毎日が日曜日・・・のようなもの

仕事もリタイア 家での生活を中心に気楽な毎日
明るい引きこもり人生を送っております

忘れがたい思い出の味

2019-09-23 13:43:00 | 日記
関東地方ではありますが それでも17号の影響で突風が吹き荒れております
風の唸り声は本当に恐ろしいです

鉄柱を倒し 思いコンテナを転がし 立派なオウチまでも倒壊させてしまう・・・風
確実に目に見えて昨今の気象状況は変わりましたね
大自然こそ「神」であるなら
私たちの何かの行ないや姿勢が神の意に反しているのかも・・・
私はヒトが作った神には興味はないけれど
大自然こそ「神」と言われたら・・・腑に落ちてしまいます

本当に風の音が怖すぎて
今朝はモーツアルトは風の音をかき消すくらいの大音響ですよ

怖いけれど 食べるモノは食べますw

      

昨夜からお水に浸しておいた小豆を今朝煮て
小豆ご飯を作りました 昆布と塩だけのあっさり味です
きっとこのお味を美味しいと思えるのは作った私だけかもw

    
ピリ辛コンニャクのトッピングは梅干を叩いたものです
お味噌汁はワカメとネギ・・・この取り合わせは最強です(油揚げとネギより好き)

あれ依頼(8月15日頃から)
まーーったく小麦粉類の菓子は食べていません(クッキー クラッカー ケーキ類など)
震えが来るくらい辛かったけれど(マジですよ)何とか峠は越えた感じです

        
小豆よりも小豆湯が主役のデザートです


   
少しは小豆も入ってて 黒砂糖を足したからほんのり甘い

部活(中学時代は陸上部)の帰り道
みんなで買い食い (本当は禁止なんだけれど 守ってる子はいなかったw)
確か10円か20円くらいで歯茎が浮くほど甘い小豆湯が飲めたの
湯呑みの底には沈んでいる小豆が数個♪
本当に美味しかったなぁ 
忘れがたい思い出の味です

思い出と言えば だれでも一人くらい思い出に残っている教師はいませんか?
私の場合は 中学校の音楽教師M先生です

小学校低学年頃にピアノを習い中学進学と同時にピアノは辞めました
・・・で中学生になってビックリしたのは
私が習っていたピアノ教室のM先生がなんと中学の音楽教師だったという事で
(親は知っていたらしいけど私は知らなかったのよ・・・もうビックリです
      

今時のヤマハやそこいらの優しい先生とは大違いの先生でしたから
おさらいをしてこないと椅子に座ったと同時に「帰れ!」と罵倒され
泣きながら家に帰った事も何度もあります

M先生は長身で顔は佐々木小次郎風に眼付きはベートーベン(想像してw)
そして脚が悪いのです
いわゆるビッコ(差別用語と知りつつも一番解りやすいよね)です

そんなM先生・・・もう私のピアノの先生ではないとは言え緊張します
ベートーベンのあの眼つきですから
そして髪の毛はロン毛だよ!
ピアノを弾くと長い前髪がはらりと落ちてきてカッコいいんだ

ですから音楽の試験だけは何しろ満点じゃないと私のシメシがつかないわけで・・・
3年間これだけは頑張りましたね 満点を貫きました

毎年ある季節がやってくると
私は職員室に呼び出されるのです 担任教師ではなく音楽のM先生からです 

「今度も出るのか」
「はい出ます」
「種目はなんだ?」
「100と200とハードルです」
「そうか・・・自信はあるのか?」
「まぁ・・・はい」
「そうか 見にゆくぞ」
「あっ・・・・・はい」

何しろあのベートーベンのギョロ眼だし
言葉に無駄がないと言うか・・・センテンスが短いのよw

でもね カンカン照りの中 競技場に必ずM先生はやって来て
私の走る姿を見てくれておりました
(決勝進出は必ずで賞は持ち帰っておりました・・・昔の光今いずこ~

M先生はやっぱり誰からみてもコワイ音楽教師だったようで
あの目がコワイよねは・・・私だけでは無かったようでw
でも顔は男前!長身な小次郎ですから

年に1度話すくらいのものでしたが(すごく短い会話をね)
それでもすごくすごく思い出に残っている音楽教師のM先生です

             

よくM先生はピアノの生徒をいっぱい待たせて遅刻してくる事がありました
たまに学校の会議が長引いたいりしていた時だったのね
脚が悪いのにあの道のり(徒歩で40分)を急ぎ足で歩いて帰ってくるの

「よーし待たせたな 誰からだ~」

こういう日は心なしか生徒にスマナイという気持ちがあるようで
ちょっと優しかったなw

今日はモーツアルトをやめてベートーベンに切り替えようではないか
今日の風の音に勝てるのはベートーベンの力強い交響曲に違いない

風の勢いが増してきました
皆さんのお住まい 地域が無事でありますように