⭕河内こんだ・埴輪の日(8月28日 記念日)
大阪府羽曳野市誉田(はびきのし こんだ)で埴輪づくり体験や埴輪グッズの販売などを行う「河内こんだハニワの里 大蔵屋」(運営:大蔵印刷工業株式会社)が制定。
日付は「は(8)に(2)わ(8)」(埴輪)と読む語呂合わせから。
同社の周囲には2019年(令和元年)に世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)があることから、この地域の古墳についてより知識を深めて未来へ継承していくことが目的。記念日は2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
今から約1500年前の古墳時代、河内こんだエリアでは数多くの埴輪がつくられた。周辺には応神天皇陵古墳や墓山古墳などの古墳が点在している。この歴史と文化が息づく地に、様々な角度から古墳や埴輪の魅力に迫る大蔵屋がオープンした。そして、人と人が出会い、人と古墳・埴輪がつながる場となっている。
大蔵屋では、埴輪づくり体験ができるほか、はにわ弁当や古墳・埴輪グッズの販売、古墳ギャラリーによる古墳や埴輪の資料展示などを行っている。
また、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたことを記念して、毎年、埴輪づくりコンテストとして「はにわグランプリ(828GP)」を実施しており、「埴輪の日」の8月28日に結果が発表される。
なお、埴輪は、古墳時代の日本に特有の器物で、一般的には土師器(はじき)に分類される素焼き土器である。土を積み上げた古墳の墳丘や造出(つくりだし)の上に並べ立てられた。
⭕日本に原子の火がともった日(8月27日 記念日)
1957年(昭和32年)のこの日午前5時23分、茨城県・東海村の日本原子力研究所に設置された出力50kWのウォーターボイラー型炉1号(JRR-1)が、臨界実験に成功して日本最初の「原子の火」がともった。
これによりインドに次いでアジアで2番目の原子炉稼働国となった。実験は前日の8月26日に始まったもので、11月26日に全力運転を開始した。この原子炉は1970年(昭和45年)3月まで運転され、原子炉を利用した各種の実験や技術者の訓練に役立った。
原子炉竣工記念切手
現在、原子炉としては廃止されており、燃料などは取り除かれ密閉管理された状態で建屋や原子炉室は原子力科学研究所敷地内にJRR-1記念展示館として公開されている。
◆神道諸派に付いて
【伯家神道】
伯家神道(はっけしんとう)は、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道の一流派である。
白川神道(しらかわしんとう)とも呼ばれる。
律令制のもとで、神祇官の長官である神祇伯には、当初は大中臣氏が任ぜられ、後に藤原氏や源氏など他の氏族も任じられるようになった。花山天皇の皇子清仁親王の王子延信王は万寿2年(1025年)に源姓を賜り臣籍降下すると、永承元年(1046年)に神祇伯に任ぜられた。神祇伯は延信王の後、その子康資王、三条天皇の皇曾孫敦輔王、大中臣親定、村上源氏の源顕房の子顕仲、顕仲の甥顕重と補任された。康資王の孫の顕広王が永万元年(1165年)に神祇伯に任ぜられて以降、その子孫によって神祇伯は世襲されるようになり、後にこの家系は「白川家」や「伯家」、「白川伯王家」と呼ばれるようになった。
室町時代後期になると、吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し神祇管領長上を称した。兼倶を輩出した吉田家は神祇官の次官である神祇大副を世襲していた家系だが、白川家の当主の忠富王は兼倶の指導を受けていた。
⭕レインボーブリッジ開通記念日(8月26日 記念日)
1993年(平成5年)のこの日、東京で東日本最大のつり橋「レインボーブリッジ」が開通した。
「レインボーブリッジ」の名前は「虹の橋」という意味で、一般公募により決められた愛称であり、正式名称は「東京港連絡橋」である。全長798m、幅49m、主塔の高さ126m、水面からの高さ50m。上層が有料の首都高速道路11号台場線、下層が無料の臨港道路・遊歩道とゆりかもめの二層構造になっている。日没後にはライトアップがされるが、レインボーブリッジ開通20周年などの記念日には虹色の特別ライトアップがされることがある。