五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

第11代五高校長添野信について

2011-10-12 08:32:44 | 五高の歴史

昭和十七年十月十日の第五十二回開校記念式の様子

 

日本が大東亜戦争に突入して丸一年日本は戦勝にと浮かれていた時代である、しかし学校行事は例年の如く行われている。次に同窓会報第十六号に見る昭和十七年十月十日の開校記念式の様子を眺める。以下に同窓会報第十六号を参考にして開校記念式の要点を掲げる。

 

非常時である故か、開始期は朝早く午前七時五十分である。国民儀礼の後、添野信校長先生の式辞が朗読され、職員代表として山田教授の祝詞口演が行われている。つづいて生徒代表の祝辞朗読があったとなっている。

これは当時龍南会総務であった後の大分県知事平松守彦氏である。その後開校記念の歌を斉唱し閉式されている。続いて明治四十年第十六回卒業生例の栗野事件の活躍者大川周明氏の「大東亜共栄建設の歴史的基礎」と題する、約二時間に亘る真摯にして明快なる講演に一同を啓発魅了すると纏められている。

 

所謂日本が中心となった大東亜共栄圏の充実整備と米英に対する戦争遂行の啓蒙であったことだろう。武夫原に於いて錬成体育大会の催しがあって、往年動もすれば児戯に類する嫌なきに非らざりしも,近年大いに改まり戦時学徒の真面目を発揮したことに、意を強くするに余りがあった。と結ばれている。

続いてこのときの添野校長の式辞を掲げる。

 

 

式  辞    

本日茲に本校五十二回開校記念の式典を挙くるに当り聊か所懐を述ふる機会を得たるは余の欣幸とする所なり

抑も本校の創立は明治二十年にして我が新日本の勢威漸く加わらんとする時なりき爾来星霜五十有余年天壌と共に窮まりなき皇運の下国運の隆盛と共に我が第五高等学校の名も亦次第に挙り所謂剛毅木訥を以て鳴る校風愈天下に重きをなすに至る而して今や卒業生を出すこと一萬八百八名その多くは或は政治界に或は実業界に或は学界にいつれも躯要なる地位を占めて皇運を扶翼し奉り国家の進展に貢献しつつあり是れ実に列聖挙学の趣旨を奉体し我が教学の精神を具現せるものというへし

翻って思うに今や皇国は真に有史以来の重大時局に達著せり支那事変勃発以来すてに五ヶ年頑冥なる重慶残存政権いまた全く地に墜ちざるに更に新たに大東亜戦争を迎ふ而して一億国民の総進撃開始せられて既に十ヶ月 御稜威の下萬死報告の軍神的至誠至情に燃ゆる皇軍将兵は著々輝かしき大戦果を収めつゝあり而して是に応ふる銃後の国民も亦協心戮力一億一心ひたすら戦争完遂に挺身せり然りと雖も敵は永年世界に覇を唱え国力を蓄積し来たれる米英なりしかも伝へらく最近彼等は対日観念を是正して我が実力を認識すると共に真剣に長期戦の態勢を強化しつつありと又曰く対日作戦を第一目標とする〆世論次第に有力化しつつありとかくして武力作戦を行うと共にそれと平行して建設工作を進めつつ頑敵の完全破砕をめさす我が国の前途たる猶いまた甚だ遼遠なりと言はさるを得す実に戦いは今後にあり幸いにして南方方面の攻略により物資は漸次潤沢を予想せらると雖も更に重要なるは人的資源なり如何に豊富なる物資と雖も如何に広大なる版図と雖も之を駆使して之を指導する人物にして一朝事欠かんかその用をなささるや論をまたすこの意味に於いて真に大東亜十億の民衆指導誘掖するに足る人物の練成こそ現下喫緊事たり此の秋に当り過般高等学校の学年短縮の断行せられたるは実に時局即応の対策にして現下の超非常時に際し学徒をして一日も早く実務に就かしめんとする必然の国家的要請なりしかるに世上動もすれば修学年限短縮の結果学力の不足を来たすを懸念する者あるやに聞く然りと雖もかくの如きは我等の決意と熱誠とによりて当然克服せらるべき事なり諸子を思へ往年の軍縮会議に於いて米英に五五三の比率を強要せられたるに我が海軍がその数的劣勢を補うべく所謂七曜皆勤の超人的猛訓練を積みこし事を諸子よ諸子の勉学精進は単なる机邊のみのものに非ず諸子は行住坐臥常に精神力の涵養に学力の増進に体位の向上に精魂を傾けて当れ而して後日国家有為の人材たれ

 由来肥後の地たる菊池以来六百年加藤細川の時代を通して文教の地として世に顕はる本校独特の校風また故ありというべきなり

 年少気鋭にして生気に富める龍南学徒よ本日この記念日に際会し伝統に輝く龍南の歴史を偲ぶと共に光栄ある皇国民たるの深き自覚の下に学徒の本分を恪守し文を修め武を練り質実剛健なる我が龍南の気風を振興し自粛自戒を以て皇恩に対へ奉らんことを期せ

昭和十七年十月十日