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岡山新報デジタル【慰安婦問題の元凶】

2022-08-25 15:46:36 | 日記
【慰安婦問題の元凶】



●吉田清治13
証言⑤

2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは憲法違憲」と判決した際にも事実認定としてクマラスワミ報告、マクドゥーガル報告書、アメリカ合衆国下院121号決議が根拠とされ、吉田証言も事実認定の有力な証拠のひとつとして用いられた。

一方、米議会調査局のスタッフとして下院決議に関与した東アジア専門家のラリー・ニクシュ(韓米研究所(ICAS)上級研究員)は吉田証言を虚偽と認めつつも「吉田証言が慰安婦問題の国際世論に影響を与えた決定的な要素だったという主張は、ほとんど正当化されない。歴史修正主義者は、河野談話を攻撃し、慰安婦の強制的な募集がなかったと主張するために、吉田証言のウソを利用している。



国際世論には、吉田証言をはるかにしのぐ複合的な証拠が影響している」と発言している。

吉田証言などを基とした朝日新聞による慰安婦強制連行報道が国際問題化に影響したかどうかについては、朝日新聞社が組織した「第三者委員会」は「影響は限定的であった」とまとめている。



また日本政策研究センターの後援で発足した「朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会(委員長:中西輝政)」による検証報告書では、朝日新聞の一連の報道について「強制連行プロパガンダ」と表現している。



岡山新報デジタル【今日は何の日】

2022-08-25 08:21:16 | 日記
⭕即席ラーメン記念日(8月25日 記念日)

1958年(昭和33年)のこの日、世界初の即席ラーメンである「チキンラーメン」が日清食品株式会社より発売された。

同社の創業者・安藤百福(あんどう ももふく、1910~2007年)が麺を油で揚げる「瞬間油熱乾燥法」を思い付き、「美味しくて保存が利き、手間がかからず安くて安全」という5つの条件をクリアして、商品化することに成功した。うどん1玉6円だった当時1袋(85g)35円と高価だったが、熱湯をかけて3分後には食べられるという手軽さがうけて、爆発的なヒットとなった。安藤の誕生の地である大阪府池田市には「安藤百福発明記念館 大阪池田」(旧名称:「インスタントラーメン発明記念館」)がある。



チキンラーメンについて
日清チキンラーメンは、商業的に成功した即席麺の最初の事例である。袋麺は1958年(昭和33年)に、カップ麺は1991年(平成3年)に発売が開始された。チキンラーメンは、麵自体に味が付けられているため、粉末スープ袋などの別添がなく、生のまま食べることも可能である。

チキンラーメンは、安藤が池田市の自宅の敷地内に建てた研究小屋で試行錯誤した末に生まれた。ある日、妻が作っていた天ぷらを見た印象や食感をヒントに「油の熱で乾かす」ことを思い付いた。「安藤百福発明記念館 大阪池田」には、チキンラーメンを開発した作業小屋が復元・展示されている。

麺の中央にやや大きめの凹み(卵ポケット)が付いている。チキンラーメンの「チキン」は鶏を意味する英語「chicken」であるが、商品のローマ字表記は日本語で「Chikin」と綴られている。2018年(平成30年)で発売開始から60周年を迎えた。

関連する記念日として3月5日は安藤の誕生日から「安藤百福の日」となっている。


岡山新報デジタル【防衛省 我が国の安全保障】

2022-08-24 10:40:19 | 日記



国際社会の現実を見れば、非軍事的手段による努力だけでは、必ずしも外部からの侵略を未然に防止できず、また万一侵略を受けた場合にこれを排除することもできません。

防衛力は、侵略を排除する国家の意思と能力を表す安全保障の最終的担保であり、その機能はほかのいかなる手段によっても代替できません。
このため、多様で複雑かつ重層的な安全保障課題や不安定要因に起因するさまざまな事態に的確に対応する防衛力は必要不可欠です。

また、諸外国の情勢を改善してわが国に対する脅威の発生を予防するという観点から、アジア太平洋地域における協力、国際社会の一員としての協力などの分野で防衛力が果たす役割の重要性は増しています。
以上のような要素を踏まえ、わが国は、適切な防衛力の整備を進めることとしています。こうした自らの適切な防衛力が、日米安全保障体制(日米安保体制)と相まって、隙のない防衛態勢を構築することで、わが国の安全が確保されています。


岡山新報デジタル【今日は何の日】

2022-08-24 08:05:43 | 日記
⭕愛酒の日(8月24日 記念日)

この日は酒をこよなく愛した歌人・若山牧水(わかやま ぼくすい、1885~1928年)の誕生日。



牧水は北原白秋・土岐善麿と親交があり、旅と自然を愛し、豊かな情感と寂寥感とを歌い上げた歌風で知られている。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり」と詠んだ。旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。

本名は繁(しげる)であるが18歳のとき、号を「牧水」とした。その名前の由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、即ち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」とのこと。

大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変であった。夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。お酒はほどほどに。

関連する記念日として、牧水の忌日である9月17日は「牧水忌」となっている。