ボランテイア案内で班を組織してある。この班を中心として月に一回第一月曜日に研修会をするようにしている。しかし昨日はその例外としてリデルライト記念館を研修した。俺はこのリデルライト記念館は五高記念館から距離も近く一年に一~二回は訪問していたが、どうしたわけか今回は久しぶりの訪問であった。
五高との関係は本田増次郎先生がその昔リデルが回春病院を開設するとき外国人には土地の売買、譲渡等は出来なかった時代であったのでその回春病院の開設に伴う土地の取得の世話をされたのが本田先生であった。
今朝は以下に事前に資料を検討した資料を掲げる
本田増次郎が五高来たのは嘉納治五郎の時代であり英語の先生であったこと。
リデルが回春病院設置に奔走しているとき敷地の提供してやったこと。
増次郎の土地の提供はリデルとの無償契約で999年であったこと。
土地は現在の大甲橋の近くにもあったこと。
本田増次郎は明治24年から26年4月の短い五高教授時代に、ハンナ・リデルに会いハンセン病患者救済のために病院建設したいという理想に共鳴し外国人は土地を得ることができなかったので、リデルに代わり土地購入に協力している。回春病院の評議員として生涯協力している
見学して収穫があったことは現在の新屋敷すなはち大甲橋一帯にあったことが当時のリデルの住居での生活という写真が展示されていたので確認できたことは良かった。