いたりするのは苦手だけどー!
叫ぶのは得意だー!
くそバカたれー!
ちゃんまーの大事なムスメを取り上げたヤツ ゆるさーん!
あ、しまった。変なこと書いたら 泣けてきた(爆)
あははは!最後の閉店ガラガラにおおうけ!
さすが関西だわー♪ 笑わせてもらった。感謝♪
新しい時代か。 散歩仲間とも最近よくそういうよ。
しんみり。
本当に みんなの言葉は深くて優しいね。
ちゃんまーにゃ書けないような言葉が一杯でありがたいのだ。
この穴は一生ふさがらないだろうなーと思ってる。
でも・・・何十年後かに いつかもしかしたら かさぶたになるのかもしれんね。
あーヨツアシってすごいわ。ホント。
ちゃんまー 修行僧になれそうだよ(爆)
ハグ受け取ったー!
おっと!
はなオレンジさんてば巨乳じゃん!(爆)
そうか。一緒の感覚ね。
あーうらやましいな。
なんだかさ、ちゃんまーはへそが曲がってるから アイツがそばにいたとしても 気付かない可能性ありだ。
最近さ 小さいオジサンが見えるとか あれが見えるこれが見えるっていうヒトがうらやましい。
今までは「そんなオッサンおるわけない!」って一喝しとったけど(笑)
そだね。
大事なことは アイツが笑っていること。
それが一番。そして全て。
おう!飲もうぜ! そして脱ごうぜ!
アイツが生まれ変わったら優しくなるのか
それとも さらにハイパーやんちゃ娘になるのか。
こういうこと考えてると笑えてくる♪
なんですか?なんですか!?
その言葉は何ですかー!
深すぎて ちゃんまーにゃわからーん!
うん。
最近わかってきた。
この穴は一生ふさがれない。
ちゃんまーは この穴と生きて行くんだ。
そういう力を持って行こうと思う。
~腹が減ったので本日はここまでです~
いつか思い出万歳な日が来るのか~。
お別れ先輩の話は 心強いのだ。ありがとうございます!
うん。ほんとだ。
まさかこんなに苦しいものとは・・。
経験してみて初めてわかったよ。
最近 アイツがいなくて淋しいっていう気持ちになってきた。
今までは苦しいばっかりだったけど。
ちょっと進んだのかな?
そんなに長く!ありがとうございます!いつもふざけててごめんなさい。(なんとなく謝ってしまった)
「別れは小さな死」
「別れは受け取るものであり、失うものだけではない」
おおおおおお!新しい視点です。
教えてくださりありがとです!
ちゃんまーも一度小さく死んだんですね。←取りちがえてないですよね?
てことは 転生しないとね。
なんかコブシを握る気持ちです!
にょーーー(涙)
はい。
実は最近泣けて泣けて仕方ない感じになってきました。
もう荷物をおろそうかな。
筋トレもずっと続けても意味ないしね。
おろしても潰れない自信が出てきました♪
~~~~とりあえず本日のキョメ返しはココまで。
いつもキョメ返しが遅くてごめんね。~~~
弱くて強いのが愛することを知った人間だ!
どっちもMちゃんに対する深~い愛情故だよ。。
あの、、こんな風にいっちゃいけないかもだけどね、、
わたし、元気で側にいてくれた時ももちろん、もっちろんこれ以上ないくらい愛していたし大切に想っていたんだけどね、
かまったし可愛がったし、、いっぱい撫でて抱いたけどね、、
お部屋でお留守番してくれてた時は、少しこちらの自分のコトに頭取られたりお友達との楽しいにのめり込んだりしてね
きっと少しの間離れてても待っててくれることに甘えてたのかなぁ・・
あの子達のカタチがお空に消えて心の中に住み始めてから
触れないけど・・いつも一緒って感覚が増したように想うの
前は仕事してた時は離れ離れだったけど今は一緒。
いつだってここにいてなんだかとても近いの。
その方がいいなんて決して言ってないし、うたやきょきょちゃんにもできる限り・・
いや・・なんとしても長く側にいるように踏ん張っておくれっ!!って想ってるけど
あの子たち、、ふとうたより近くにいるねっって感じる時があるの。。
あの・・Mちゃんのことも。
やっぱりココにくるとMちゃんときょきょちゃんとちゃんまーさんがいるし
違うよって怒られちゃうかもだけどワタシにすら近くなった気がするの、、
Mちゃん、とってもちゃんまーさんの近いところにずっといるよ
もぅひとつになっちゃったからね^^
こうしていろんな気持ち話してくれて、こんな気持ち話させてもらえる、ちゃんまーさんにありがとぅって思うよ
なんだかグチャグチャだ。。
このままでいいの、、今ちゃんまーさんをぎゅーっとハグしてます
気持ち悪っ!!なんて言わないでね(笑)
皆さんのコメントを見て、ちゃんまーさんへの言葉なんだけど私も元気をもらいました。
こうやって 元気や笑いをくれるMちゃんまんファミリー、
いつも ありがとう。
我が家は 二代目・ニコがすくすく成長中です。
この子の世話をし、抱きしめてはあの子を思い 泣いたり笑ったり・・・
あの子のくれた幸せな時間、もっともっと過ごしたかった幸せな時間・・・
ニコとの時間は あの子がくれた時間だと思っています。
それでも、まだまだぽっかり穴が開くことがあります。
そんな時はついついもがいてしまうけど、
少しずつ、少しずつでもうまる日がくる時まで、閉店も必要なのかもしれませんね。
速攻でシェリーという新しい命を迎えたけど。
それで家の中はいっぺんに明るく騒がしくなったけど。
それでも、みみっちのことを忘れることなんて、ないよ。
あれほどの犬は、そうそういないもの。
どんなにかわいらしくても、シェリーはシェリー、みみっちとは違う。
でも、一つの時代が終わって新しい時代になったんだな・・・とは思います。
Mちゃんまんもねー・・・みみっちに負けず劣らず、すんごい存在だから。
そういうコに巡り合えた幸せ、っていうのもあるし。
Mちゃんまんは永遠だから。
みみっちが永遠なように。
だから閉店ガラガラして仕切り直すのも、いいと思うよ。
喚けー!
それもアリさー!!
頑張し過ぎるとバクハツしちゃうよ
たまには閉店もいいと思いますよ
遺された者には、「時=時間」というモノが流れています。
この「時=時間」というモノは、ゆっくりではありますが確実に流れ、色んなモノを違うカタチに変えてくれます。
今は、「時=時間」に身を任せ身を委ね流れてみてはいかがでしょう?
「時=時間」に甘えてみてはいかがでしょう?
基準が有る物でもないから 難しいんだよね
私の方が苦労している! とか
変な主張するヒトがいるけれど
誰にも計れないもん。
ちゃんまーさんが書けるだけの事を綴ってくれて
感謝しているよ。
想っても想っても足りないのが当然。
シャッターだって重くなる。
Mちゃん2世を迎える心の準備が整う頃でも
やっぱり心は傷ついたままの場所と
強くなってそれもを覆ってくれて
やがて「力」になるんだと思う。
でもまたありがとうって、言える日を待ってます。
生も歓喜死も歓喜
私はそう信じています。
ちゃんまーさん こんな私だけど
ちゃんまーさんの気持ちわかるから。
一人じゃないよ!
Mちゃん 笑ってるよ
踏ん張って頑張っても、全然ダメな時間ってあるんだよ。
でもね、本当に少しずつ少しずつ、悲しみも苦しみも切なさも、きちんと消化できるようになる。
それがどのぐらいの時間が必要なのかは、人によって違うから。
長い時間がかかること=愛情の深さではない。
短い時間で立ち直ること=愛情の浅さではない。
愛情の深さは、自分と繋がった相手だけにしか分からないんだよね。
自分が闘病生活をする中で、そういうことって凄くクリアに見えてきます。
悲しいかな、どんな人間よりも四本足の子供たちの方が、遥かに遥かに深く強く愛情を感じるんですよ。
人間のようにタテマエは使わない。
いつも本音でぶつかってくる子供たちに、どれほど救われて助けられているか。
天使になった子達は、肉体と言う重たい荷物を脱ぎ捨てて、軽やかにいつでも私の傍に来てくれて。
辛くて、痛くて、苦しい時にそっと寄り添ってくれているのを感じる事が出来る。
面倒見ているつもりでいたけど、ホントは私の方が救って貰っているんだって、支えて貰っているんだって思う。
何度も旅立ちのを見送っても、それでも彼らと暮らしたくて。
何度も泣いて、悔やんで、哀しんで。
それでもやっぱり彼らと暮らすことを諦められないんだよね。
人間って、ホントにどうしようもないよね(笑)
ちゃんまーさん、もうさぁ、ホント良いんだよ。
何時までも泣いていたってさ、良いんだから。
私だってずっとずっと思い出しては泣いてるもん。
忘れない、絶対忘れない。
泣きながら思い出して、また泣いて。
そんな事ばっかりだよ。
明鏡ちゃんが、うちのジャムにそっくりだったから。
また、ちゃんまーさんが面白い人だから。
伊集院さんの文面を見て、思い出しました。
フランスのことわざに「別れは小さな死」というのがあります。別れは、小さな死のような体験だという意味です。
別れとは、一方的に失うものと解釈しがちですが、ドイツでは、別れは受け取るものであり、失うものだけではないと、その言葉に意味が込められているのだそうです。
小さな死をとげ、それを受け取り、そして小さな再生をとげながら、人生というものを成熟させていく、ドイツのフランクル「夜と霧」の訳者霜山とくじ氏の言葉ですが、その小さな死を経験した者として、とても支えになっています。
ちゃんまーさんは、ものすごいものをMちゃんから受け取ったのではないでしょうか。
祭壇のMちゃんの笑顔から、幸せがはみ出ています。^^
一緒に過ごした日々は、絶対に色あせることはない。
一緒に過ごせた幸せを一生の宝物にして、
いつもいつも思い出してあげる事が、その子の
供養になると私は思っている。
たまにどっぷり落ちるのも、絶対必要だ・・・・
そうやって 人は強くなっていくもんだから。
でも、愛娘をじっくり思い出すのも良いものだよ。
亡くしたばかりで、ああすれば良かった、こんなこともしてあげたかったって、苦しくて辛くても大切な愛しい娘を最後まで抱きしめられたんだもの。
明境くんと一緒に、Mちゃんまんの話をしようよ。
私も、8年前と7年前に最愛の息子とその母の愛娘を亡くした時、1人ぼっちになった気がした。
でも、残された娘のお陰でなんとか生き延びたよ。
今も新たに息子ができた、やんちゃな四つ足の息子が…
毎日、息子達に亡くなったママシェパや兄シェパの話を未だにしてる。
思い出万歳な日がくるよ。