明治27年に五高に傭人服務概則が制定されている。この規則には職員間の差別表現条文も多く、たとえば職員が帰った後も帰ることが出来なく各掛を点検せよとか。職員が出勤する一時間前には出てきて一般職員が帰った後も帰れない、職種による差別的なものを規定してある。同じように明治三十五年十月には教員の授業上の心得も規定してある。
その第一条は始業時間の来る時は直ちに生徒出席簿を携えて教室に入り生徒一同の直立敬礼するを俟ちて之に答礼し点呼法によりて其の出欠を調査すべし
第二条は前条の点呼は二回とし第一回は全生徒に就きて之を施し第二回は第一回の点呼に応せさるもののみに就きて引続き之を施すべし、但し点呼は必ず呼捨てとすべし
第三条生徒出席簿は其の記入を正確にし第二回の点呼に応ぜさる者は総て之を欠課とし出席には/ 欠課には欠又はαの符号を附すべし
第四条授業は終業の鳴鐘を聞きたる後之を止め入室の時と同一の敬礼の上退出すべし終業の鳴鐘前に授業の終わる事ある時は生徒を室外に出さず教員も可成室内に在りて之を管理し以て他の教室の授業を妨げしめざることに注意すべし
現在であれば小学校の教員の心得と言うべきもののようである。高等学校の教授が之を守っていたのであろうか?出席簿で点呼して出席簿に確認の印をつけるとか、生徒を点呼するときには呼捨て出せよとか、今の小学校の教員では生徒を点呼するときには・・・ちゃんとか・・・・くん・・・さんと呼んでいる事もよく聞いたことがある。これがいいというものはなかったようで百年前から点呼は難しかったのだろう。
朝から教員の授業心得制定の様子を転載していたが眼が痛く感じるのでまた明日掲載することにする